学問空間

「『増鏡』を読む会」、第10回は3月1日(土)、テーマは「二条天皇とは何者か」です。

黒島or黒嶋

2013-09-25 | 東北にて
黒島or黒嶋 投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2013年 9月25日(水)21時58分40秒

>筆綾丸さん
名字がクロシマで海に関心があると聞くと連合艦隊の奇人参謀、黒島亀人を連想してしまいますが、黒嶋敏氏は「嶋」ですから、御親戚という訳でもないんでしょうね。


ネットで少し話題になっていた與那覇潤氏と東島誠氏の対談集『日本の起源』を通読してみたのですが、與那覇潤氏の中世に関する認識は網野善彦氏の多大な影響を受けていますね。

與那覇潤『日本の起源』序文

中世史の若手研究者は網野氏が大胆に広げ過ぎた「明るい中世」のイメージを、近世ときちんと接合できるように実証的に、聊か地味な「暗い中世」に引き戻す仕事を要求されている感じがしますが、黒嶋氏の『海の武士団』もその一環と言ってよいのでしょうね。

黒嶋氏の所謂<海の勢力>、とても学術的な概念とはいえない曖昧な表現なので、4字使うくらいだったらいっそのこと「海民」でいいんじゃないの、と思いましたが、最初の方を読み直したら網野氏が「海民」の定義らしきものをしているので(p16)、黒嶋氏としては安易に使うことはできないのでしょうね。
網野氏の網は広大かつ稠密で、後進の研究者はなかなか大変ですね。

※筆綾丸さんの下記二つの投稿への返信です。

three-hour tour 2013/09/20(金) 14:01:37
小太郎さん
黒嶋敏氏の『海の武士団』は、ところどころ立ち読みはしてみたのですが、辻堂(藤沢)あたりのサーフィンの話で、ずっこけました。もういちど、兆戦してみます。

http://www.bbc.co.uk/news/world-asia-24156005
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He inspected storage tanks holding radioactive water and water treatment equipment at the plant during his three-hour tour, reports say.
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three-hour tour(駈足旅行?)とはずいぶん馬鹿にされたものですが、この3時間には、安倍首相が激務の合間によく行くゴルフの1ラウンドに要する時間にも満たないだろう、という皮肉がこめられているような気がします。フランスのどうでもいいような新聞には、原発絡みで抗議したものの無視されましたが、さすがBBCくらいになると、文句は言わないのでしょうね。まあ、事実ではありますが。

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The two reactors are in addition to four others that were earlier marked for decommissioning.
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decommissioning(廃炉)は、映画『終戦のエンペラー』で降伏後の武装解除の意味にも使われていましたが、アサドの chemical weapons の場合は、 destroy と言って decommission とは言わないのですね。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%95%B7%E9%96%80_(%E6%88%A6%E8%89%A6)
連合艦隊の旗艦「長門」などは、 decommission と同時に confiscate され、あげくは destroy された、ということになるのでしょうね。 


寄船と置石とオマージュ 2013/09/22(日) 19:49:43
黒島敏氏の『海の武士団』に、以下のような記述がありますが、decommissioning に似ていなくもないですね
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これは中世日本に広く見られた、寄船慣行によるものだ。寄船とは漂着船のこと。船やその積み荷は、漂着した時点で「無主」つまり持ち主のいないものとなり、その土地のものとすることができるのである。(中略)
せっかく船が無事に入港しても、積み荷が濡れていたら漂着物として没収されかねない。いかに寄船慣行が根強く存在し、船からすれば理不尽なものであっても、寄船と見なされることのリスクが大きく、その言いがかりも常態化していたかが分かる。(42~44頁)
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追記
同書67頁に、伏見上皇院宣案(1308年)の「云上船石別升米、云下船置石」の説明として、津料には二種あって、
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「上船」つまり畿内へ上る船には積み荷ごとに「石別升米」という賦課が、「下船」とされた西へ帰る船には「置石」という賦課がそれぞれ課せられていたのだ。(中略)するとここでの「上船」「下船」は積み荷の有無を指した可能性が高く、「升米」は積み荷に対する賦課、「置石」は積み荷ではなく船体に対する賦課だと考えられる。
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とありますが、ここで思い出されるのが鎌倉若宮大路の段葛の別称としての置石です。この別称が何時頃発生したのか不明ですが、置石に八幡宮(寺)への「初穂」というような含意があったのかどうか。頼朝と政子の「初穂」とも云うべき頼家が、八幡様へのいわば供物にされたことなどを考え合わせると、気になる名称ではありますね。
http://www.kcn-net.org/sisekihi/dankazura.htm
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室町時代の文献には「置石」「置路」「作道」と記され、絵図も残されている。(石井進『中世の村を歩く』126頁)
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追記の追記
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現在の和賀江島は潮が満ちてくると沈んでしまうが、鎌倉時代の和賀江島は、ある意味で得宗専制という海に沈んだのだ。(94頁)
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巧みな表現ですね。

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室町幕府は海賊禁圧を放棄することで、鎌倉幕府のように海賊を反体制者と位置づける必要もなくなり、それゆえに自由に系列化を推進できたのである。(中略)体制・反体制という色分けを、しなやかに脱ぎ捨てた為政者の登場は、<海の勢力>に大きな影響を与えた。(151頁~)
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なるほど。

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天下統一以降、静かな安定へと流れていく日本社会と、ざわざわと賑わうアジアとの、海のギャップが広がっていくなかで、一攫千金の好機をねらうもの、起死回生の新天地を求めるもの、ざわめきへの郷愁に突き動かされたもの、さまざまな思いを抱いて彼らは海を渡ったのである。(210頁)
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「海の勢力」への涙ぐましいオマージュですね。
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