学問空間

「『増鏡』を読む会」、第10回は3月1日(土)、テーマは「二条天皇とは何者か」です。

四番目の89年

2015-06-15 | 石川健治「7月クーデター説」の論理
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2015年 6月15日(月)09時37分45秒

>筆綾丸さん
>四つの’89年(Les quatre "Quatre-vingt-neuf")」
『自由と国家』は手元にないので参照できないのですが、J=P・シュヴェヌマン・樋口陽一・三浦信孝著『<共和国>はグローバル化を超えられるか』(平凡社新書、2009)に、樋口氏自身による日本語訳が載っていますね。
4番目の89は東欧革命・ベルリンの壁崩壊ではないそうで、これはちょっと意外でした。
樋口氏は平凡社新書の「付記」に、「報告の成り立ちの経緯と当時の歴史的文脈に関連して、以下の四つの点につき読者の注意を促すことを許されたい」として、次のように言われています。(p69)

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(前略)
第二 会期は七月十四日に先立つ一週間であり、その年の秋以降に急展開する旧・東欧社会主義国の大変動の前であったこと。むしろ七月前半は、その一ヶ月前に世界の目の前でくりひろげられた天安門広場の惨劇によて、社会主義下での民主と自由の要求がいかなる困難に当面するか、その衝撃が生々しい時点であった。ベルリンの壁の解体を頂点とする、秋以降の東ヨーロッパでの一党支配の崩壊の連鎖によって、一九八九年という日付は、それに先立つ三つの八九年を測る座標という意味をはるかに超えて、「四つの八九年」の一つとなるのである。
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予想外の展開であっても、ボクってもしかしたら予言者かな、的な喜びはあったかもしれないですね。

>外務省訳「チャンピオン」
外務省サイトを確認したところ、やっぱり「民主主義の輝くチャンピオン」のままですね。


『法律時報』2015年5月号に<特別企画 「国家と法」の主要問題 連載開始にあたって>と題して辻村みよ子(明大教授)・長谷部恭男・石川健治・愛敬浩二(名大教授)の四氏による座談会が掲載されていますが、これは最近の憲法業界事情を知るのに役立ちますね。
1962年生まれの石川健治氏は、

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 私が大学に残って研究者として歩き始めたのは1985年です。1985年というのは私にとって非常に大事な年で、私の理解では憲法訴訟論が終わった年だと思います。
(中略)
 研究者になるということになったときは憲法訴訟論の最盛期でしたので、芦部先生があんなに勉強されたのに、あと何をやることが残っているのだとよく言われたものですし、研究室の先輩方からは、どうせまた君も憲法訴訟論なのだろう、という言い方をされていた。
 けれども、勉強を始めたその年に、憲法訴訟論が終わってしまった。そこで私が考えたのは、2つの方向がこれからはあるはずだということです。1つは、芦部先生は解釈論としては未熟な議論の水準にとどまったのではないか、解釈論として、もっとしっかりしたものを作るのが、これからの課題だと考えました。もう1つは、これは特に長谷部さんを見ていて思ったわけですが、これからは、より本格的に、原理的あるいは歴史的な考察を心がけなくてはならない、ということです。
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などといわれています。(p82)
私はまだ石川氏の著書・論文をごく僅かしか読んでいないので、何故に1985年が「憲法訴訟論が終わった年」なのか、「芦部先生は解釈論としては未熟な議論の水準にとどまった」とは具体的にどのような条項の解釈についてなのか、また石川氏によってそれがどのように改善されたのかは知りませんが、雰囲気としては何となく分かるような感じもします。

※筆綾丸さんの下記二つの投稿へのレスです。

constitutionnalisme médiéval(中世立憲主義) 2015/06/13(土) 11:52:08
小太郎さん
樋口陽一氏の著書をいくつか読み、おおよその考え方がわかるようになりました。

『自由と国家』(岩波新書 1989年)に、「四つの’89年(Les quatre "Quatre-vingt-neuf")」と題して、フランス革命二百年記念世界大会(パリ 1989年7月) の「革命と法」のセッションで、「 Les quatre "Quatre-vingt-neuf" ou la signification profonde de la Révolution Fraçaise pour le développement du constitutionnalisme d'origine occidentale dans le monde(西欧起源の立憲主義の世界での発展にとってフランス革命のもつ深い意義)」を問題にした、とあるのですが、三番目の’89年(大日本帝国憲法)など、満を持しての意気込みとは裏腹に、ほとんどのフランス人は、なんだそれ、というくらいの反応しか示さず、しかも、東南アジア諸国の出席者には傍迷惑な "Quatre-vingt-neuf" だったな、と思われたかもしれませんね。

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もともと、権利保障といい権力分立といい、それ自体としては近代憲法に特有なものではない。マグナ・カルタ(一二一五年)や身分制議会(イギリス議会は一九六五年に七百年祭を祝った)という、中世立憲主義の伝統があるからである。身分制議会編成原理を基礎とし、諸特権の多元的並存のうえに成り立つ中世立憲主義と、身分制からの個人の解放を前提とし、解放された諸個人と、権力を集中することとなった国家との間の緊張のなかで権力からの自由を追求しようとする近代立憲主義とでは、論理構造の点でまったくちがう。しかし、十七世紀イギリス革命は、中世立憲主義(古い皮袋)の伝統を援用する反王権闘争の成果として、近代立憲主義(新しい酒)の画期を世界にさきがけてきりひらいた。一六八九年の権利章典(Bill of Rights)は、その記念碑であった。(同書41頁)
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http://www.y-history.net/appendix/wh0603_2-015.html
https://kotobank.jp/word/%E4%B8%AD%E4%B8%96%E7%AB%8B%E6%86%B2%E4%B8%BB%E7%BE%A9-1367153
中世立憲主義という概念は歴とした terminologie なんですね。鎌倉幕府の貞永式目以前に英国では既にconstitutionnalisme が存在したというのは、なんというか、anachronisme の感じがしないでもありません。

憲法ゲマインシャフト( Konstitutionell Gemeinschaft ) ? 2015/06/13(土) 16:21:23
『憲法と国家』には、四番目の’89年として、ベルリンの壁が崩壊し、西側の近代立憲主義が東側世界に継受され、「憲法ゲマインシャフト」が成立した、という記述がありますが(39頁~)、エマニュエル・トッドなら、こういう甘い考え方を罵倒するでしょうね。
「憲法ゲマインシャフト」を論じた最後に、次のような記述がきます。ジル・ケペルは、例の『中東戦記』の著者ですね。

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ペルシャ湾岸での戦争があらためて「東」「西」対立にかわる「西欧対非西欧」の図式を否応なく人びとに強く意識させていた一九九一年一月、フランスのイスラム学者ジル・ケペルの『神の復讐』が出版されて、話題をよんだ。
彼は、キリスト教、ユダヤ教、イスラム教という、アブラハム系の三つの宗教それぞれに即して、近代合理主義に対する「神の復讐」を論ずる。そのなかで、イスラム文化圏のなかにあって政教分離を採ってきた諸国で、大衆のネオ共同体主義的な再イスラム化現象によってそれが危うくされている例(トルコ、チュニジア)をとりあげ、政教分離派が大衆の支持を回復するには、「デモクラシーと人権のためのたたかいのチャンピオンとなる」ことが必要だ、と言う。彼によれば、そのことが、ヨーロッパでのイスラム系住民をめぐる問題についても、「西欧」と「新版・悪の帝国」の激突としてえがき出される状況をのりこえる展望がひらけるだろう、というのである。(62頁)
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ジル・ケペルの原著をみればわかるはずですが、「デモクラシーと人権のためのたたかいのチャンピオンとなる」の「チャンピオン」は、首相の英語演説の外務省訳「チャンピオン」とおそらく同じで、完全な誤訳ではあるまいか。この訳では、政教分離派がデモクラシーと人権のためにネオ共同体主義的に再イスラム化した大衆を張り倒して勝つんだ、というような意味になってしまい、ジル・ケペルがそんな馬鹿げたことを言うとは思えないですね。大丈夫ですか、樋口先生、と少し不安になりました。
フランス語の champion にも、英語と同様、(主義・信条の)擁護者という意味があり、ロベール仏和大辞典には、Bossuet s'est fait le champion de la monarchie(ボシュエは君主制の擁護者になった) 、という例文があります。

補遺
『憲法と国家』には、
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「普遍主義者」のチャンピオンともいうべきエリザベート・バダンテール(作家)は、「病より悪い薬」(「悪より悪い救済」と訳してよい)と題して・・・(119頁)
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という文があり、この「チャンピオン」は「第一人者・ナンバーワン」であろうが、「デモクラシーと人権のためのたたかいのチャンピオンとなる」の「チャンピオン」を、それと同じとすると、意味は取れなくはないが、変ですね。したがって、ジル・ケペルのいう「チャンピオン」は、?選手権保持者、?一流選手、?第一人者、いずれでもなく、?擁護者と思われるが、残念ながら、「チャンピオン」という日本語に?の意味はないですね。
https://en.wikipedia.org/wiki/%C3%89lisabeth_Badinter
エリザベート・バダンテールに関して、ウィキには、
According to Forbes, she is one of the wealthiest French citizens with a fortune of around 1.8 billion dollars in 2012.
とあり、「普遍主義(universalisme)」とは無関係ながら、1ドル100円換算で1,800億円の資産ですね。
https://en.wikipedia.org/wiki/Publicis
父親が創設した広告会社の大株主のようで、Publicis Groupe は、日本で言えば、電通とか博報堂になりますか。樋口氏が「「普遍主義者」のチャンピオン」と言ったのは、思想よりもむしろ広告業を指しているのかもしれません。彼女の本業は Publicis Groupe の Chairman of the supervisory board で、作家や歴史家やポリテクの教授などは副業にすぎず・・・なんとも優雅な人生です。
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