▲ワルシャワ大公国
●フランス(第一帝政)
The Peace of Tilsit is signed between France, Prussia and Russia. Napoleon and Russian Emperor Alexander I ally together against the British.
否応(いやおう)無しに 散る終る。
1807年 ティルジット条約
ワルシャワ大公国
1806年、ナポレオンは西南ドイツ諸国にライン同盟を結成させ、神聖ローマ帝国は消滅。
これによってフランスの覇権は中部ドイツに及ぶことになった。
これは領域を接するプロイセンに危機感を抱かせ、開戦の決意を固めさせた。
プロイセンは、ロシア・イギリスなどと第4回対仏大同盟を結んだが、
ナポレオンはイエナの戦いでプロイセン・ロシア連合軍を破り、翌1807年ティルジット条約を結んだ。
この条約でナポレオンはプロイセンに領土を割譲させて、3次にわたる分割(1772年・1793・1795年 七つ無くさん 泣く如く。)で独立を喪失していたポーランドにワルシャワ大公国を建て、大陸の大部分を支配下においた。
しかし、ワルシャワ大公国はナポレオンが1812年にロシア遠征に失敗した後、プロイセンとロシアに占領された。
そしてウィーン会議で、かつてのワルシャワ公国の大部分の地域が、ロシア皇帝を王とするポーランド立憲王国として再建されることとなった。
テストにゃ出ぬが…イエナに入城するナポレオンを迎える市民の中に、当時イエナ大学で教授を勤める哲学者ヘーゲルがいた。ナポレオンを見たヘーゲルは「世界精神が馬に乗って通る」と評した。