ベック式!難単語暗記法ブログ

質の高い暗記法、芸術的なゴロ合わせ、感動の記憶法をあなたに!抜群に効果的な実例満載!

1783年 〈パリ条約〉★★

2013-12-22 | 『新世界史頻出年代暗記』

▲イギリス使節団の絵画。この絵は自国の敗北を恥じた使節団がポーズを拒否したため、未完成となっている。

●アメリカ(アメリカ合衆国)

Treaty of Paris: A treaty between the United States and the Kingdom of Great Britain is signed in Paris, ending the American Revolutionary War.

ひと悩(なや)みして さっぱりと。

1783年    ミシシッピ川以東のルイジアナ パリ条約 独立承認

 

1777年、サラトガの戦いで独立軍は優勢に。

フランス・スペイン・オランダも参戦し、1781年のヨークタウンの戦いで米仏連合軍が決定的に勝利した。

1783年、イギリスはパリ条約を締結し、アメリカの独立を認め、ミシシッピ川以東のルイジアナをアメリカに割譲。

ミシシッピ川以西のルイジアナはスペイン領だったが、その後フランス領となり、1803年にアメリカが買収した。

 

 《ルイジアナ》  

ラ=サールがルイ14世にちなんで命名したルイジアナは1763年のパリ条約(七年戦争・フレンチ=インディアン戦争における英仏間の講和条約)でミシシッピ以東がイギリス領、以西はスペイン領となった。

1783年、アメリカ独立戦争の講和条約であるパリ条約でミシシッピ以東のルイジアナはアメリカに割譲され、1803年にはナポレオン1世によってフランス領とされたミシシッピ以西のルイジアナを買収し、アメリカの領土は約2倍になった。

《これらルイジアナ領有に関する年代がちょうど20年ごとであることに着目すれば随分覚えやすいはず。しかも2つの条約はどちらも「パリ条約」だし!》

▼ルイジアナ買収の対象地域(緑) 地図と州区分は21世紀のもの


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1789年 〈フランス革命〉★★★

2013-12-22 | Weblog

▲バスティーユ牢獄の襲撃 

●フランス(ブルボン朝)

The French Revolution begins: Citizens of Paris storm the Bastille and free seven prisoners. In rural areas, peasants attack noble manors.

非難(ひなん)爆発 フランス人。

1789年 バスティーユ牢獄襲撃事件

               フランス革命 人権宣言 

旧制度アンシャン=レジーム)下、フランスはアメリカ独立戦争への援助によって財政が破綻。

1789年5月に開かれた三部会は議決の方法をめぐって意見が衝突し、第三身分は国民議会を発足。

パリ民衆はバスティーユ牢獄を襲撃してフランス革命が勃発。

8月、国民議会は人権宣言を採択した。


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ベック式!高校受験英文法が完全に理解できる暗記術

2013-12-22 | 高校受験英文法が完全に理解できる暗記術

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「ベック式!高校受験英文法が完全に理解できる暗記術」がついに登場!

例えば「肯定文ではsomeを、否定文ではanyを用いる」という重要文法事項を

皇帝サムはひでぇにぃ。」という、短く、リズムもよくとても覚えやすいゴロ合わせで簡単に覚えてしまえる優れもの。

また「~しなければならない」という意味の助動詞 must の暗記法は

マストは普通上げなけりゃ」となっているのです。

おわかりでしょうか、must が「~しなければならない」という単語の意味に加えて「はふつう」の部分は、この単語が have to に書き換えられることを覚えられるようになっているのです。


 この紹介文にある例をご覧になっただけで、この教材の凄さがおわかり頂ける通り、

中学英文法学習における革命的教材です。

 英文法の苦手な人から、難関高校受験者までを対象とし、

必ず短時間で目に見える成果をもたらします!

【ベック式!高校受験英文法が完全に理解できる暗記術】


1791年 〈ヴァレンヌ逃亡事件〉★★

2013-12-22 | 『新世界史頻出年代暗記』

▲ヴァレンヌからパリへ連れ戻される国王一家

●フランス(ブルボン朝)

The Royal Flight to Varennes; Louis ⅩⅥ’s flight fails at Varennes. 

人泣く昼に 逃げてバレ。

1791年 ピルニッツ宣言 

       ルイ16世 ヴァレンヌ逃亡事件 

1791年、ルイ16は王妃マリー=アントワネットに動かされ、逃亡をはかったが、フランス東部のヴァレンヌで捕えられてパリに連れ戻された(ヴァレンヌ逃亡事件)。

フランスにおける国王の権威は失墜し、共和派が台頭して立憲王政成立の見込みがなくなっただけでなく、反革命側にルイ16世がいるという認識が広まったことは国王処刑の原因にもなった。

この事件後、マリー=アントワネットの兄でオーストリア皇帝のレオポルト2世とプロイセン王フリードリヒ=ヴィルヘルム2世はフランス王権の回復を求めるピルニッツ宣言を発表。外交辞令に過ぎなかったが、フランスの革命派と亡命貴族には最後通牒であると誤解されて逆効果となり、革命戦争への第一歩となった。

フランスでは1791年憲法制定により、10月に立法議会が召集され、翌年ジロンド派内閣はオーストリアに宣戦布告をした。

▼脱出時の王妃(1791年) 逃亡の慌ただしさの中で描かれ、顔以外は彩色されず未完成である