□古代36.(きゅうと)(1) ◇B
[ゴロ]岡の吹き流しが/川原に落つ
(飛鳥岡本宮・飛鳥板蓋宮(いたぶきのみや)・難波長柄豊碕宮(ながらとよさきのみや))(飛鳥板蓋宮)(飛鳥川原宮(かわはらのみや)・近江大津宮)
[句意]岡の吹き流しが川原に落ちた、という句。2都目の板蓋宮の「蓋」は(ふき)ではなく「蓋然性」「天蓋」「無蓋車」などの読み(がい)を使っています。
[ポイント]
1.飛鳥岡本宮→飛鳥板蓋宮→難波長柄豊碕宮→飛鳥板蓋宮→飛鳥川原宮→近江大津宮→(飛鳥浄御原宮→藤原京→平城京)の順で遷都した。
[解説]
1.飛鳥岡本宮は舒明天皇(位629~641)の都だった。
2.飛鳥板蓋宮は、皇極天皇(位642~645)の都。645年7月10日(皇極天皇4年6月12日)に発生したクーデター(乙巳の変)の舞台となった。
3.難波長柄豊碕宮は、乙巳の変後の652年、孝徳天皇(位645~654)が遷都した。しかし天皇と中大兄皇子とが不和になり、皇子は母皇極など多くの宮廷人を連れ故地板蓋宮に移る。天皇は難波で寂しく死去。
4.孝徳天皇の没後の654年、中大兄皇子の母皇極は重祚し斉明天皇(位655~661)となり、飛鳥板蓋宮が都となる。
5.654年の末に板蓋宮が焼失したため天皇は飛鳥川原宮に遷都。
6.唐・新羅連合軍の侵攻を恐れた称制中の中大兄皇子は、667年に都を内陸の地近江大津宮に移し、翌年に即位して天智天皇(位668~671)となる。
7.なお近江大津宮と紫香楽宮だけは畿内(五畿)外の近江国すなわち東山道にあった。
〈2012立大・全学部(理は除く)
5.4世紀末からヤマト政権は朝鮮半島への武力進出を進めるが、7世紀後半に半島での戦いに破れ、軍隊を引くこととなった。その結果、対馬の金田城から九州、さらに瀬戸内海沿岸そして畿内にかけて朝鮮式山城などの各種防衛施設が造られることとなった。667年、都が( ロ)から近江大津に移動したのもそうした動向と関連するとされている。」
A 文中の空所(ロ)にあてはまる適当な語句を、次のa~dから1つずつ選び、その記号をマークせよ。
a.飛鳥 b.恭仁
c.紫香楽 d.難波」
(答:a)〉
〈2012立大・経済(経済政策)・法・異文化コミュ
孝徳天皇が死去すると、皇極天皇が重祚して斉明天皇となった。このころ、朝鮮半島では戦乱が続いており、660年には、唐が新羅と結んで( ハ )を滅ぼした。朝廷は、( ハ )の復興を支援するための出兵を決め、既に高齢であった斉明天皇も、出兵の拠点となる〈 い 〉宮に移るが、斉明天皇は飛鳥を離れたこの地で死去してしまった。」
A.文中の空所(ハ)あてはまる適当な語句をしるせ。
B.文中の空所〈い〉にあてはまる適当な語句を、次のa~dから1つずつ選べ」
a.朝倉 b.大津
c.紫香楽 d.難波」
(答:ハ百済、いa)〉