父は先月 八十二歳になりました。
先週の月曜日 夕方 母から 「週末から体調が良くなかった父を病院へ連れていくと すぐに 車いすに乗せられ そのまま入院となった」 と電話が入りました。
足がパンパンにむくみ 腹水がたまっているというのです。
腹水の言葉に ピーンと反応してしまいました。
私の実母が 27年前、半年足らずの闘病の果てに 腹水やガスがたまり始め 苦しみながら亡くなったのは それから一月ほどのことだったからです。
父とは 入院する二日ほど前も 電話で話していました。 自転車を修理してもらい 近くのショッピングモールに買い物に来ていると 動ける自分が嬉しそうでした。
そんな父がわずか二日で 腹水がたまり 緊急入院とは!
入院した後は 容体も落ち着いて 病院から 妹とも電話で話も出来ていましたが、自分でも腹水がたまっていると 言ったそうです。
私と妹は ネットで 腹水のキーワードで検索し 父は長くても余命三カ月、早ければ一週間と 先を読まざるを得ません。
最初の病院から 循環器内科の充実している専門病院へ転院すると、担当医が 今後の手術を含めた事を 娘の私に話したいとのことです。
いつものことながら まずは 私が 鹿児島へ帰りました。
父は 動くと胸が痛くなると 不安がっていましたが 思ったよりは 落ち着いていました。
帰省した日、父も含めて 担当医から 病気の説明です。
父の今回の症状は 不安定狭心症というものでした。
父は 冗談の好きな人で よく自分の病気の多さを 「婦人科と小児科以外は 全部悪い」 などと 言っていたのですが、 さらに もう一つ 病名が加わってしまいました。
三十代半ばに発病した 糖尿病。 最近は その合併症 そして 一年半前に 脳出血、痴呆ももちろんあります。 気管支拡張症は なんと二十代からの持病です。
体が弱く 持病があったゆえに 用心して ここまでこれた感があります。
担当医は 今後の治療方針として 二つのプランを説明してくれました。
一つは 心臓カテーテルで オペをし、原因を突き止めて対処するプラン。
もうひとつは オペ無しで 薬により 症状を緩和させるプラン。
心臓カテーテルで 細くなった動脈を広げると 呼吸が楽になったり 動きが楽になるし、 そんなに大きな手術でもないと その方面に詳しい身内から聞いていて 私も父も 担当医から詳しい説明がある前は 少々乗り気でした。
これから 頻繁に 発作のような症状が出て そのたびに 八十が近い母が 父の対応をするのも 可哀そうで、 心カテで 症状が緩和されるなら 父も楽だろうし 母も苦労が減るだろうと考えたのです。
ところが 父のように 糖尿病歴が長く 血管も老化していると 心カテは リスクが高くなるとの説明です。 腹部の動脈が 細くなっていると カテーテルを通すと 血栓が起きる可能性も高くなり、 寝たきりになったり 場合によっては 命にかかわる場合もとのことでした。
何よりも オペ後 6時間ほど安静にして 体を動かさないようにすることは 肉体的にかなりきついとの説明でした。
また 「八十二歳と 平均寿命を超えた父としては 心カテはせずに、狭心症で 心不全を起こすのも 寿命と考えてはどうですか。 もちろん どうしても心カテしたいとのご希望であれば 本人や家族の希望通りにいたしますが」 と言われました。
このもの言いには ちょっとびっくりして (ここまで 歯に衣着せずに言うものですか) と 内心思ってしまいました。
もちろん 担当医の説明には 十分納得できたので 父も私も その場で 心臓カテーテルのオペは必要ありませんと 薬による治療を選択したのです。
担当医との面談の時間は 母と担当医で話して決めていたのに 母がその場に着たのは 説明が終わり 父の今後の治療の選択が決まったあとでした。
さすがに 父もショックを隠しきれません。 痴呆があると言っても 携帯電話をかけたり 車を運転して 近くに買い物に行ったり 動作がのろくなったとはいえ、風呂もトイレも食事も一人で出来ます。
話したいことの言葉がすぐに出てこなくなったのが 自分でもじれったいようですが、ゆっくりと付き合えば ほぼ普通の会話は出来ます。
その夜 私は 父に 「今までのように 田舎に帰って 庭の手入れをしたりすることは出来なくなるかもしれないけど、用心して 無茶をしなければ 急にどうっということないわよ。 先生の処方した 薬も効いてくるだろうから」 と 慰めて 病院を出たのでした。
私としては 父母が どうして 腹水やら 胸水がたまっていると 私や妹に説明したのか 全くわからなかったものの、 ちょっとだけ 一安心でした。
妹にも電話で説明すると ほっとして 妹の帰省は 見合わせることになりました。
話は 変わるのですが、 ブログを書くとは 自分にとってなんと平和な日常の綴りなのだろうと 今回つくづく思っています。
携帯電話からも これまで投稿したことはあるものの 今回帰省中は そのような事の為に 携帯をいじる気になれませんでした。
和裁のことで 色々と勉強させていただいたさかピーさんのサイトが 突然 休眠状態になったのも ご子息の突然の死であったことが 私のブログへコメントをいただいたことからわかりました。
私にも 何人かの お気に入りのブログがあり、更新を楽しみにしています。
そして 更新されるということは ブログを綴る人の平穏無事な生活があるということなんだと 改めて思っています。
先週の月曜日 夕方 母から 「週末から体調が良くなかった父を病院へ連れていくと すぐに 車いすに乗せられ そのまま入院となった」 と電話が入りました。
足がパンパンにむくみ 腹水がたまっているというのです。
腹水の言葉に ピーンと反応してしまいました。
私の実母が 27年前、半年足らずの闘病の果てに 腹水やガスがたまり始め 苦しみながら亡くなったのは それから一月ほどのことだったからです。
父とは 入院する二日ほど前も 電話で話していました。 自転車を修理してもらい 近くのショッピングモールに買い物に来ていると 動ける自分が嬉しそうでした。
そんな父がわずか二日で 腹水がたまり 緊急入院とは!
入院した後は 容体も落ち着いて 病院から 妹とも電話で話も出来ていましたが、自分でも腹水がたまっていると 言ったそうです。
私と妹は ネットで 腹水のキーワードで検索し 父は長くても余命三カ月、早ければ一週間と 先を読まざるを得ません。
最初の病院から 循環器内科の充実している専門病院へ転院すると、担当医が 今後の手術を含めた事を 娘の私に話したいとのことです。
いつものことながら まずは 私が 鹿児島へ帰りました。
父は 動くと胸が痛くなると 不安がっていましたが 思ったよりは 落ち着いていました。
帰省した日、父も含めて 担当医から 病気の説明です。
父の今回の症状は 不安定狭心症というものでした。
父は 冗談の好きな人で よく自分の病気の多さを 「婦人科と小児科以外は 全部悪い」 などと 言っていたのですが、 さらに もう一つ 病名が加わってしまいました。
三十代半ばに発病した 糖尿病。 最近は その合併症 そして 一年半前に 脳出血、痴呆ももちろんあります。 気管支拡張症は なんと二十代からの持病です。
体が弱く 持病があったゆえに 用心して ここまでこれた感があります。
担当医は 今後の治療方針として 二つのプランを説明してくれました。
一つは 心臓カテーテルで オペをし、原因を突き止めて対処するプラン。
もうひとつは オペ無しで 薬により 症状を緩和させるプラン。
心臓カテーテルで 細くなった動脈を広げると 呼吸が楽になったり 動きが楽になるし、 そんなに大きな手術でもないと その方面に詳しい身内から聞いていて 私も父も 担当医から詳しい説明がある前は 少々乗り気でした。
これから 頻繁に 発作のような症状が出て そのたびに 八十が近い母が 父の対応をするのも 可哀そうで、 心カテで 症状が緩和されるなら 父も楽だろうし 母も苦労が減るだろうと考えたのです。
ところが 父のように 糖尿病歴が長く 血管も老化していると 心カテは リスクが高くなるとの説明です。 腹部の動脈が 細くなっていると カテーテルを通すと 血栓が起きる可能性も高くなり、 寝たきりになったり 場合によっては 命にかかわる場合もとのことでした。
何よりも オペ後 6時間ほど安静にして 体を動かさないようにすることは 肉体的にかなりきついとの説明でした。
また 「八十二歳と 平均寿命を超えた父としては 心カテはせずに、狭心症で 心不全を起こすのも 寿命と考えてはどうですか。 もちろん どうしても心カテしたいとのご希望であれば 本人や家族の希望通りにいたしますが」 と言われました。
このもの言いには ちょっとびっくりして (ここまで 歯に衣着せずに言うものですか) と 内心思ってしまいました。
もちろん 担当医の説明には 十分納得できたので 父も私も その場で 心臓カテーテルのオペは必要ありませんと 薬による治療を選択したのです。
担当医との面談の時間は 母と担当医で話して決めていたのに 母がその場に着たのは 説明が終わり 父の今後の治療の選択が決まったあとでした。
さすがに 父もショックを隠しきれません。 痴呆があると言っても 携帯電話をかけたり 車を運転して 近くに買い物に行ったり 動作がのろくなったとはいえ、風呂もトイレも食事も一人で出来ます。
話したいことの言葉がすぐに出てこなくなったのが 自分でもじれったいようですが、ゆっくりと付き合えば ほぼ普通の会話は出来ます。
その夜 私は 父に 「今までのように 田舎に帰って 庭の手入れをしたりすることは出来なくなるかもしれないけど、用心して 無茶をしなければ 急にどうっということないわよ。 先生の処方した 薬も効いてくるだろうから」 と 慰めて 病院を出たのでした。
私としては 父母が どうして 腹水やら 胸水がたまっていると 私や妹に説明したのか 全くわからなかったものの、 ちょっとだけ 一安心でした。
妹にも電話で説明すると ほっとして 妹の帰省は 見合わせることになりました。
話は 変わるのですが、 ブログを書くとは 自分にとってなんと平和な日常の綴りなのだろうと 今回つくづく思っています。
携帯電話からも これまで投稿したことはあるものの 今回帰省中は そのような事の為に 携帯をいじる気になれませんでした。
和裁のことで 色々と勉強させていただいたさかピーさんのサイトが 突然 休眠状態になったのも ご子息の突然の死であったことが 私のブログへコメントをいただいたことからわかりました。
私にも 何人かの お気に入りのブログがあり、更新を楽しみにしています。
そして 更新されるということは ブログを綴る人の平穏無事な生活があるということなんだと 改めて思っています。