昭和59年3月の今日、母は57才で亡くなりました
20代だった私も妹も、母の生きた年をとっくに超えてしまいました
10年前の4月に亡くなった父は、その前の年まで欠かすことなく母の供養をしてきました
その後を継いだ私は、ありがたい事にいつもトトさんも一緒にお寺通い
節目節目の法要は家にお寺から来ていただいていますが、それ以外はお寺に行きお経を上げてもらっています
住職さんも、母が亡くなってから5代目です
亡くなって36年も経っているので、お布施に母の名前と亡くなった年の日付を小さく書くようにしました
父は、亡くなった人の供養をとても大事にする人でした
三十三回忌も過ぎたのに、まだ命日にお寺に行くのは父の気持ちを汲んでのこともあります
妹からも毎年お供えが届きますし、私が元気な間は続けるだろうと何となく思っています
一方、トト様の実家では、義父の七回忌の法要は自宅でありました
でも毎年の命日や節目の供養はありません
こればかりは、トトの母様と義兄夫婦の考え方なので従うばかり
母様の所に行った時は、仏前にお線香をあげますが、あとは命日とお彼岸やお盆に墓参りするだけです
我が家の墓は、古い地域なので集落の共同墓地で徒歩で500メートルほど
ほぼ毎日夕方、ベス🐕🦺の散歩で墓にも立ち寄って、花にペットボトルの水を継ぎ足したりしてくれています
出来た婿殿だ😊
と、ご機嫌よく自画自賛することがありますが、婿殿ではないし
乗っ取りだぁ‼️と、私も茶化して言い返すことも
でも、深く感謝しています
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
来年普段着の着物で行くお寺ですが、今朝はかなり雨が降っていました
久しぶりに洋服で
そこで久しぶりにパールのネックレスをつけました
こちらに住むようになって初めての着用で、どこにしまい込んだか、すぐに出てきません
グレイの貝パール?のネックレスが結局見つからず
本真珠にしました
こういう時でもないと、パールのネックレスも出番もないのが残念です
お母様はまだまだお若くして亡くなられたんですね。いろいろな思いもおありだったことでしょう。
でもお父様が丁寧に供養され、それをまた引き継いでおられて、きょうはとてもいいお話を読ませていただきました。
我が家の姑様はもうすぐ98歳、寝たきりになりましたが、長く生きるのもそうでないのも人の運命、改めて悔いのない毎日をと思いました。
グレーのネックレス、出てくるといいですね。
コメントありがとうございます
母は姑舅を自宅で看取り、実母も近くの病院に入院させて毎日通い看取りましたが、その2年後に病死しました
子供も結婚し、これから自分たちの人生を楽しもうと色々計画を立てていたのに・・・可哀想でした
母の早すぎる死は、私のその後の生き方を変えています
蟻よりキリギリス的に
お姑様を思うお連れ合い様の気持ちは、やはり一日でも長く生きていてほしいという事でしょうね