函館空港でレンタカーを借りて 息子と別れここからは別行動。 さてどうするか?
行きたいところどこだ?自問自答しながらコースを決める。 どのくらい時間がかかるか検討もつかない。 お星様の形のお城 あそこいってみよ
空港からの道はさほど遠くないものの 真っ白 え~~ どうしたこと? まるで雲の中に入っていくような感じなんですが 湯の川温泉の湯気? いぶかりながらナビ君の言うがまま 五稜郭タワーに
見上げると おっとっとっ! 転びそうだよ。それにしてもぼきっって折れないのかしらね?昔はどういうわけだかタワーが二本立っていたそうだけれど 息子の話だからそう昔でもないか
戊辰戦争最後の場所五稜郭
日米和親条約により函館が開港される。そのため防衛力の強化と役場の移転問題を解決するために徳川家定の命で作られたと言うことだった。
いわゆるお城ではなかったの? なぜこんな形? 上から見るお星様の形のお城はタワーから見ても フレームからはみ出すほどの広さだけれど 居住空間を取るのは難しそう。
真ん中が少しあるだけ。こんな形を当時の日本が知っていたはずもなく これはヨーロッパにまねたものだと。 ヨーロッパにこんなお城あったっけ? ってヨーロッパに城を知っているわけではないけれど 童話でも見たことがないかわいらしい形。
これは大砲での戦争が当たり前になって 守りやすさを重視した城なのだそうです。 死角を作らない。 砦を何重にもできる。 建物は高くしない などなど ヴォーバン式要塞だそうで 形の美しさとはかけ離れた性格を持った城だったんだね。 似たような城は長野県佐久市にもあるんだって。。。びっくりです。 松平一党の城だとかで 一度見に行かないと・・・
ここでたくさんの人が亡くなり 土方歳三は戦死 同じ志士でも榎本武揚はその後大臣にまでなっていると言う
良いか悪いか 私にはわからない。 このころのことは いろんな立場でドラマになったり 歴史検証がされたりで見方によってどんな風にも取れるので どうしてもわからない。
今竜馬伝を見ていても 切なくなることがいっぱい。おかしいと思っても道を変えることができなかった人や 主君にはまったく期待されていないし 疎まれてさえいるのに 何とか役に立てないかと熱くなる若者 大変な時代だったのかもしれない。
函館山が見える。 ふもとには厚い霧がわき 白い帯を作っている。先ほど車で突入し驚いたものはあれだった。
「函館では毎日あんなふうに霧が出るのですか?」お掃除をしているお姉さんに聞いてみる。 毎日と言うわけではないけれど このところ良くおきるのだそうで 海から上がる蒸気と空気の温度差がこんな現象を呼んでいるのではないかと。。。。
時に函館山は霧に浮かぶ天空の要塞のごとくなる。
360度の展望を楽しんだ後降りる。 カレーのいいにおい。
五島軒のカレーではないですか? 匂いにつられ 洋風建築を見たせいかここはカレーでしょ。。。。とカレーを食べる。
1400円だったかな? サラダに ビシソワーズの暖かいスープ(なぜか) オレンジラッシー
もっと辛くても良かったけれど 薫り高いおいしいカレーでした。
下に下りて公園内を歩きます。 食べたら歩く。。。でないと今回食べようと思っているものいっぱいありますからね。
夏の入り口? 藤や つつじがいっぱい咲いて歓迎してくれる。 近所ではあまり見ない色のつつじがいっぱいでした。
なんだか工事車両いっぱいで無粋な。。。と思ったら これがお城の中心 いわゆる役場があったところ 今再現されて もうすぐお披露目を含めてイベントがあるそうなのだけれど 今回は間に合わず。
つつじ越しにタワーを見る。 そうそう そういえばタワーの底がシースルーになっているところがあるんだって。 一周したけれど気づかなかった。良かった。
足元が透けているのはどうもねぇ・・・
これは武者返しだろうか? 大砲の戦いの時代に必要かどうかわからないけれど 石垣をするすると登っていっても 張り出したひさしは邪魔になるだろうな。
公園内の散策は 工事中というわけで全部見て回ることはできなかった。
それでも美しく咲き誇る つつじや藤を見ながらゆっくりした時間がすごせた。幼いときから その美しさからあこがれていた五稜郭。
実際には悲しい歴史の舞台だったけれど