・「モテる」「モテない」と結婚とは別問題です。・・・
先日も、卒業した教え子が「結婚することになりました」とあいさつに来ました。彼女は「私がこの先プロポーズされることは、そう多くないと思ったので、スパッと決断しました」と言いました。
潔い子だなと思いましたが、余裕のある人にはそういう決断がかえってできず、美人度の高い人がずるずると三十歳を超えていくというケースはよくあります。
・恋愛市場ではルックスによる不公平が生じますが、結婚相手を見つけるのであれば、それはあまり関係ないでしょう。
大切なのは自己認識力。自分を客観視できる能力です。
実践的恋愛観に定評のある二村ヒトシさんの著書にこんな言葉があります。「多数にモテても大して意味がない。自分の好きな人から好かれることを持てることだと考えようじゃないか」
・私は大学を卒業する二十代の女性をたくさん見てきました。生き方はそれぞれ本当に違うものだと思います。
そこからわかるのは自分の状況をしっかり認識し、決断をして人生を進めていくのが大切なのだということです。
・とりわけ男性は何かの活動を通して、そこで自分が輝くことによってモテたいと思います。「モテ」への欲求は思春期のみならず、末永く男性のエネルギーになるものなのです。
・経済的に豊かな人がモテる傾向は昔も今もあり、それは女性が経済的な後ろ盾を必要としているという事情があるからです。
・恋愛のロマンチックな高揚感を味わせてくれる男性は、恋愛市場ではとても強い。でも、その人と結婚するとなると別問題です。
恋愛の高揚感を味わせてくれなくても、年収600万円できちんと暮らしていける男性や、年収800万円で情緒が安定している男性のほうが、結婚市場では強くなります。
・愛することにおいては、愛の基本形をどこでどのように学んだかがとても重要です。それが愛する力になるからです。
・阿弥陀信仰の場合には、自分を苦しめる過剰な自意識や、あらかじめ定めれた運命に対する不条理感、納得できない思いなどを「自分ではどうにもできないもの」とし、阿弥陀様という絶対他力に委ねることによって、それらの問題や苦しみにけりとつけてしまうわけです。
・自己中心的ではなく、相手のためを思って行動できれば、愛の領域に入った感じになると思います。
・40年間の恋歌の記録
愛を生き切る夫婦の例として挙げたいのは、ともに歌人の河野裕子さんと永田和弘さんの物語です。
「たとえば君ガサッと落葉すくうように私をさらって行ってくれぬか」
「『この家にあなたは住んでいない』と不意にしずかな声に言いたり」
「ごはんを炊く 誰かのために死ぬ日までごはんを炊けるわたしでゐたい」
「一日に何度も笑ふ笑ひ声と笑ひ顔を君に残するため」
「あの時の壊れたわたしを抱きしめてあなたは泣いた泣くより無くて」
「白木槿(むくげ)あなただけは良ひ残す私は妻だったのよ触れられもせず」
「この人を殺してわれも死ぬべしと幾たび思ひ幾たびを泣きし」
「歌は遺り歌に私は泣くだろういつか来る日のいつかを怖る」
「さみしくてあたたかかりきこの世に会い得しことを幸せと思ふ」
お二人は40年に及ぶ結婚生活の中で、河野さんは500余、永田さんは470首ほど、つまり二人合わせて千首近くの相聞歌をつくってきました。
・作家の宇野千代は『人生劇場』で有名な尾崎士郎を見た途端に恋に落ち、北海道に夫を残したままそのまま一緒に暮らし始めてしまいました。
・傷つくことに慣れる
付き合いを積極的に始めないのは、傷つくのが怖いということもあるでしょう。告白して断られたら傷つくし、それを癒すのに時間がかかるので、告白することに悩む人は結構います。
・一人の人間を愛することをきっかけにして、より普遍的な愛を学んでいくプロセスが始まるということです。
・愛自体は根源的な欲求でもあると同時に、愛されているということで、生きていく気力、仕事をする気力、勉強する気力など、いろいろな気分が湧いてくるものです。
・愛されることを体感的に知っていれば、他人を愛することができるようになります。それを阻む問題は二つあります。
①愛された経験のない人が、どのようにして人を愛することができるようになるのかとという問題。
②愛されたはずなのに、愛されるという受動的な状態しか受け入れられず、自分から愛することができないという問題です。
・「愛する」ということは、相手を自分緒欲求のために利用する、ギブ・アンド・テイクの「テイク」だけの自己中心性から離れ、相手のために何かをするように変わっていくことだと考えられます。・・・
自分が食べるよりも、相手のおいしそうに食べる表情を見ているほうが好き。そんな気持ちがあるなど、自己中心性から離れていくことが愛なのだろうと思います。
感想;
人を好きになる。誰かを愛する。
きっとキャンパスに彩を加えるのかもしれません。
でもそれによって人生が上手くいくだけでなく、人生が狂うこともあります。
まさに「虎穴に入らずんば虎子を得ず」で、虎子を得る前に虎に食べられたり、大けがを被ることもあるでしょう。
大切なことは自分がやりたいことにチャレンジし、失敗してもそこから何かを得て、次に何かにチャレンジしていくことなのでしょう。
そしてもっと大切なことは愛されるより愛することなのでしょう。