まさあきと呼ぶが読めない人が多くせいようと。父が住職だった。
1968年生まれ、早稲田大学在学中に文学座に。
茶目っ気たっぷりな側面にサワコさんが惹きこまれる。
トーク番組は落ち着かない。芝居しているつもりで。
横浜出身。海の無い周りは田んぼ。父が住職。姉二人。住職になる予定。躾は厳しい。食事の時の作法は厳しかった。食事の前に五感おしょを唱えてから食事するとか。
父と二人で九州旅行。予定も立てずに旅行するタイプだった。父は怖かった。砂利の上に正座させられたこともある。げんこつも。お仕置きがあった。お寺の中でも長的な役割だったので。自分でも後を引き継ぐものだと思っていた。
父が庭に鉄棒を作っていて、毎日やれと言われていた。なので身体は筋肉質だった。でも小児喘息やっていたので。俳優になるとは思わなかった。人前に出るのも苦手。
1曲目。ブルーハイツ「未来は僕等の手の中に」
お寺の跡取りとの気持ちが常にひっかかっていた。いつか自分も羽ばたきたいと思っていた。この歌が自分を解放してくれるような気持になった。
わかい。あの時のエネルギーを思いだす。父に引き継がない言うときに、じゃ何をやりたいのかが見つからなかった。早稲田の政経だったのでジャーナリストになりたいと思う気持ちもあった。英語が好きだったので、国際的に飛び回りたいと。
卒業するときに単位を落とした。英語サークルで英語を使って劇をすることに熱中してしまった。演劇やっている人を何をやっているのかと思っていた。
英語での表現「Oh my God!」と言えない。英語では表現できないことに気づいた。留年することになり、だったら文学座で1年勉強してきたらと先輩が言ってくれた。模索していた。
英語劇やっていたので変な癖が付いていた。舞台もたくさん経験してきた。一人芝居をやることになった。女優引き立てるために生瀬さんと私がいたようだった。
井上ひさしの作品は「箱根強羅ホテル」を初めて。脚本が来るのが遅い。稽古期間の2/3ぐらい過ぎてから。一週間前に少しずつ来た。前日にきれいな原稿を貰った。初日開けても朝練をやった。曲本が素晴らしい。できたら早く書いて欲しかった。
いつか一人芝居をやりたいと思っていたので、これだと。
俳優を天職だと思ったのは? 半ばまでは思えなかった。
自分がこの道と決めているので、この道だと戦えるかと。
自分の弱さと戦っている。役者をやっていれば戦える。一つのお芝居の役を受けると、真剣にやっている。待ち時間のときも芝居のことを考えている。いい意味で役者バカ(ブラックペアンの監督)。嬉しいです。役作りを掘り下げたい。
タナゴを飼っている。サービスエリアでタナゴを売っていて、迷った末に飼った。魚の泳ぎに癒される。
2曲目は、ロケ先で知った。GLIM SPNKY「大人になったら」。メッセージ性がある歌。すっかりファンになった。コンサートに行った。
若い時こういうことがあった。皆が夢を追っている。自分はまだ何をしていいかわからない。そんな時代があった。ルッコラ、小松菜、ホウレンソウを育てている。
感想;
人生何がどうなるかわからないものです。
留年は失敗と思いがちです。
ところが留年したので、文学座に入って演劇の道を歩み俳優に。
人生に失敗はないのでしょう。
今その状況で何をするかなのでしょう。
一生懸命にやっていると道が開けてくるのだと思います。
人生に良い悪いの選択肢があるのではなく、選択した道を一生懸命に歩むかどうかなのでしょう。
1968年生まれ、早稲田大学在学中に文学座に。
茶目っ気たっぷりな側面にサワコさんが惹きこまれる。
トーク番組は落ち着かない。芝居しているつもりで。
横浜出身。海の無い周りは田んぼ。父が住職。姉二人。住職になる予定。躾は厳しい。食事の時の作法は厳しかった。食事の前に五感おしょを唱えてから食事するとか。
父と二人で九州旅行。予定も立てずに旅行するタイプだった。父は怖かった。砂利の上に正座させられたこともある。げんこつも。お仕置きがあった。お寺の中でも長的な役割だったので。自分でも後を引き継ぐものだと思っていた。
父が庭に鉄棒を作っていて、毎日やれと言われていた。なので身体は筋肉質だった。でも小児喘息やっていたので。俳優になるとは思わなかった。人前に出るのも苦手。
1曲目。ブルーハイツ「未来は僕等の手の中に」
お寺の跡取りとの気持ちが常にひっかかっていた。いつか自分も羽ばたきたいと思っていた。この歌が自分を解放してくれるような気持になった。
わかい。あの時のエネルギーを思いだす。父に引き継がない言うときに、じゃ何をやりたいのかが見つからなかった。早稲田の政経だったのでジャーナリストになりたいと思う気持ちもあった。英語が好きだったので、国際的に飛び回りたいと。
卒業するときに単位を落とした。英語サークルで英語を使って劇をすることに熱中してしまった。演劇やっている人を何をやっているのかと思っていた。
英語での表現「Oh my God!」と言えない。英語では表現できないことに気づいた。留年することになり、だったら文学座で1年勉強してきたらと先輩が言ってくれた。模索していた。
英語劇やっていたので変な癖が付いていた。舞台もたくさん経験してきた。一人芝居をやることになった。女優引き立てるために生瀬さんと私がいたようだった。
井上ひさしの作品は「箱根強羅ホテル」を初めて。脚本が来るのが遅い。稽古期間の2/3ぐらい過ぎてから。一週間前に少しずつ来た。前日にきれいな原稿を貰った。初日開けても朝練をやった。曲本が素晴らしい。できたら早く書いて欲しかった。
いつか一人芝居をやりたいと思っていたので、これだと。
俳優を天職だと思ったのは? 半ばまでは思えなかった。
自分がこの道と決めているので、この道だと戦えるかと。
自分の弱さと戦っている。役者をやっていれば戦える。一つのお芝居の役を受けると、真剣にやっている。待ち時間のときも芝居のことを考えている。いい意味で役者バカ(ブラックペアンの監督)。嬉しいです。役作りを掘り下げたい。
タナゴを飼っている。サービスエリアでタナゴを売っていて、迷った末に飼った。魚の泳ぎに癒される。
2曲目は、ロケ先で知った。GLIM SPNKY「大人になったら」。メッセージ性がある歌。すっかりファンになった。コンサートに行った。
若い時こういうことがあった。皆が夢を追っている。自分はまだ何をしていいかわからない。そんな時代があった。ルッコラ、小松菜、ホウレンソウを育てている。
感想;
人生何がどうなるかわからないものです。
留年は失敗と思いがちです。
ところが留年したので、文学座に入って演劇の道を歩み俳優に。
人生に失敗はないのでしょう。
今その状況で何をするかなのでしょう。
一生懸命にやっていると道が開けてくるのだと思います。
人生に良い悪いの選択肢があるのではなく、選択した道を一生懸命に歩むかどうかなのでしょう。