平成エンタメ研究所

最近は政治ブログのようになって来ました。世を憂う日々。悪くなっていく社会にひと言。

「光る君へ」 第39回「とだえぬ絆」~きっとみんなうまくいくよ。惟規の楽天的で、あらがわない人生

2024年10月14日 | 大河ドラマ・時代劇
『みやこには恋しき人のあまたあれば
 なほこのたびはいかむとぞ思ふ』

「恋しき人」には恋愛以外の意味もあるのだろう。
 つまり大好きな人たち。
 姉上、父上、賢子(南紗良)、いと(信川清順)、乙丸(矢部太郎)……。
 惟規(高杉真宙)にはたくさんの好きな人がいた。
 まわりの人間も惟規のことが大好きだった。
 この性格は、いとが愛情を注いだ結果だろう。
 子供の頃の「愛情の貯金」は大切だ。

「きっとみんなうまくいくよ」
 惟規は楽天家であった。
 その基本姿勢は「なるようになる」
 がんばったり、抗おうとしたりしない。
 出世も姉と道長(柄本佑)のおかげで何となく出世してしまった。

 唯一、固執したのは斎院の中将(小坂菜緒)だろうか?
 多くを語らなかったが、斎院の中将の心変わりは痛手を負った様子。

 やわらかで軽快な生き方だったと思う。
 大好きな人がいっぱいで幸せだったと思う。
 
 そんな惟規と対照的なのが、同じく亡くなった伊周(三浦翔平)。
「俺は奪われ尽くして死ぬのか……!」
 最期まで権力と栄華と過去に固執し、憎しみの中で死んでいった。
「あの世で栄華を極めなさいませ」
 弟の隆家(竜星涼)のこの言葉が救いであったかもしれない。

 惟規の死は、まひろ・藤式部(吉高由里子)と娘・賢子の絆を結んだ。
 激しく泣くまひろに肩を添える賢子。
 賢子は母の人間らしさ、弱さを知った。
 哀しさがふたりを繋いだ。
 ……………………………

 敦康親王(片岡千之助)は完全に彰子(見上愛)のことが好きなようだ。
 彰子を見つめる姿はまさに『源氏物語』の桐壺に想いを寄せる光源氏。
 これを見た道長はまひろに
「敦康親王様はおまえの物語にかぶれすぎておられる」
 まひろはそんなことないといなすが、
 物語の主人公と自分を重ね合わせるのはしばしばあること。
 道長も『源氏物語』のエピソードに自分を見ているに違いない。
 まひろの物語はそれだけ力を持っている。

 敦康の気持ちに彰子がまったく気づいていない所が面白い。
 敦康にかけた言葉が、
「立派な帝におなりあそばすために精進なさいませ」

 一方、道長は敦康排除の動きに。
「俺の目の黒いうちに敦成が帝になる所を見たいものだ」
 さて、次回はそれで波瀾の様子。
 予告では彰子が激怒していた。


※追記
 為時(岸谷五朗)は賢子の父が道長であることを知らなかった!
 宣孝(佐々木蔵之介)はそれを受け入れていたことも知らなかった!
 何とも鈍い父上。
 このことを儀式の場で道長に伝えようとして目で合図を送ったり、
 謁見の場で惟規が道長に言い出すのではないかと心配したり、
 表情だけで笑いをつくってしまう岸谷五朗さんの芝居が素晴しい。

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「光る君へ」 第38回「まぶしき闇」~権力を持つことで生じる闇。呆然とする道長と涙するまひろ。

2024年10月07日 | 大河ドラマ・時代劇
「いかなる時も我々を信頼して下さる帝であってほしい。それは敦成様だ。
 家の繁栄のために言っているのではないぞ。
 なすべきは揺るぎなき力を持って民のため良き政をおこなうことだ」

 道長(柄本佑)は敦康親王(渡邉櫂)が帝だと自分の地位を揺るがす者が現れて、
 世が乱れると考えている。

 新たな懸念もあった。
 仲睦まじい彰子(見上愛)と敦康。
 この関係は、まさに『源氏物語』の藤壺と光源氏ではないか。
 今のままだと藤壺と光源氏のように彰子と敦康は密通してしまうかもしれない。
 だから敦康をすぐに元服させ、藤壺から追い出す必要があった。

 悩みながらも非情な決断を下さなければならない道長。
 そんな道長に伊周(三浦翔平)は──
「何もかもおまえのせいだー!」
 直接、呪詛されてしまう。
 伊周は呪詛を重ねて消耗し、頭がおかしくなっている。

・誰かを排除すること。
・誰かの恨みを買うこと。
 権力を持つとはそういうことなのだ。
 私欲ではなく、すべては民のため帝のためと考えていても、それは免れない。
 不満な者は必ず出て来る。
 いい人ではたちまち政敵からしてやられてしまう。

 伊周に憎しみを向けられて呆然とする道長。
 これに涙するまひろ・藤式部(吉高由里子)。
 憎しみを向けられるような存在に道長をしてしまったのは、他ならぬまひろなのだ。
 ふたりは、民のため世のためにそれぞれの役割を果たそうと誓い合った。
 ………………………………………………

 まひろも作家として上りつめた結果、周囲の人を失うことになった。
・娘の賢子(梨里花)。
・ききょう・清少納言(ファーストサマーウィカ)。
 あくまで現状の話で、関係は今後変わるかもしれないが、
 何かを得れば何かを失う。
 それが世の常だ。

 そんな中、彰子の女房・宮の宣旨(小林きな子)の言葉が胸にしみる。
「(働くのは)生きるためであろう?」
「今日もよく働いた。はやく休もう」

 世のため、民のため、帝のため、中宮様のため。
 これらを取っ払った所にある働く真実。
 すべては生きるため。
 人生はこれくらいシンプルであった方がいいのかもしれない。

 逃げた雀の話をした子供の頃のまひろと三郎のような姿がシンプルで幸せなのかもしれない。


※追記
 書くことの意味については、和泉式部(泉里香)が思い出させてくれた。
「書くことでおのれの悲しみを救うことができる」
「書くことで命を生き継ぐことができる」

※追記
 和泉式部はたくましい。
 藤壺に入ると、たちまち頼通(大野遥斗)に色目を使い始めた。
 迷うまひろとは対照的に、彼女は現実を楽しんでいる。

※追記
 清少納言は過去に生きているが、辛辣さは失っていない。
 まひろに会って、
「光る君の物語に引き込まれました」
「まひろさまは根がお暗い」笑
「光る君のしつこいいやらしさにあきれ果てました」笑
「男のうつけぶりを笑い飛ばしています」
 ここまでは毒舌も混じった作品論・作家論だが、この後がストレートパンチ!
 中宮・定子を否定する存在として、
「わたしは腹を立てておりますのよ、まひろ様に」
「源氏の物語を恨んでおりますの」
 怒りと恨みをぶつけた。

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「坂の上の雲」第2話「青雲」~何者でもなかった真之と子規は「軍人」と「文芸」の道を歩む決意をする

2024年10月06日 | 大河ドラマ・時代劇
『坂の上の雲』第2話「青雲(前・後編)」を見た。

 少年時代から青年時代に。
 秋山真之(本木雅弘)たちは自分の進路について考え始める。

 国家草創期の選ばれた青年たちの願いは次の言葉に集約される。
『朝ニアッテハ太政大臣、野ニアッテハ国会議長』
 しかし、真之たちは自分がそうなれないことに気づき始める。

 正岡子規(香川照之)は哲学・文学青年だった。
 しかし当時の価値観では──
『戯作小説のたぐいの世界に入るということは、官吏軍人学者といった世界を
 貴としとするこの当時にあっては生娘が遊里に身をしずめるような勇気が要った』
                            文庫版1巻195ページ
 そんな中、子規は真之と話をしてこう決意する。
「あしもな、淳さん、松山を出てくるときにはゆくゆくは太政大臣になろうとおもうたが、
 哲学に関心をもつにおよんで人間の急務はそのところにないようにおもえてきた。
 どうもあしにはよくわからんが、人間というのは蟹がこうらに似せて穴を掘るがように
 おのれの生まれつき背負っている器量どおりの穴をふかぶかと掘っていくしかないものじゃと
 おもえてきた」
 真之はこう答える。
「升(のぼ)さんのこうらは文芸じゃな」
 そして
「富貴なにごとかあらん。功名なにごとかあらん」
「立身なにものぞ」
 ……………………………………………………………

 では真之はどうか?
 真之はこのまま大学に入って官吏や学者になっても二流の官吏・学者にしかなれないと
 自己分析している。
 理由は「根気がない」からだ。「要領がよすぎる」からだ。
 真之は学問や学者についてこう考えている。
・学問は根気の積み重ねである。
・学問の世界で一流になれるのは根気と積み重ねとするどい直感力を持った学者だけである。
 これができないから真之は学者に向かないと考えている。
 そして自分は軍人に向いていると無意識に思っている。

 軍人に向いている理由を真之は言語化できないでいるが、
 相談を受けた兄・好古(阿部寛)はこう見ている。
『好古はこの弟のことを、単に要領がいい男だとはみていない。
 思慮が深いくせに頭の回転が早いという、およそ相反する性能が同一人物の中に同居している。
 そのうえ体の中をどう屈折してとびだしてくるのか、ふしぎな直感力があること知っていた。
(軍人にいい)
 と、好古はおもった』  文庫版1巻205ページ。

 子規も真之もしっかり自己分析して自分の道を決めている。
 自分と真摯に向き合っている。
 これに対し、普通の人は何となく就職して、安全な道を選んで生きていくって感じですかね?
 この違いは大きい。

 こうして真之と子規の、何者でもない、モラトリアムの青年期は終わった。
 これからは社会に所属する大人の世界に入っていく。


※追記
 人生の岐路で迷う真之と子規と対照的なのは好古だ。
 好古は家族を養うため、学問をするため、陸軍士官学校に入った。
 士官学校は給料がもらえて学費も無料なのだ。
 人生の岐路で好古は考えたり、迷ったりすることはなかった。
 現状を踏まえてより良く生きるにはそうするしかなかった。

 軍人の道に入ってからも好古は迷うことがなかった。
 真之たちのように「人間としてどうあるべきか?」と考えることなく、
「陸軍騎兵中尉秋山好古はどうあるべきか?」を考えて来た。

 好古は言う。
「おれは、単純であろうと思っている」

「人生や国家を複雑に考えていくことも大事だが、それは他人にまかせる。
 おれはそういう世界におらず、すでに軍人の道をえらんでしまっている。
 軍人というのは、おのれの兵を強くしていざ戦いの場合、この国家を勝たしめるのが職分だ」

「だからいかにすれば勝つかということを考えていく。
 その一点だけを考えるのがおれの人生だ。
 それ以外のことは余事であり、余事というものを考えたりやったりすれば、
 思慮がそのぶんだけ曇り、みだれる」

 実にシンプルでストイックで潔い生き方ですね。
 常人にこれはなかなかできない。

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「光る君へ」 第37回「波紋」~道長がおかしくなっている……。まひろも少しおかしくなっている……。

2024年09月30日 | 大河ドラマ・時代劇
 帝に贈る「源氏物語」の装飾本。
 その制作過程を丁寧に描いたことが素晴しい。
 きらびやかな紙、藤原行成(渡辺大知)ら能筆家による清書、女房たちの製本。
 平安時代の雅が味わえるし、彰子(見上愛)のワクワクな想いも、
 まひろ・藤式部(吉高由里子)の成功も同時に理解できる。
 完成した装飾本を見た時の一条天皇(塩野瑛久)のリアクションも気にかかる。
 ひとつのシーンに四つの意味を含ませる、見事な作劇だ。

 道長(柄本佑)はおかしくなっている。
 先回は皆の前で藤式部へ返歌をして空気が変になったのに気づかない。
 今回は──
「敦成親王は次の東宮になる御方ゆえ」
 道長は敦康のことを忘れている。
 敦成を東宮にすることは「敦康の排除」であることに気づいていない。
 藤式部が「次の?」と問うても
「警護が手薄なことをわかって忍び込んだということは、ただの賊ではないやもしれん」
 と、藤式部の疑問がまったく耳に入っていない。
 自分の行動にためらいや葛藤がなくなった道長はどこに行く?

 おそらくここで道長はいったん闇落ちするのだろう。
 何しろ敦康を排除しなければなりませんからね。
 権力は人を狂わせる。
 そんな闇落ちした道長をふたたび「光る君」に戻すのは、まひろなのだろう。
 今回登場した盗賊・双寿丸(伊藤健太郎)は「直秀」を想わせるから、
 双寿丸を通して道長はかつての自分を取り戻すのかもしれない。

 まひろも少しおかしくなっている。
 実家に帰って藤壷での自慢話。
 酔っているせいもあるが、まわりの空気がおかしくなっていることに気づいていない。
 そして「この家がみすぼらしく思えた」
 まひろは上級貴族の人間になってしまった。
 父・為時(岸谷五朗)は官位を得たことも当然のことのように思っている。
 環境は人を変える。
 そんなおかしくなったまひろを元に戻すのが賢子(梨里花)なのかな?

 彰子はますます覚醒。
 賊が入っても慌てず、「何事だ!?」「しばし待て」
「上に立つお方の威厳と慈悲に満ちあふれた行動」を取った。
 敦康の排除に対して彰子はどのように反応するのだろう?

 清少納言(ファーストサマーウィカ)の『源氏物語』のリアクションは次回にお預け。

 倫子(黒木華)は気づいているかどうかは不明だが、まひろに対する表情が今までと違う。
 ←逆にこれが怖ろしい……!

 いろいろ引っ張りますね。

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「光る君へ」 第36回「待ち望まれた日」~中宮・彰子、帝に愛され、母となり、覚醒する!

2024年09月23日 | 大河ドラマ・時代劇
 これが平安時代の高貴な方の出産なのか。
 鳴り響く読経。物の怪が憑依して狂う女たち。邪気払いの米。
 面白い。これを見るだけでも価値がある。

 中宮・彰子(見上愛)はいい顔になった。
 帝に愛され、母になり、役目を果たして、すっかり自信がついた様子。
 解放された人の表情はイキイキとしていて美しい。
 着物も青系統の色になった。
 このことで彰子の心の変化を表わした。

 まひろ・藤式部(吉高由里子)に対しては絶大な信頼を寄せているようだ。
「そなたがおればよい」
「すべては藤式部の導きに拠るもの」
 藤式部の言葉はスポンジが水を吸い込むように彰子の中に入って来ている。
「瑕(=欠点)こそが人をその人たらしめるものでございますれば」
「帝がお喜びになるお顔を思い浮かべ下さいませ」
 そして藤式部から漢籍の帝王学を学ぶ。
 このことが後の彰子に繋がるのだろう。

 倫子(黒木華)はふたつの点でショックだろう。
 自分が出来なかった、彰子の心を開くことを藤式部は見事にやってのけた。
「すべては藤式部の導きに拠るもの」
 と娘に言われたことは母親として心穏やかではないだろう。
 そして敦成親王の五十日の儀でバレてしまった……。
 道長(柄本佑)の心の中にいた女性は、まひろ・藤式部だった!
 夫と娘を奪われた倫子の心の中や如何に……?
 大貴族として鷹揚に受け入れることはできるのか?
 これまでもバレる機会はいくつもあったが、まさかここでバラして来るとはなぁ。
 脚本の大石静さん、意地悪だ。

 清少納言(ファーストサマーウィカ)も心穏やかではない。
 帝が夢中になる物語を書いている女房がいる。
 結果、道長の勢力はますます強くなり、帝の心は定子(高畑充希)を忘れて彰子に傾き始めた。
 その物語を書いている女房はまひろだった。
「伊周さま、わたくしもその物語を読みとうございます」
 清少納言の反応や如何に?
 今回の表情を見ると、波風が立ちそうだなぁ。
 脚本の大石静さん、倫子といい、今まで築き上げて来た人間関係を壊し始めた?

 そして後継者争い。
 彰子に皇子が産まれたことで、敦康親王の立場が危うくなって来た。
 彰子は「子が産まれても親王様を裏切るようなことはいたしませぬ」と言っていたが……。
 道長は誕生を喜びつつも「皇子であったか……」と困惑していたが……。
 敦康をめぐる悲劇が起こりそうだ。

 彰子の覚醒と皇子の誕生という光を描きながら、同時に今後の影を描く。
 永遠に続くと思われた明るい満月に暗雲が立ち込める。
 上手い作劇だなぁ。


※追記
 五十日の儀での公卿たちの所業は『紫式部日記』に描かれているらしい。
 公任(町田啓太)に「若紫はおいでかな?」とからかわれて、
 紫式部が「ここに光る君のような殿御はおりませぬから若紫もおりませぬ」と答えたこと。
 実資(秋山竜次)が女房の衣の数を数えていたのは、当時、倹約令が出ていて
 贅沢をしていないかをチェックしていたから。
 泥酔していても仕事をしている実資さま!笑
 
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「坂の上の雲」第1話「少年の国」~少年は青年になる。秋山真之も日本という国家も

2024年09月18日 | 大河ドラマ・時代劇
「坂の上の雲」第1回「少年の国」前・後編を見た。
 14年前の放送は見ているのだが、あの頃よりは少しは成長していると思うので
 改めて「坂の上の雲」を考えてみる。
 ………………………………………………………

 御維新を経て日本人は「国家」というものを意識するようになった。
 自分はその「国民」だと言われた。
 その「国民」は学問をして努力を続ければ、政治家・軍人・企業家など何にでもなれる、
 と言われた。

 このことは当時の人々にとんでもない高揚感をもたらした、と司馬遼太郎は考える。
 これが司馬遼太郎の「明治」に対する基本的な史観だ。
 確かに僕がその時代に生きていたら、ものすごくワクワクしていただろう。
・「村」という小さな世界に生きていた人間に「国家」という大きなものを突きつけられた。
・自分もその一員だと言われた。
・農民は農民として生涯を終えると思っていたのに、何にでもなれると言われた。
 このワクワクは現代に生きていても想像できる。

 秋山真之(本木雅弘)、正岡子規(香川照之)もこのワクワクを抱いて東京にやって来た。
 大学に入るために予備校に入る。
 そこで後に財務大臣・総理大臣になる高橋是清(西田敏行)に英語を習う。

 だが横浜の外国人居留地に行った時、真之たちは自分たちの「国家」の現実を知る。
 欧米の西洋人から「サル」と蔑まれている現実だ。

 外国人居留地で真之たちはこんな事件を目撃する。
 英国人が難癖をつけて日本の商人(蛭子能収)から鎧を奪い取ろうとしていたのだ。
「金を払って下さい……!」と懇願する商人に英国人は「これは盗まれたものだ!」と
 突っぱねて、鎧・兜を荷車に乗せる。
 なおも食い下がる商人の背中をステッキで叩く。
 この横暴に対して、真之は英語で次のように抗議する。

『イギリス紳士は博愛精神に富み、弱きを助け強きをくじく。
 常に法を拠り所にして犯罪や不正を憎み、正義を貫く』

 高橋是清の英語授業のテキスト『万国記』に書かれていた「英国人像」だ。
 英国人にとって、このフレーズは一般的なものらしい。
 言われた英国人は一瞬ひるむが、横暴をやめない。
 そこにひとりの人物が現れる。
「ひさしぶりに懐かしい言葉を聞きました」
 英国人の海軍大尉ジョーンズ(ブレイク・クロフォード)だ。
 ジョーンズは英国人にあるまじき行為をした英国人に謝るように言う。
 英国人にもまっとうな人がいるのだ。
 ジョーンズと真之は握手をする。

 事はこれで収まるが、真之は自分たちの国の課題を知る。
『治外法権』だ。
 犯罪を犯した外国人を日本人は裁けない。
『治外法権』に対して高橋是清は真之たちに言う。

「この国の法律と憲法をつくり国会を開く。
 国としての正義を世界に示すのです。
 日本が紳士の国だと世界に認めさせることができたら治外法権はなくなるでしょう」

 真之は日本の現実を知り、具体的に自分は何をすればいいかを考え始めた。
 少年のようなワクワクから現実的な行動へ。
 無邪気な少年は考え悩む青年になっていく。
「坂の上の雲」はこうした青年たちの成長物語でもある。

 そして、それが日本という国家の成長・成熟とリンクしている。
 物語は「少年の国」の時代から新たなステージへ。
 青年たちと日本国家はどのような道を歩んでいくのだろう?


※追記
 英国人のアイデンティティは──
『イギリス紳士は博愛精神に富み、弱きを助け強きをくじく。
 常に法を拠り所にして犯罪や不正を憎み、正義を貫く』
 日本人のアイデンティティはどんな言葉で表わせばいいのだろう?

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「光る君へ」 第35回「中宮の涙」~光る君の妻になるのがよい! 藤式部、そうなるようにしておくれ!

2024年09月16日 | 大河ドラマ・時代劇
「お上、お慕いしております!」
 まひろ・藤式部(吉高由里子)に自分を正直にぶつけてみたら、とアドバイスされて
 彰子(見上愛)が叫んだのが、この言葉!
 ストレートだな~。
 不器用だな~。
 平安人なら巧みな歌に自分の想いを偲ばせて……。
 でも、それができないのが彰子だ。

 彰子は帝への想いを隠せない。
『源氏物語』の紫の上が今後どうなるのか? を尋ねて、まひろが「考えています」と答えると、
「光る君の妻になるのがよい! 藤式部、そうなるようにしておくれ!」

「まるでわたしのようであった」というせりふもあったが、
 彰子はやっと『源氏物語』で自分を重ね合わせる人物を見出したようだ。
 それは無垢な少女の紫の上。
 それでいて帝には「ずっと大人でした」と言っていた。
 これはどういうことだろう?
 道長(柄本佑)の期待に沿うように生きてきたということだろうか?
 本当は嫌だったのに「仰せのままに」と入内を受け入れたことだろうか?
 ずっと帝に抱かれることを待っていたということだろうか?

 抑圧されていた人物が解放されていく姿を見るのは心地いい。
 感情が芽生え、顔がイキイキとして来るのを見るのは楽しい。

 というわけで、彰子様、もう他人の顔色をうかがうのはやめよう!
 嫌われたって、笑われたっていいじゃないか。もっと自分を出していこう!
 彰子様は十分に魅力的なのだから!
 
 彰子のもとを訪ねる時、一条天皇(塩野瑛久)は雪を見ていたが、
 あれは香炉峰の雪で楽しい時を過ごした定子(高畑充希)に別れを告げたのだろうか?
 …………………………………………………………

 その他、宮廷ではさまざまな恋愛模様。

 惟規(高杉真宙)と斎院の中将(小坂奈緒)。
 日向坂のこさかな来たー!

 あかね・和泉式部(泉里香)は愛する人を亡くした。
 これがものを書くきっかけに。

 まひろにとって、これらは『源氏物語』を書く材料になっている。
 作劇的には、情熱のままに自分をぶつけられない彰子との対比。

 そしてまひろと道長。
「お帰りなさいませ。よくぞご無事で」
「うん」
 完全に夫婦じゃないか!
 紫の上のモデルが幼き頃の自分だとまひろが告げると、
「おまえは不義の子を産んだのか?」
 まひろはとぼけたが、道長は気づいた様子。
 帝が彰子のものに通って来ると、道長は父親の顔になって、
「ああ、よかった」
 ふたりは同じ月を見る。

 まひろと道長、いい関係になったな~。
 心で繋がっていて、まさにソウルメイト。
 年齢を重ねて、今後ふたりがどんな絆で結ばれていくか楽しみだ。

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「光る君へ」 第34回「目覚め」~殿御は皆、かわいいものでございます。彰子、少しずつ心を開いていく

2024年09月09日 | 大河ドラマ・時代劇
 一条天皇(塩野瑛久)はストレートに物を言う人物が好きなんですよね。
 まひろ・藤式部(吉高由里子)に対して、
「朕に物怖じせず、ありのままに語る者は滅多におらぬ」
「そなたの物語は朕にまっすぐ語りかけてくる」
 だから、まひろの所にやって来る。
 一条天皇は孤独なんですね。
 心の深い所で繋がりたいのに誰もいない。
 愛した定子(高畑充希)は他界してしまった。
 まひろは言う。
「書いているうちに帝の悲しみを肌で感じるようになりました」

 一方、彰子(見上愛)はストレートに物を言う人物とは正反対。
 他者に対して心を閉じている。
 これだと一条天皇も心を寄せることができないだろう。

 ただ、まひろに対しては少し心を開いているようだ。
 彰子は自分の思いをまっすぐぶつける。
「この物語の面白さがわからぬ」
「光る君は何をしたいのかわからぬ」
「帝はそなたの物語のどこに魅かれているのであろう?」
 こういう段階なのか~。
 まだ子供ってことかな?
 確かに敦康親王(池田旭陽)といる時は楽しそうだけど。

 こんな彰子にまひろは少しずつ大人の世界のことを教える。
「殿御は皆、かわいいものでございます」
「帝も殿御でございます」
「帝のお考えになることとどこか重なっておるのやもしれませぬ」
 彰子は理解できない。混乱している。
 でも考えている。知りたいと、もがいている。

 劇中、ひとりポツンと座っているシーンがありましたが、彰子は孤独なんですよね。
 この彰子の孤独と帝の孤独が合わさった時、何かが生まれる気がする。
 愛の喜び。体の歓び。
 そして、人間の愚かさ、滑稽さ、ずるさ、かわいらしさ。
 すなわち『源氏物語』の世界。

 人間の愚かさ、滑稽さ、ずるさ、かわいらしさ。
 これらは今回、公任(三浦翔平)が読んだ『空蝉』に表われている。

・人妻、空蝉のところへ夜這いに行く光源氏。
・この時、空蝉は退避している。
・光源氏はそこにいた少女を空蝉だと勘違いして、事に至る。
・途中で空蝉でないことに気づくが、相手も喜んでいるし、
「そなたが目的だったのだ」とウソを言って、行為を続ける。笑

 どーしようもないな~、光源氏!
 内容もくだらない!
 彰子が「面白さがわからぬ」と言うのもわかる気がする。
 でも、ここで読み取るべきは、人間の愚かさ、滑稽さ、ずるさ、かわいらしさなんですね。
「殿御は皆、かわいいものでございます」
 これを理解した時、彰子は世界に対して心を開くことができる。

 あと『源氏物語』関連で言えば、まひろは「若紫」の執筆を始めましたね。
 鳥を鳥籠から逃がしてしまった少女・若紫。
「ずっといっしょに生きていられたら、どんな人生を送っていたんだろう?」
 まひろは若紫を描くことで、それを追体験しようとしている。

 この場合、光る君のモデルは道長(柄本佑)だ。

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「坂の上の雲」の再放送が始まる!~日清戦争、日露戦争、近代文学、あらためて明治という時代を考えてみよう

2024年09月07日 | 大河ドラマ・時代劇
 明治時代描いた「坂の上の雲」(原作/司馬遼太郎)が9月8日(日)より再放送される。
 NHK総合・毎週日曜 午後11時~11時44分(全26回)。

・日清戦争~黄海海戦
・日露戦争~奉天会戦、旅順・二百三高地攻略、日本海海戦

 日本が戦争に勝っていた時代の話だ。
 だから司馬遼太郎は
「戦争賛美と誤解される、作品のスケールを描ききれない」
 と語って、なかなか映像化を許諾しなかった。
 まあ、日露戦争は薄氷の勝利だったんですけどね。

 主人公は伊予松山に生まれた三人。
・秋山真之(本木雅弘)~連合艦隊参謀「本日、天気晴朗ナレドモ波高シ」
・秋山好古(阿部寛 ) ~騎兵第一旅団長。最強と言われたロシア・コサック部隊を撃ち破った。
・正岡子規(香川照之)~俳人・歌人。漱石らと共に文学で新しい時代を作った。
            ベースボールを「野球」と翻訳した人物でもある。

 司馬遼太郎は明治時代を「無邪気で明るい時代」と捉えていた。
 それは誰もが努力すれば、大臣、軍人、学者、企業家になれる希望という意味で、
 実際はそれから排除された人がいたし、漱石のように息苦しさを感じた人がいたし、
 政治家の腐敗はあったし、「富国強兵」による重税など、マイナスな面もたくさんあった。

 とはいえ、司馬遼太郎史観に拠る「明治時代」をもう一度見てみたい。
 原作も手もとにあるので、放映エピソードと同時進行で読み返してみようと思う。
 日曜日は「光る君へ」もあるし、忙しいな。
 ………………………………………………………

 主人公以外の登場人物・キャストも豪華だ。

・明治天皇(尾上菊之助)
・井上馨 (大和田伸也)
・山県有朋(江守徹)
・伊藤博文(加藤剛)
・松方正義(大林丈史)
・陸奥宗光(大杉漣)
・高橋是清(西田敏行)
      英国のユダヤ資本から日露戦争の戦費を調達した。2・26事件で暗殺。
・小村寿太郎(竹中直人)
      外務大臣・ポーツマス会議でロシアから十分な賠償を得られなかったので
      日比谷焼打ち事件が起こった。
・桂太郎 (綾田俊樹)
・鈴木貫太郎(赤井秀和)
      2・26事件を生き延び、太平洋戦争終了時の総理大臣。
      明治・大正・昭和で日本の政治の中枢にいた。

・夏目漱石(小澤征悦)
・高浜虚子(森脇史登)
・森鴎外 (榎木孝明)
・陸羯南 (佐野史郎)
      雑誌「日本人」創刊。

・乃木希典(柄本明)
・児玉源太郎(高橋英樹)
・大山巌 (米倉斉加年)
・長岡外史(的場浩司)
・明石元二郎(塚本晋也)
      ロシア革命の端緒をつけた諜報員。
      「動乱はわが掌中にあり」
      明石元二郎のロシア民衆工作で内乱が起こらなければ、
      日露戦争は負けていたと言われている。
・東郷平八郎(渡哲也)
・山本権兵衛(石坂浩二)
・広瀬武夫(藤本隆宏)
      軍神・広瀬。皇居前にあった銅像はGHQによって撤去された。

・李鴻章(任大恵)
・袁世凱(薜勇)
・ニコライ二世(ティモフィー・ヒョードロフ)
      ロマノフ王朝最後の皇帝。
      日本訪問時に斬りつけられた(大津事件)。
      ロシア革命が勃発して殺害された。
・アレクセーエフ(ゲンナジー・ヴェンゲロフ)
・クロパトキン(セルゲイ・ハールシン)
・メッケル(ノーベルト・ゴート)


※関連動画
 坂の上の雲・人物キャスト紹介(YouTube)

 本放送は2009年(第1部)、2010年(第2部)、2011年(第3部)に分けて年末に放送された。
 結果、この時の大河ドラマ「天地人」「龍馬伝」「江」は11月で終了した。
 今回の再放送は一週間の間を置くが、一気に見られるのは有り難い。

コメント (9)
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「光る君へ」 第33回「式部誕生」~ついに『源氏物語』が帝に認められた! 彰子も心を開き始めた!

2024年09月02日 | 大河ドラマ・時代劇
「朕のみが読むのは惜しい。皆にも読ませたい」
 ついに『源氏物語』が一条天皇(塩野瑛久)に認められた。

 ずいぶん引っ張ったなぁ。執筆を始めてから三話分くらいを費やした。
 焦らされた分、カタルシスも大きい。
 おまけに、その後の道長(柄本佑)のまひろ(吉高由里子)への「褒美」と称したプレゼント!
 プレゼントの扇には、幼き頃のふたりの思い出が描かれていた。
 昔を思い出して、胸を熱くするまひろ。若干のせつなさもあったかもしれない。
 最高の盛り上がりだ。

 彰子(見上愛)の描写も焦らしている。

 なかなか自分を語らない彰子。
 だが、少しずつまひろに心を開き始めた。
「わたしは冬が好き。青い空が好き」
「わたしが好きなのは青」
 なのに女房たちは「寒いから奥へ行きましょう」「御簾を下げましょう」と言う。
 彰子が好きな色は薄い赤だと決めつけている。

 これを目撃したまひろは彰子の中にさまざまな言葉や豊かな世界があると気づく。
 そして──
「わたしも帝がお読みになったものを読みたい」
 まひろが『源氏物語』の冒頭の概要を語り始めると、
「帝みたい……」
「その君は何をするの……?」
 グイグイという感じではないが、彰子らしい形で好奇心を持った。
 彰子が自分を素直に出せる日が来るのは、もうすぐだ。
 ちなみに次回のサブタイトルは「目覚め」。
 彰子の「目覚め」を差しているのだろうか?
 ………………………………………………………………

 道長はまひろに対する時は素直だ。
「おまえの才で帝を藤壺に! 頼む!」
「藤壺で書け! 書いてくれ!」
「おまえは最後の一手なのだ! 俺にはこれしかない!」
 ここには身分の違いはない。
「書け!」と上から命令した後には「書いてくれ!」と言い直している。

 これらの言葉の裏には──
 まひろが藤壺からいなくなれば自分の心の支えがなくなる、という意味もあるのだろう。
 男は弱い生き物ですからね。
 好きな人が自分のそばにいてくれるだけで心強い、と考えたりする。
 好きな人の顔を見たり言葉を交わしたりするだけで力をもらえたりする。

 伊勢守の人事の件は武士の台頭を思わせる。
 鎌倉幕府の誕生は道長の時代から約200年後だが、
 地方が力を持ち、武力を有すると、中央集権体制が揺らぐ。
 道長はそれを懸念したのだろう。
 そして次回は興福寺の僧兵の話。
 道長の懸念が現実になった。
 こうした時代の流れもしっかり描いていくんですね。
 というか、今までたいした武力がなかったのによく治まっていたな。
 神事をおこなう帝の権威が絶大だったのだろう。


※追記
 おそらく彰子みたいなタイプは「作品」を通すと雄弁になる。
 自分のことはなかなか語れないが、作品についてなら語れる。
 いわゆるオタクタイプだ。
 まひろもオタクだから、いずれふたりの間でオタクトークが始まるのかもしれない。

コメント (10)
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