平成エンタメ研究所

最近は政治ブログのようになって来ました。世を憂う日々。悪くなっていく社会にひと言。

龍馬伝 最終回「龍の魂」

2010年11月29日 | 大河ドラマ・時代劇
★無私の理想主義者・坂本龍馬(福山雅治)。
 あまりにも立派すぎて、僕には荷が重かったなぁ。
 まず無私にはなれない。
 目指すべき理想社会って何だろうって思ってしまう。
 あるいは龍馬は弥太郎(香川照之)に「自分の出来ることを思うようにすればいい。やるべきことは必ずある」と言ったが、<やるべきこと>がなかなか見つからないのが現代ですからね。
 弥太郎は「まぶしすぎる光は腹が立つ」と語ったが、僕が「龍馬伝」の龍馬を立派すぎると感じてしまうのも、そんな所かもしれない。

 それでも比較的共感できるのは死に際の中岡慎太郎(上川隆也)とのやりとり。
 「わしは命を使い切ったかぇ?」「まだまだじゃ」
 テーマはこのくらい身近な方がいい。

★さて暗殺のシーン。
 まず「愛知県知事選」のテロップで興醒め。
 放送法のことはわからないが、僕がNHKの担当者だったら入れない。報道よりもドラマを優先する。
 朝鮮半島で戦争が始まったのならともかく最終回の一番のクライマックスでこれはない。視聴者は一年間見続けているのだし。
 暗殺の描写も、これは事前知識を持っていることの弊害なのですが、龍馬暗殺の詳細を検証した民放のバラエティ番組を見てしまっていたため、物足りない。
 他の襲撃シーンでは活劇調でしっかり見せていたのに、今回は襲撃から暗殺者が去るまで30秒ぐらいしかないだろう。
 また近江屋のご主人やおかみさんがどうなったかなんてことも気になってしまう。
 ついでに言うと、弥太郎役の香川さんと暗殺者の市川亀治郎さんって実生活では確かいとこ同士だったよな、みたいな余計なことを考えてしまう。

★そしてラストシーン。
 シナリオ学校などでは起承転結の<結>はテーマの定着などと教えられるが、結局「龍馬伝」は龍馬と弥太郎の物語だったんですね。
 でも「龍馬はこの世で一番嫌いなやつだった」という弥太郎の愛情裏返しのせりふは以前にも聞いているので、今更繰り返されても全く劇的でない。
 こういうせりふは最後の最後に言うから効果がある。

 物語を弥太郎の語りによる<弥太郎視点>にしたのもどうだろう?
 この手法を取るとどうしても龍馬と弥太郎の物語にせざるを得なくなってしまう。
 しかし<龍馬と弥太郎の物語>が上手く描かれていたかというとはなはだ疑問。
 たとえば今回龍馬は弥太郎に「お前はわしのことが嫌いなのか」ととぼけたことを言っていたが、そんなことはお元(蒼井優)が長崎奉行に捕まりそうになる回でわかっていること。
 なので、このシーンはもっと緊張したふたりを描かねばならないのにそれがない。
 龍馬と弥太郎の関係はいつも同じことの繰り返しだ。

 またラストカットの弥太郎の死に様も何を意味しているかわからない。
 絵としては、だらしなく口を開いて結構滑稽無惨な死に様でしたよね。
 この死に様で作家は何を描こうとしたのか?
 <日本一の会社を作ってたくさんの人を幸せにした男>の死に様にはとても見えない。
 では、出世栄達の無情を描こうとしたのか?
 よくわからない。

 そう言えば、龍馬の遺体を足元からカメラが舐めて映していくカットがあったが、肝心の龍馬の顔が物に隠れて見えなかった。
 ここは龍馬の顔を見せるべきでしょう。
 龍馬が満足して死んでいったのか? 思いを残して死んでいったのか?
 おそらく演出意図としては、視聴者の皆さん、どちらなのかはあなたが考えてみて下さいという所なのでしょうが、こういう気取りは不要。
 満足した顔をしていたのなら、高杉の死に様のように後の人間に自分の思いを託したんだと納得できますし、無念の顔をしていたのなら「太陽にほえろ!」の松田優作の殉職シーンの様にインパクトがあった。大河ドラマでこれをやったか、と評価もする。
 作家はここの描写を放り出してはいけないと思う。

 ということで総括すると、この結パートが示す様に「龍馬伝」が全体として何を描きたかったのかがよくわからない。
 突きつめていくと冒頭に書いた<無私の理想主義者>という言葉に行き着くのだが、そういうことでいいんですかね、福田靖さん?


コメント (4)
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