平成エンタメ研究所

最近は政治ブログのようになって来ました。世を憂う日々。悪くなっていく社会にひと言。

龍馬伝 第47回「大政奉還」

2010年11月22日 | 大河ドラマ・時代劇
 大政奉還の時の龍馬(福山雅治)って、実はもう何もすることがないんですよね。
 なので、そこをどう描くか?

・永井玄蕃頭(石橋蓮司)に直談判
・勝先生の(武田鉄矢)の来訪
・弥太郎(香川照之)の商売の話
・藤吉に六分儀を見せて世界を往く話

 弥太郎のエピソードは龍馬への愛憎が描かれていて面白かった。
 藤吉に夢を語る話も龍馬らしい。星や空や海、これらは龍馬によく似合う。
 永井玄蕃頭(石橋蓮司)に直談判は唐突かな? 今まで描かれて来なかった人だし。
 勝先生の来訪は<勝が新選組から身を挺して守る>というエピソードに集約させて描かれたが、もっと師弟の情みたいなものが描かれてもよかった。
 個人的には勝が「顔を洗って来いや」と言うシーンが好き。同じ<師弟の情>を描くのでもこういう何気ない日常のやりとりの方がスッと伝わってくる。<新選組から身を挺して守る>というのは時代劇的ですからね。
 あるいは龍馬が弱さを見せてもよかったかもしれない。
 ハードな交渉の日々、師である勝に出会い、張りつめていた糸が切れて思わず弱音を吐くみたいな。

 テーマとしては<個人>の力。
 組織の中にいると、組織に縛られてなかなか自由な発想が出来ない。
 しがらみなく行動できるのは個人。
 しかし個人の力には限界がある。お金もないし兵も動かせない。発言力も弱い。
 その個人の限界を越えて<大仕事>を成し遂げた所に龍馬の凄さがあるのだが、現代の日本に<坂本龍馬>は現れないだろうか。
 勝は幕府をなくすことは「二万人の幕臣が役目を失うことだ」と言う。
 現在で言えば、公務員二万人をクビにすることだ。
 それが正しいことかどうかは議論の分かれる所だが、現在にも龍馬のような<理想の社会のために孤軍奮闘する個人>は必要。

 もっとも何が<善>で何か<悪>かはわかりづらいんですけどね。
 司馬遼太郎は、明治の世を<善>とした。
 山田風太郎は、明治の世を<悪>とした。何しろ明治はこの国を太平洋戦争まで至らしめた出発点なのだから。
 となると、明治を作る一翼を担った龍馬は<善>であるか<悪>であるか。
 先程の「二万人が役目を失うこと」だって失う側にしてみれば<悪>ですからね。
 <善>や<悪>という世の中の価値観などこんなもの。
 ここに現在の<政治の混迷>や<物語が成立しにくい>要因がある。

 結局、人は世の中の流れに身を任せて、自分の正しいと思うことを半分疑いながら生きていくしかないのですが。
 最後はテツガクや人生論の話になってしまいました……!


コメント (4)
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