「お帰り」と「行ってらっしゃい」。
何気ない言葉ですが、人生で大切なのはこういう言葉をかけてくれる人がいることなんですね。
それは人の生き死にでも同じ。
生まれてきて「お帰り」、亡くなって「行ってらっしゃい」、そうやって迎えられ送り出されれば人は心満たされる。
今回はこのテーマの変奏。
恵美子(高畑充希)と影山(賀来賢人)のエピソードは上手いですね。
「せめて映画だけでも幸せに撮ってくれるかな。あたし、こんなに幸せになりましたみたいな」
そして演じられる「お帰り」と「行ってらっしゃい」。
彼らは別れという現実から逃れて、ウソの世界に一瞬の幸せを求める。
ウソだとわかっているが、求めずにはいられない。
哀しくて嬉しい。
僕はこういう感情を描ける作家さんというのはすごいと思うんですよね。
哀しかったり、嬉しかったりという単独の感情は普通の作家なら誰でも描ける。
でも<哀しくて嬉しい>という感情を描くのは大変。
恵美子役の高畑充希さんも上手い。
<哀しくて嬉しい>表情を見事に作れる。
笑っていてもどこか哀しいという表情。
根が素直というか、地の表情が哀しげなんですよね、彼女は。
平太(佐藤健)とQ10(前田敦子)のエピソードも「お帰り」と「行ってらっしゃい」。
「イツイカナルトキモQ10ハヘイタヲシンジマス」(いついかなる時もQ10は平太を信じます)。
Q10はどんなことがあっても平太のそばにいてくれる存在。
常に平太をまっすぐに見つめ、信じてくれる存在。
今回はQ10を漁船の中に残し、ぽっかり<空洞>が空いてしまったわけだが、ちゃんと戻って来てくれた。
「ただいま」「お帰り」と心通わせることが出来た。
こういう存在がいることだけで人は救われる。
人間は欲望の塊だが、実は「ただいま」「お帰り」というやりとりだけで幸せになれたりする。
「ただいま」「お帰り」、こう言って過ごせる時間を大事にしよう。
※追記
もうひとつのテーマは<人は生きて何かを残し、死んでいく>ということ。
残すものとして一番わかりやすいのが<子供>だが、それは<橋>でも<言葉>でも何でもいい。
自分は何を残すか?
※追記
表情豊かな恵美子と対照的なのがQ10。
人工筋肉の限界で豊かな表情を作れない。
だが物語の文脈の中で、嬉しさや哀しさをしっかり表現している。
第5話で、自分を中尾(細田よしひこ)に譲って歩いていく平太(佐藤健)を見つめた時なんかは本当に哀しそうだった。
計算つくされた見事な演出。
表情といえば同じ木皿泉作品の「野ブタ。をプロデュース」。
いじめられてきた野ブタは笑うことが出来ない。
おかしい時は口の端をピクリと動かすだけ。
最終回のラストのせりふは「あたし、笑えるようになったよ!」だった。
何気ない言葉ですが、人生で大切なのはこういう言葉をかけてくれる人がいることなんですね。
それは人の生き死にでも同じ。
生まれてきて「お帰り」、亡くなって「行ってらっしゃい」、そうやって迎えられ送り出されれば人は心満たされる。
今回はこのテーマの変奏。
恵美子(高畑充希)と影山(賀来賢人)のエピソードは上手いですね。
「せめて映画だけでも幸せに撮ってくれるかな。あたし、こんなに幸せになりましたみたいな」
そして演じられる「お帰り」と「行ってらっしゃい」。
彼らは別れという現実から逃れて、ウソの世界に一瞬の幸せを求める。
ウソだとわかっているが、求めずにはいられない。
哀しくて嬉しい。
僕はこういう感情を描ける作家さんというのはすごいと思うんですよね。
哀しかったり、嬉しかったりという単独の感情は普通の作家なら誰でも描ける。
でも<哀しくて嬉しい>という感情を描くのは大変。
恵美子役の高畑充希さんも上手い。
<哀しくて嬉しい>表情を見事に作れる。
笑っていてもどこか哀しいという表情。
根が素直というか、地の表情が哀しげなんですよね、彼女は。
平太(佐藤健)とQ10(前田敦子)のエピソードも「お帰り」と「行ってらっしゃい」。
「イツイカナルトキモQ10ハヘイタヲシンジマス」(いついかなる時もQ10は平太を信じます)。
Q10はどんなことがあっても平太のそばにいてくれる存在。
常に平太をまっすぐに見つめ、信じてくれる存在。
今回はQ10を漁船の中に残し、ぽっかり<空洞>が空いてしまったわけだが、ちゃんと戻って来てくれた。
「ただいま」「お帰り」と心通わせることが出来た。
こういう存在がいることだけで人は救われる。
人間は欲望の塊だが、実は「ただいま」「お帰り」というやりとりだけで幸せになれたりする。
「ただいま」「お帰り」、こう言って過ごせる時間を大事にしよう。
※追記
もうひとつのテーマは<人は生きて何かを残し、死んでいく>ということ。
残すものとして一番わかりやすいのが<子供>だが、それは<橋>でも<言葉>でも何でもいい。
自分は何を残すか?
※追記
表情豊かな恵美子と対照的なのがQ10。
人工筋肉の限界で豊かな表情を作れない。
だが物語の文脈の中で、嬉しさや哀しさをしっかり表現している。
第5話で、自分を中尾(細田よしひこ)に譲って歩いていく平太(佐藤健)を見つめた時なんかは本当に哀しそうだった。
計算つくされた見事な演出。
表情といえば同じ木皿泉作品の「野ブタ。をプロデュース」。
いじめられてきた野ブタは笑うことが出来ない。
おかしい時は口の端をピクリと動かすだけ。
最終回のラストのせりふは「あたし、笑えるようになったよ!」だった。