清盛(松山ケンイチ)、義朝(玉木宏)、佐藤義清(藤木直人)の描き分けが面白い。
義朝は、海賊などがはびこる乱れた世で「王家に武士の力を認めさせたい」と語り、
義清は「ただ美しさを求めているだけだ。美しく生きることだけが私の心意気」と語り、
清盛は「俺は面白う生きたい」と語る。
義朝は武士としてのアイデンティティを保ちつつ、貴族が支配する世の中を肯定する現状維持派。野心もある現実家。
義清は自らの美意識に生きる芸術家肌。ロマンを求める非現実家。
清盛は無頼で、少し子供っぽいという感じですかね。
ただ、この三人に共通しているのは、貴族が支配する世の中に距離を置いているということ。
義朝はその置かれている現実ゆえか、少し貴族社会にすり寄るスタンスを取っているが、義清と清盛は、現体制とは違った価値観で生きている。
それは高階通憲(阿部サダヲ)も同じ。
通憲は完全に現体制を否定する。
彼は海賊が出て、自分の米が来なくなることを懸念する貴族たちにこう語る。
「おのれの事しか考えぬ者たちによって政(まつりごと)が行われておる。その事への恨み、つらみ、怒り、悲しみ、嘆き、諦めこそが、元は漁師や百姓にすぎぬ者をして国司の手にも負えぬ一大海賊にならしめた。御一同こそがこの海賊の元凶!」
清盛、義朝、義清、通憲。
こうした若者が既存の世の中を破壊し、新しい世界を作っていくんでしょうね。
そして、通憲が貴族たちに言った言葉はそのまま現在にも当てはまる。
<おのれの事しか考えぬ者たちによって行われている政>。
政局と選挙のことしか考えない政治家、自分の保身と利権しか考えない官僚。
いずれはしっぺ返しが来るような気がする。
さて清盛。
白河院のまがまがしい力を有した清盛はある意味、エネルギーのかたまりだ。
現在は、そのエネルギーをどこに向けていいかわからず迷走している。
なので通憲は焼き魚を食いながら釘を刺す。
「その禍々しい力を、災いにするも、宝にするもそなた次第よ」
膨大なエネルギーを<善>に使うか<悪>に使うか、それはエネルギーを持つ人間の考え方次第なのでしょうね。
義朝は、海賊などがはびこる乱れた世で「王家に武士の力を認めさせたい」と語り、
義清は「ただ美しさを求めているだけだ。美しく生きることだけが私の心意気」と語り、
清盛は「俺は面白う生きたい」と語る。
義朝は武士としてのアイデンティティを保ちつつ、貴族が支配する世の中を肯定する現状維持派。野心もある現実家。
義清は自らの美意識に生きる芸術家肌。ロマンを求める非現実家。
清盛は無頼で、少し子供っぽいという感じですかね。
ただ、この三人に共通しているのは、貴族が支配する世の中に距離を置いているということ。
義朝はその置かれている現実ゆえか、少し貴族社会にすり寄るスタンスを取っているが、義清と清盛は、現体制とは違った価値観で生きている。
それは高階通憲(阿部サダヲ)も同じ。
通憲は完全に現体制を否定する。
彼は海賊が出て、自分の米が来なくなることを懸念する貴族たちにこう語る。
「おのれの事しか考えぬ者たちによって政(まつりごと)が行われておる。その事への恨み、つらみ、怒り、悲しみ、嘆き、諦めこそが、元は漁師や百姓にすぎぬ者をして国司の手にも負えぬ一大海賊にならしめた。御一同こそがこの海賊の元凶!」
清盛、義朝、義清、通憲。
こうした若者が既存の世の中を破壊し、新しい世界を作っていくんでしょうね。
そして、通憲が貴族たちに言った言葉はそのまま現在にも当てはまる。
<おのれの事しか考えぬ者たちによって行われている政>。
政局と選挙のことしか考えない政治家、自分の保身と利権しか考えない官僚。
いずれはしっぺ返しが来るような気がする。
さて清盛。
白河院のまがまがしい力を有した清盛はある意味、エネルギーのかたまりだ。
現在は、そのエネルギーをどこに向けていいかわからず迷走している。
なので通憲は焼き魚を食いながら釘を刺す。
「その禍々しい力を、災いにするも、宝にするもそなた次第よ」
膨大なエネルギーを<善>に使うか<悪>に使うか、それはエネルギーを持つ人間の考え方次第なのでしょうね。