2月25日の『サワコの朝』(TBS系・土曜朝7時30分)で、分子生物学者の福岡伸一さんが出演されていた。
そこでのお話。
福岡先生に拠れば
「細胞は他の細胞との関係の中で、折り合いをつけて、自分の役割を決めている」らしい。
たとえば
「君が脳細胞をやるなら、僕は皮膚細胞をやるよ」みたいな感じ。
私たちの体を構成している個々の細胞は、こんなふうに他の細胞との関係を考えて役割分担をしている。
決して「君は脳細胞にふさわしくない」とか「僕が脳細胞をやる」とかは言い出さない。
そして、過度に自己主張する細胞は<ガン細胞>なのだそうだ。
この<役割分担する細胞>の話は興味深い。
これって、まさに<人間社会>と同じではないか。
たとえば、野菜を作る農家の方がいて、それを流通させる運送業者の人がいて、売るスーパーや八百屋さんがいて。
もっとマクロに見てみれば、個々の人々が自分の役割を果たして、日本という国が構成され、地球の人類というものが成立している。
つまり個人は<人類という生き物>の細胞なのだ。
なので、ヒトラーみたいな過度に自己主張する細胞は<ガン細胞>?
実際、それはガン細胞が増えていくように、ナチスという形で増殖していったし。
こうなると、福岡先生の理論は、歴史学であり、哲学ですね。
福岡先生は若者に対してもこんなメッセージを贈られていた。
「人は他者との関係を作りながら、自分が何者であるかを決めていく。なので自分探しを自分の中に求めても何も得られない」
確かに。
自分は<夫>である。<母>である。<子>である。<学生>である。<フリーター>である。<農家>である。<トラック運転手>である。<八百屋>である。
こんなふうに社会の中で、自分が果たしている役割が、すなわち<自分>なんですね。
当たり前のことを言っているようだが、このことに気づかずに虚しい<自分探し>をしているのが人間。
そして人は、
<人類という生き物の細胞の一部として、過度に自己主張せず、自分の役割を果たしていけばいい>。
こう考えると、人は結構楽に生きられるような気がする。
福岡先生は遺伝子についてもこんな話をされていた。
「遺伝子は生めよ、増やせよで設定されているわけではない。遺伝子はもっと自由で、遊ぶ遺伝子もある。遊ぶ遺伝子は、他の遺伝子が生殖が行っているのなら、自分は遊んでいてもいいと考える」
これは衝撃だった。
なぜなら僕は、遺伝子は<種の保存>という形で設定されているものだと考えていたから。
つまり、人の生きる目的って<子孫を作って残すこと>ではないかと考えていた。
でも、そうでなくていいんですね。
<遊ぶ遺伝子>であってもいい。
あるいは「これ以上、人類が増えては困るから、遊ぶ遺伝子を増やしておこう」「じゃあ、僕は遊ぶ遺伝子を担当するよ」と遺伝子レベルでさまざまなことが考えられているのかもしれない。
というわけで、福岡先生の細胞理論は実に面白かった。
すべてが行き詰まっている現代。
現代は、このような科学、歴史学、経済学、政治学、哲学など、すべての学問を統合する新しい理論が求められている。
そこでのお話。
福岡先生に拠れば
「細胞は他の細胞との関係の中で、折り合いをつけて、自分の役割を決めている」らしい。
たとえば
「君が脳細胞をやるなら、僕は皮膚細胞をやるよ」みたいな感じ。
私たちの体を構成している個々の細胞は、こんなふうに他の細胞との関係を考えて役割分担をしている。
決して「君は脳細胞にふさわしくない」とか「僕が脳細胞をやる」とかは言い出さない。
そして、過度に自己主張する細胞は<ガン細胞>なのだそうだ。
この<役割分担する細胞>の話は興味深い。
これって、まさに<人間社会>と同じではないか。
たとえば、野菜を作る農家の方がいて、それを流通させる運送業者の人がいて、売るスーパーや八百屋さんがいて。
もっとマクロに見てみれば、個々の人々が自分の役割を果たして、日本という国が構成され、地球の人類というものが成立している。
つまり個人は<人類という生き物>の細胞なのだ。
なので、ヒトラーみたいな過度に自己主張する細胞は<ガン細胞>?
実際、それはガン細胞が増えていくように、ナチスという形で増殖していったし。
こうなると、福岡先生の理論は、歴史学であり、哲学ですね。
福岡先生は若者に対してもこんなメッセージを贈られていた。
「人は他者との関係を作りながら、自分が何者であるかを決めていく。なので自分探しを自分の中に求めても何も得られない」
確かに。
自分は<夫>である。<母>である。<子>である。<学生>である。<フリーター>である。<農家>である。<トラック運転手>である。<八百屋>である。
こんなふうに社会の中で、自分が果たしている役割が、すなわち<自分>なんですね。
当たり前のことを言っているようだが、このことに気づかずに虚しい<自分探し>をしているのが人間。
そして人は、
<人類という生き物の細胞の一部として、過度に自己主張せず、自分の役割を果たしていけばいい>。
こう考えると、人は結構楽に生きられるような気がする。
福岡先生は遺伝子についてもこんな話をされていた。
「遺伝子は生めよ、増やせよで設定されているわけではない。遺伝子はもっと自由で、遊ぶ遺伝子もある。遊ぶ遺伝子は、他の遺伝子が生殖が行っているのなら、自分は遊んでいてもいいと考える」
これは衝撃だった。
なぜなら僕は、遺伝子は<種の保存>という形で設定されているものだと考えていたから。
つまり、人の生きる目的って<子孫を作って残すこと>ではないかと考えていた。
でも、そうでなくていいんですね。
<遊ぶ遺伝子>であってもいい。
あるいは「これ以上、人類が増えては困るから、遊ぶ遺伝子を増やしておこう」「じゃあ、僕は遊ぶ遺伝子を担当するよ」と遺伝子レベルでさまざまなことが考えられているのかもしれない。
というわけで、福岡先生の細胞理論は実に面白かった。
すべてが行き詰まっている現代。
現代は、このような科学、歴史学、経済学、政治学、哲学など、すべての学問を統合する新しい理論が求められている。