これをやってはいけないでしょう。
この三年間描いてきた甲斐享(成宮寛貴)のストーリーを完全に否定した。
これから再放送などで亨の言動を見るたびに、
「あいつ、あんな偉そうなことを言ってるけどダークナイトなんだぜ」
「右京さんと仲良くしてるけど、あれは表面上のことで、まったく心を開いていないんだぜ」
「法による秩序を破り、否定しているくせに、どのツラ下げて警察官やってるんだ?」
と思ってしまう。
このことは『英の放電日記』さんも書かれていました。
まあね、親友・梶祐一郎(鈴木裕樹)の妹・景子のために一回くらいボコボコにしてしまった位なら、まだあり得ると思うんですよ。
人は間違いを犯すものだし、若気の至りってこともある。
でも、その後の5回の犯行はいただけない。
しかも動機が「世間の賞賛が気持ちよかった」から。
これでは模倣犯の種村和真(瀧川英次)と同じだ。
亨は『相棒』なんだし、人としても、警察官としても強い人間であってほしかった。
おまけに自分の罪を隠すために、種村を脱走させ梶に襲わせてアリバイ工作。
これも、おいおいって感じ。
ダークナイトであることを気づかれた失言(「種田が脱走したそうですね」)を悔やむ姿もね、人間として小さすぎる。完全に小悪党だ。
右京(水谷豊)の言葉を借りれば「君が悔いるべきはそこじゃないだろ!」
亨の心の闇はこれほどだったのか。
甲斐享って、もっとまっすぐな人ではなかったのか?
今回のエピソードは、おそらく『相棒』という作品の後半戦にむけての布石なのでしょうね。
<亨を歪ませてしまった右京>というテーマから始まって<杉下右京>とは何者なのか? ということが追及されてシリーズが終わる。
これが水谷豊さんのこだわり?
でも、それは正しいのだろうか?
何か、また後味の悪いものになる気がするけど。
複数のシナリオライターさんによって、さまざまな形で紡がれる『相棒』。
シェアードワールド~人物設定と世界観だけが共有され、あとはライターが自由に書けることが、この作品の魅力になっていた。
しかし、このやり方は舵取りがしっかりしていなければ、迷走する。
その舵取りの役割を担うのが作品全体を俯瞰して束ねるプロデューサーなのだが、現在のプロデューサーは『相棒』をどこに連れていこうとしているのか?
『学び舎』の所でも書きましたが、今のプロデューサーさんはイマイチ不安なんですよね。
松本プロデューサー、戻って来て下さい。
この三年間描いてきた甲斐享(成宮寛貴)のストーリーを完全に否定した。
これから再放送などで亨の言動を見るたびに、
「あいつ、あんな偉そうなことを言ってるけどダークナイトなんだぜ」
「右京さんと仲良くしてるけど、あれは表面上のことで、まったく心を開いていないんだぜ」
「法による秩序を破り、否定しているくせに、どのツラ下げて警察官やってるんだ?」
と思ってしまう。
このことは『英の放電日記』さんも書かれていました。
まあね、親友・梶祐一郎(鈴木裕樹)の妹・景子のために一回くらいボコボコにしてしまった位なら、まだあり得ると思うんですよ。
人は間違いを犯すものだし、若気の至りってこともある。
でも、その後の5回の犯行はいただけない。
しかも動機が「世間の賞賛が気持ちよかった」から。
これでは模倣犯の種村和真(瀧川英次)と同じだ。
亨は『相棒』なんだし、人としても、警察官としても強い人間であってほしかった。
おまけに自分の罪を隠すために、種村を脱走させ梶に襲わせてアリバイ工作。
これも、おいおいって感じ。
ダークナイトであることを気づかれた失言(「種田が脱走したそうですね」)を悔やむ姿もね、人間として小さすぎる。完全に小悪党だ。
右京(水谷豊)の言葉を借りれば「君が悔いるべきはそこじゃないだろ!」
亨の心の闇はこれほどだったのか。
甲斐享って、もっとまっすぐな人ではなかったのか?
今回のエピソードは、おそらく『相棒』という作品の後半戦にむけての布石なのでしょうね。
<亨を歪ませてしまった右京>というテーマから始まって<杉下右京>とは何者なのか? ということが追及されてシリーズが終わる。
これが水谷豊さんのこだわり?
でも、それは正しいのだろうか?
何か、また後味の悪いものになる気がするけど。
複数のシナリオライターさんによって、さまざまな形で紡がれる『相棒』。
シェアードワールド~人物設定と世界観だけが共有され、あとはライターが自由に書けることが、この作品の魅力になっていた。
しかし、このやり方は舵取りがしっかりしていなければ、迷走する。
その舵取りの役割を担うのが作品全体を俯瞰して束ねるプロデューサーなのだが、現在のプロデューサーは『相棒』をどこに連れていこうとしているのか?
『学び舎』の所でも書きましたが、今のプロデューサーさんはイマイチ不安なんですよね。
松本プロデューサー、戻って来て下さい。