「ぬしは韋駄天が何の神様か知らんとか?
人々んために走って食いもんば集めて運んだ神様たい」
災害の際、まず必要なのは『食べること』だ。
だから四三(中村勘九郎)は食べ物を担いで走る。
雨露をしのぐ住処はとりあえずバラック・仮設住宅。
お腹がある程度ふくれてくると、今度は『心』を満たすことだ。
ここで登場するのが『娯楽』『芸能』。
だから孝蔵(森山未來)はしゃべる。
しゃべってみんなを笑わせる。
「復興節」という歌も自然発生した。
四三や治五郎先生(役所広司)も動いた。
「復興運動会」
運動会でお祭り騒ぎをする。
体を動かしてクタクタになれば夜はぐっすり眠れる。
大自然に比べれば人間は無力でちっぽけな存在だが、こうして圧倒的な自然をいなして克服してきた。
自然を憎んだりするのではなく、まずは受け入れ、すこしずつ立ち上がる。
よろける脚でまずは一歩を踏み出す。
「逆らわずして勝つ」とはまさにこのことだ。
増野(柄本佑)のように、人々がよろよろと歩くことしかできない中、走れる四三はやはりすごいな。
走ることで食物だけでなく元気も与えている。
まさに韋駄天。
もっともスヤ(綾瀬はるか)に言わせれば、四三は神様なんかじゃなく「バカが走ってるから皆が笑ってる」だけらしいが(笑)
すべてが失われた大地。
しかし、そこには種がまかれる。
シマ(杉咲花)のまいた種は、人見絹江(菅原小春)という形で芽吹いた。
「女子スポーツの普及が今の私の生きがいです」という想いが人見絹江を動かした。
種をまくことは誰にでもできる。
四三の場合は走ることで、孝蔵はしゃべることで、シマは手紙を書くことだったが、自分たちにできることをやればいい。
では僕たちはどんな種をまくのだろう?
一編の詩のようなエピソードでしたね。
韋駄天という神様を描いた叙事詩。
戦争で東京はもう一度焼け野原になるんだけど、人々はまたもや立ち上がった。
オープニングで四三が復興した東京の街を楽しそうに見るシーンがあるが、やっとその意味がわかった。
復興してオリンピックをやれる喜び。
これが四三の笑顔の理由なのだ。
もっとも四三や治五郎先生の願った東京オリンピック開催は、太平洋戦争を経て1964年まで待たねばならないようだが。
人々んために走って食いもんば集めて運んだ神様たい」
災害の際、まず必要なのは『食べること』だ。
だから四三(中村勘九郎)は食べ物を担いで走る。
雨露をしのぐ住処はとりあえずバラック・仮設住宅。
お腹がある程度ふくれてくると、今度は『心』を満たすことだ。
ここで登場するのが『娯楽』『芸能』。
だから孝蔵(森山未來)はしゃべる。
しゃべってみんなを笑わせる。
「復興節」という歌も自然発生した。
四三や治五郎先生(役所広司)も動いた。
「復興運動会」
運動会でお祭り騒ぎをする。
体を動かしてクタクタになれば夜はぐっすり眠れる。
大自然に比べれば人間は無力でちっぽけな存在だが、こうして圧倒的な自然をいなして克服してきた。
自然を憎んだりするのではなく、まずは受け入れ、すこしずつ立ち上がる。
よろける脚でまずは一歩を踏み出す。
「逆らわずして勝つ」とはまさにこのことだ。
増野(柄本佑)のように、人々がよろよろと歩くことしかできない中、走れる四三はやはりすごいな。
走ることで食物だけでなく元気も与えている。
まさに韋駄天。
もっともスヤ(綾瀬はるか)に言わせれば、四三は神様なんかじゃなく「バカが走ってるから皆が笑ってる」だけらしいが(笑)
すべてが失われた大地。
しかし、そこには種がまかれる。
シマ(杉咲花)のまいた種は、人見絹江(菅原小春)という形で芽吹いた。
「女子スポーツの普及が今の私の生きがいです」という想いが人見絹江を動かした。
種をまくことは誰にでもできる。
四三の場合は走ることで、孝蔵はしゃべることで、シマは手紙を書くことだったが、自分たちにできることをやればいい。
では僕たちはどんな種をまくのだろう?
一編の詩のようなエピソードでしたね。
韋駄天という神様を描いた叙事詩。
戦争で東京はもう一度焼け野原になるんだけど、人々はまたもや立ち上がった。
オープニングで四三が復興した東京の街を楽しそうに見るシーンがあるが、やっとその意味がわかった。
復興してオリンピックをやれる喜び。
これが四三の笑顔の理由なのだ。
もっとも四三や治五郎先生の願った東京オリンピック開催は、太平洋戦争を経て1964年まで待たねばならないようだが。