斎藤道三(本木雅弘)、単騎駆ける!
息子・高政(伊藤英明)と対峙して問うたことは──
「そなたの父の名を申せ!」
この問いかけの道三の思いは何なんでしょうね?
土岐源氏の末裔であると称して、自分を偽り、飾る高政を戒めたのか?
道三はこんなことを言っていたしなあ。
「まだ、おのれを飾ろうとするのか? おぞましき我が子、醜き高政!」
高政=親殺しの汚名を着せるための策略だったのか?
確かに、このことは信長(染谷将太)が美濃を攻める大義名分になる。
だから道三は死ぬ間際にこんなことを言っていた。
「斎藤道三の勝ちじゃ……」
これを受けて高政もつぶやいて
「これで親殺しの汚名がつきまとう。まむしの思いどおりじゃ」
一方、こんな思いも推測できる。
道三は高政に「わたしの父は斎藤道三です」と言って欲しかった。
父親として「あなたは私の父親ではない」と息子に言われるのはつらい。
息子に「なりあがり者」「まむしの道三」と嘲られるのは耐えられない。
だから認めて欲しかった。
まあ、これは現代的な解釈かな?
道三は海千山千のクールな人物だと思うし、父親のセンチメンタリズムは似合わない。
でも深芳野(南果歩)が亡くなった時はあんなにうろたえてたしなあ。
次男・孫四郎、三男・喜平次を喪うまでは高政を信じていたしなあ。
…………
光秀(長谷川博己)は美濃から逃げることに。
いくさには遅参するし、戦国武将としてあまりいいところがない。
遺骸を前に「道三様ーーーっ!」と嘆くこともしなかった。
ドラマとしてはちょっと消化不良かな?
道三、高政、叔父・光安(西村まさ彦)の方が見せ場があった。
逃げるのを決めたのも、自分の意思ではなくて光安の言葉に拠ってだったし。
主人公として今ひとつ活躍できていない。
さて、今回の体験と浪人生活が光秀をどう変えていくのか?
息子・高政(伊藤英明)と対峙して問うたことは──
「そなたの父の名を申せ!」
この問いかけの道三の思いは何なんでしょうね?
土岐源氏の末裔であると称して、自分を偽り、飾る高政を戒めたのか?
道三はこんなことを言っていたしなあ。
「まだ、おのれを飾ろうとするのか? おぞましき我が子、醜き高政!」
高政=親殺しの汚名を着せるための策略だったのか?
確かに、このことは信長(染谷将太)が美濃を攻める大義名分になる。
だから道三は死ぬ間際にこんなことを言っていた。
「斎藤道三の勝ちじゃ……」
これを受けて高政もつぶやいて
「これで親殺しの汚名がつきまとう。まむしの思いどおりじゃ」
一方、こんな思いも推測できる。
道三は高政に「わたしの父は斎藤道三です」と言って欲しかった。
父親として「あなたは私の父親ではない」と息子に言われるのはつらい。
息子に「なりあがり者」「まむしの道三」と嘲られるのは耐えられない。
だから認めて欲しかった。
まあ、これは現代的な解釈かな?
道三は海千山千のクールな人物だと思うし、父親のセンチメンタリズムは似合わない。
でも深芳野(南果歩)が亡くなった時はあんなにうろたえてたしなあ。
次男・孫四郎、三男・喜平次を喪うまでは高政を信じていたしなあ。
…………
光秀(長谷川博己)は美濃から逃げることに。
いくさには遅参するし、戦国武将としてあまりいいところがない。
遺骸を前に「道三様ーーーっ!」と嘆くこともしなかった。
ドラマとしてはちょっと消化不良かな?
道三、高政、叔父・光安(西村まさ彦)の方が見せ場があった。
逃げるのを決めたのも、自分の意思ではなくて光安の言葉に拠ってだったし。
主人公として今ひとつ活躍できていない。
さて、今回の体験と浪人生活が光秀をどう変えていくのか?