平成エンタメ研究所

最近は政治ブログのようになって来ました。世を憂う日々。悪くなっていく社会にひと言。

エール 第8週 ~裕一、『紺碧の空』で音楽づくりの極意をつかむ! 音楽とは誰かを励まし、応援するもの!

2020年05月23日 | その他ドラマ
 今回はタイトルを回収しましたね。
『エール』→「応援」「励まし」
 厳密に言うと、これは日本独自の和訳で、本当は「大声で叫ぶ」といった意味のようですけど。
 cheerの方が「応援」「励まし」の意味にふさわしいようです。

 それはともかく、
 裕一は『音楽は人を元気にし、励まし、応援するものであること』に気づいたようです。
 それまでの裕一の曲は、自分の才能をひけらかし、自分のオリジナリティにこだわり、自分の世界に埋没するものでした。
 そこにあるのは、ただひたすら「自分」。
 ここに「他人」が入り込む余地はない。

 それまでにも、いろいろな人がメッセージを送っていたんですけどね。
 たとえば、木枯(野田洋次郎)。
 彼は裕一をカフェに連れて行き、「大衆」がどのようなものかを教えようとした。
 大衆がどんなことに喜び、笑い、悲しむかを観察することで、大衆が求める音楽がつくれることを示した。
 しかし、裕一は気づかない。

 久志(山崎育三郎)も、裕一に早稲田の応援歌を作曲させることで、他人のための音楽をつくる意味を伝えようとした。
 しかし、裕一は西洋音楽や自分のオリジナリティにこだわり過ぎて、「誰かのための音楽」に気づかなかった。

 喫茶店の店主(野間口徹)も自分のつくるコーヒーを例に出して、コーヒーを愉しむお客さんのことを示唆していた。

 不器用だなあ、裕一。
 とは言え、自分のオリジナリティにこだわることは重要なんだけど。
 ゴッホ、宮沢賢治──彼らの絵や童話は生前ほとんど売れなかった。
 でも、彼らのオリジナリティは死後評価され、世界が彼らの前にひれ伏した。
 一方、器用なのが、たとえば秋元康。
 オリジナリティなどほとんどなく、曲に流行の言葉とありきたりなテーマと思いついたモチーフを適当につけて機械のように曲を量産している。
 とはいえ、そういう秋元さんのアイドル曲を僕は喜んで買ってるんですけど(笑)

 まあ、大切なのは「自分のオリジナリティ」と「大衆が求めているもの」の適度なブレンドなんでしょうね。

 誰のために曲を書くか?
 裕一にとって
『紺碧の空』は団長・田中隆(三浦貴大)のためだった。
 豊橋の演奏会で音(二階堂ふみ)が歌った曲は、音たち家族のためだった。
 こういう時に裕一は力を発揮する。
「団長や音や家族を喜ばせたい」から曲を書く。
 それはやがて「大衆を喜ばせたいから曲を書く」に拡がっていくんでしょうね。

 裕一、ようやく曲作りの極意をつかんだようです。

コメント (2)
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