平成エンタメ研究所

最近は政治ブログのようになって来ました。世を憂う日々。悪くなっていく社会にひと言。

Oヘンリー「賢者の贈り物」「最後の一葉」~お洒落! 見事なたとえ表現にワクワクする!

2022年05月18日 | 短編小説
 Oヘンリーの名短編『賢者の贈り物』
 妻の美しい髪と夫の祖父から譲り受けた見事な金時計の話だが、その素晴らしさを表すたとえが素晴らしい。

 ところでヤング夫妻には自慢の宝がふたつあった。
 ひとつはジムの金時計。もうひとつはデラの髪。
 もしシバの女王が向かいの部屋に住んでいてデラの髪を見たら、女王は自分の宝石を無意味と思うだろう。
 ジムの金時計は、もしソロモン王が自分の財宝の管理人をしていてジムの金時計を見たら、王はうらやましく思うだろう。


 何とたとえにシバの女王やソロモン王を登場させている。
 こんなたとえもある。
 夫への贈り物を買うために髪を切ったデラが自分の顔を鏡で見た時のつぶやきだ。

「まさかこんな頭だからと言ってジムに殺されることはないでしょう。
 でもコニー・アイランドのコーラス・ガールくらいのことは言われるかもしれないわ」


『コニー・アイランドのコーラス・ガール』
 いかにもアメリカ! って感じのするたとえだ。

 ………………………………………………

 同じくOヘンリーの『最後の一葉』

 グリニッチ・ヴィレッジに住むふたりの女性画家の話だが、そのひとりジョンシーが肺炎にかかってしまう。

 医者が『肺炎』と呼ぶ目に見えない冷酷な侵入者が、この芸術家村を歩きまわって氷のような手であちこちの人間に触った。
 (中略)
 肺炎氏は騎士的な老紳士と呼べるような手合いではなかった。
 カリフォルニアの微風で血の薄くなっている小柄な小娘などは年寄りのいかさま師には正々堂々の獲物とは言えなかった。
 だが彼はジョンシーに襲いかかった。
 彼女は寝込んでペンキを塗った鉄のベッドの上で動けなくなった。


 肺炎を『侵入者』『騎士的な老紳士とは言えない手合い』『年寄りのいかさま師』と人にたとえている。いわゆる擬人化表現だ。

 たとえではないが、こんな表現もある。
 ふたりの画家・ジョンシーとスーの出会った時の描写だ。

 ふたりは八番通りの「デルモニコ」食堂の定職を食べている時に出会い、
 芸術やチコリ・サラダやビショップ・スリーブ型のドレスの趣味が一致するのを知って、共同でアトリエを持つことにした。


 画家のふたりが意気投合した理由が『芸術』の他に『チコリ・サラダ』や『ビショップ・スリーブ型のドレス』!
 何とお洒落な表現!
 凡庸な作家だと『ふたりは知り合い、芸術観が一致してアトリエを持つことにした』みたいな表現になってしまう。
 文章は、チコリ・サラダやビショップ・スリーブ型のドレスを加えるだけでお洒落になる。

『賢者の贈り物』も『最後の一葉』もストーリーやオチが広く知られている作品。
 でも小説の愉しみってストーリーだけじゃない。
 見事なたとえやお洒落な文章にワクワクするのも小説の楽しみ方。

 神はディティルに宿る。
 ディティルにこそ光輝くものがある。

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