「露の身の風の宿りに君を置きて塵を出でぬることぞ悲しき」
一条天皇(塩野瑛久)退場回である。
寒くても薄手の衣を纏い、「民の心を鏡とした」一条天皇。
敦康親王(片岡千之助)を次の東宮にと望みながら、かなえられなかった一条天皇。
そんな一条天皇が死に際して何を思ったか?
「君を置きて塵を出でぬることぞ悲しき」
思ったのは彰子(見上愛)のことだった。
前回、惟規(高杉真宙)も辞世の句を詠んだが、その内容も悲しかった。
基本、人生は悲しいもの……。
人は泣きながら生まれ、涙を流して死んでいく。
一条天皇の目からもひと筋の涙……。
まひろ・藤式部(吉高由里子)の創作は今後老いと死を描いていくことになるのだろう。
だが、その前に描いておかなくてはならないのは「罪」。
最近のまひろの頭の中には「罪」というテーマが渦巻いている。
道長(柄本佑)は敦康親王を排して、敦成親王を東宮にするという罪を犯した。
道長にとって権力維持は良き政治をおこなうための手段であるが、
権力を使って敦康親王を排した罪は変わらない。
その罪はどのように道長に返って来るのか?
………………………………………………………………
「塵」の世界では人々は元気だ。
居貞親王(木村達成)は即位して三条天皇に。
権力を得てイキイキとしている。
道長の言いなりにはならないと息巻いている。
清少納言(ファーストサマーウィカ)は道長の横暴に激怒。
敦康は苦労しないで生きていくのもいいかもしれないと定めを受け入れているが、
彰子への思いはどうなのか?
光源氏は桐壺帝が亡くなった後に桐壷更衣の所に忍んでいった。
和泉式部(泉里香)は「罪のない恋などつまりませんわ」
赤染衛門(凰稀かなめ)は「道険しき恋こそ燃えるのでございます」
妍子(倉沢杏菜)はあれも欲しいこれも欲しいと贅沢三昧。
まひろの娘・賢子(南沙良)は双寿丸(伊藤健太郎)に出会った。
このふたりは、まひろと直秀(毎熊克哉)と同じような関係になるのだと思う。
歴史は繰り返す。
そして彰子。
「なにゆえ、わたくしに一言の相談もなく、敦成を東宮にお決めになったのですか!?」
「父上はどこまでわたしを軽んじておいでなのですか!」
「中宮など何もできぬ」
「なにゆえオンナは政に関われるのだ?」
この思いにまひろ直伝の新楽府の政治理論が加わって、彰子は政治にどのように関わっていくのか?
おそらく彰子の行動が道長に返ってくる罪になるのだろう。
さまざまな思いが渦巻く宮中。
話数も残りわずかになって来たが、これらをどのように収拾していくのか?
今後、女性たちがたくましくどんどん自己主張していく気がする。
現に彰子、清少納言、妍子は反道長だ。
和泉式部、赤染衛門の言葉も道長の言葉に対するカウンターだった。
光源氏が晩年、女性たちに相手にされなくなったように、
道長も女性たちに総スカンを食らうのかもしれない。
選挙特番のため次回は19時10分からのオンエア。
※追記
ちなみに僕が好きな辞世の句は十返舎一九のこの句だ。
「この世をば どりゃおいとまに せん香の 煙とともに 灰左様なら」
死を感傷ではなく笑い飛ばしている。
・おいとまにせん→せん香
・はい左様なら →灰左様なら
と掛けている所も上手い。
「この世をば」で思い出すのは──
道長の句「この世をば 我が世とぞ思ふ 望月の 欠けたることも なしと思へば」だが、
十返舎一九はこの道長の句を意識しているのであろうか。
一条天皇(塩野瑛久)退場回である。
寒くても薄手の衣を纏い、「民の心を鏡とした」一条天皇。
敦康親王(片岡千之助)を次の東宮にと望みながら、かなえられなかった一条天皇。
そんな一条天皇が死に際して何を思ったか?
「君を置きて塵を出でぬることぞ悲しき」
思ったのは彰子(見上愛)のことだった。
前回、惟規(高杉真宙)も辞世の句を詠んだが、その内容も悲しかった。
基本、人生は悲しいもの……。
人は泣きながら生まれ、涙を流して死んでいく。
一条天皇の目からもひと筋の涙……。
まひろ・藤式部(吉高由里子)の創作は今後老いと死を描いていくことになるのだろう。
だが、その前に描いておかなくてはならないのは「罪」。
最近のまひろの頭の中には「罪」というテーマが渦巻いている。
道長(柄本佑)は敦康親王を排して、敦成親王を東宮にするという罪を犯した。
道長にとって権力維持は良き政治をおこなうための手段であるが、
権力を使って敦康親王を排した罪は変わらない。
その罪はどのように道長に返って来るのか?
………………………………………………………………
「塵」の世界では人々は元気だ。
居貞親王(木村達成)は即位して三条天皇に。
権力を得てイキイキとしている。
道長の言いなりにはならないと息巻いている。
清少納言(ファーストサマーウィカ)は道長の横暴に激怒。
敦康は苦労しないで生きていくのもいいかもしれないと定めを受け入れているが、
彰子への思いはどうなのか?
光源氏は桐壺帝が亡くなった後に桐壷更衣の所に忍んでいった。
和泉式部(泉里香)は「罪のない恋などつまりませんわ」
赤染衛門(凰稀かなめ)は「道険しき恋こそ燃えるのでございます」
妍子(倉沢杏菜)はあれも欲しいこれも欲しいと贅沢三昧。
まひろの娘・賢子(南沙良)は双寿丸(伊藤健太郎)に出会った。
このふたりは、まひろと直秀(毎熊克哉)と同じような関係になるのだと思う。
歴史は繰り返す。
そして彰子。
「なにゆえ、わたくしに一言の相談もなく、敦成を東宮にお決めになったのですか!?」
「父上はどこまでわたしを軽んじておいでなのですか!」
「中宮など何もできぬ」
「なにゆえオンナは政に関われるのだ?」
この思いにまひろ直伝の新楽府の政治理論が加わって、彰子は政治にどのように関わっていくのか?
おそらく彰子の行動が道長に返ってくる罪になるのだろう。
さまざまな思いが渦巻く宮中。
話数も残りわずかになって来たが、これらをどのように収拾していくのか?
今後、女性たちがたくましくどんどん自己主張していく気がする。
現に彰子、清少納言、妍子は反道長だ。
和泉式部、赤染衛門の言葉も道長の言葉に対するカウンターだった。
光源氏が晩年、女性たちに相手にされなくなったように、
道長も女性たちに総スカンを食らうのかもしれない。
選挙特番のため次回は19時10分からのオンエア。
※追記
ちなみに僕が好きな辞世の句は十返舎一九のこの句だ。
「この世をば どりゃおいとまに せん香の 煙とともに 灰左様なら」
死を感傷ではなく笑い飛ばしている。
・おいとまにせん→せん香
・はい左様なら →灰左様なら
と掛けている所も上手い。
「この世をば」で思い出すのは──
道長の句「この世をば 我が世とぞ思ふ 望月の 欠けたることも なしと思へば」だが、
十返舎一九はこの道長の句を意識しているのであろうか。