鼻っ柱を折られるのが青春だ。
清盛(松山ケンイチ)は打ちのめされる。
海賊退治。
しかし退治したことで、海賊の怒りを買い、逆に助けた民がひどいめに遭うことに。
そのことに若い清盛は思い至らない。
囚われた仲間を助けられない自分。
清盛は、自分の無力を知る。平家の名がなければ何も出来ない自分を知る。
そして、源義朝(玉木宏)との対決。
結果は、「まことの武士は源氏だ」と言われて屈辱的な敗北。
いいですね、こういう主人公の描かれ方。
人は、自分が無力なつまらない人間であることを知り、それを克服しようとすることで大人になっていく。
挫折を知らずに大きくなった人間はずっと自分中心の子供で、鼻持ちならない人間になる。
無力なつまらない人間が克服しようとして立ち上がる所に、人の崇高さがある。
なので、今回はこのせりふ。
「俺はどうしようもない男じゃ! 赤子のように守られているとも知らず、思い上がってひとりで生きておるつもりになって。俺は何も出来ない、つまらないヤツだ。平氏のもとにいなければ、のたれ死ぬしかない野良犬なのじゃ。俺などいらぬ! いらぬ!」
前回は「俺は王家の犬にも平氏の犬にもならぬ。されど俺は生きる。野良犬の声がこの面白くない世を変えるまで面白う生きてやる」というせりふだったが、今回は完全な自己否定。
清盛は、自己肯定し、さらにそれを否定して、どんどん新しい自分に生まれ変わっていく。
肯定と否定を繰り返す激しい心の中の振幅。
そして若さは生命力に溢れ、たとえ打ちのめされても、すぐに立ち上がる力を持っている。
でも、こういう主人公が迷いながらたくましく成長していく作品って視聴率を獲れないんですよね。
少し前の作品だが、宮本武蔵を描いた『武蔵』などを思わせる。
<上昇志向><努力><挫折><迷い>といった主人公像が、時代に合わないのか?
まあ確かに、家族や人と人の絆なんかを描いた作品の方が<今の時代>という気がしますが。
だから、宗子(和久井映見)の「清盛は私の子でございます! 私の子なのです!」というせりふがグッと来るんでしょうね。
さて、今回登場したライバルの源義朝。
義朝は、静かに刃を研ぐタイプですね。
北面の武士になり、王家に取り入ろうとしながら、「武士が王家を守っているのだ」という思いを心に秘めて、権力奪取を目論んだり、清盛の舞を見て、「この男に勝ちたい」と思って武芸を磨いてきたり。
感情をあらわにして叫びまくる清盛とは対照的。
「源義朝なくして平清盛なし。平清盛なくして源義朝なし」
このふたりは、互いの良い所を取り入れ、刺激し合いながら成長していくのでしょうね。
清盛(松山ケンイチ)は打ちのめされる。
海賊退治。
しかし退治したことで、海賊の怒りを買い、逆に助けた民がひどいめに遭うことに。
そのことに若い清盛は思い至らない。
囚われた仲間を助けられない自分。
清盛は、自分の無力を知る。平家の名がなければ何も出来ない自分を知る。
そして、源義朝(玉木宏)との対決。
結果は、「まことの武士は源氏だ」と言われて屈辱的な敗北。
いいですね、こういう主人公の描かれ方。
人は、自分が無力なつまらない人間であることを知り、それを克服しようとすることで大人になっていく。
挫折を知らずに大きくなった人間はずっと自分中心の子供で、鼻持ちならない人間になる。
無力なつまらない人間が克服しようとして立ち上がる所に、人の崇高さがある。
なので、今回はこのせりふ。
「俺はどうしようもない男じゃ! 赤子のように守られているとも知らず、思い上がってひとりで生きておるつもりになって。俺は何も出来ない、つまらないヤツだ。平氏のもとにいなければ、のたれ死ぬしかない野良犬なのじゃ。俺などいらぬ! いらぬ!」
前回は「俺は王家の犬にも平氏の犬にもならぬ。されど俺は生きる。野良犬の声がこの面白くない世を変えるまで面白う生きてやる」というせりふだったが、今回は完全な自己否定。
清盛は、自己肯定し、さらにそれを否定して、どんどん新しい自分に生まれ変わっていく。
肯定と否定を繰り返す激しい心の中の振幅。
そして若さは生命力に溢れ、たとえ打ちのめされても、すぐに立ち上がる力を持っている。
でも、こういう主人公が迷いながらたくましく成長していく作品って視聴率を獲れないんですよね。
少し前の作品だが、宮本武蔵を描いた『武蔵』などを思わせる。
<上昇志向><努力><挫折><迷い>といった主人公像が、時代に合わないのか?
まあ確かに、家族や人と人の絆なんかを描いた作品の方が<今の時代>という気がしますが。
だから、宗子(和久井映見)の「清盛は私の子でございます! 私の子なのです!」というせりふがグッと来るんでしょうね。
さて、今回登場したライバルの源義朝。
義朝は、静かに刃を研ぐタイプですね。
北面の武士になり、王家に取り入ろうとしながら、「武士が王家を守っているのだ」という思いを心に秘めて、権力奪取を目論んだり、清盛の舞を見て、「この男に勝ちたい」と思って武芸を磨いてきたり。
感情をあらわにして叫びまくる清盛とは対照的。
「源義朝なくして平清盛なし。平清盛なくして源義朝なし」
このふたりは、互いの良い所を取り入れ、刺激し合いながら成長していくのでしょうね。
清盛には好きなようにさせ、自分の身をもって悟るのを「待つ」忍耐力。そして忠盛自身の方針はいささかもぶれることがない。
義朝はなりたかった「北面の武士」になることができず苦労しており、清盛の「野良犬気取り」が甘えでしかないことも見通しており、この時点ですでに「勝負あった」感じです。
その義朝はなぜ「振り返らず」-つまりその満面の笑顔を清盛に見せることなく立ち去ったのか。
「勝ち誇り」の笑顔ならば清盛に見せつけたことでしょう。
おそらく義朝は、このことによって清盛が一皮剥けて成長し、「舞」の時に見た「自分が目標とすべき男」が復活することを予感して嬉しかったのだと思います。
>「源義朝なくして平清盛なし。平清盛なくして源義朝なし」
>このふたりは、互いの良い所を取り入れ、刺激し合いながら成長していくのでしょうね。
「宿敵」「親友」紙一重のこうした関係はいいですね。
そうした爽やかな男(武士)の世界と対照的なのが宮中のおぞましさ。
「妖怪」白河院亡き後、璋子が「女妖怪」ぶりを発揮していますね。
もっとも、庇護者にして愛人の白河院が世を去った今、権力を手にしつつある夫をあれほどまでに侮るに至っては、状況の変化に気付かぬ「愚かさ」も感じます。
さすがに堀河局は馬鹿ではないので顔色を変えていましたね。
いずれにしても、崇徳という存在がなければ「保元の乱」はないわけで、彼女と白河が世に乱れをもたらす元凶であったことは間違いありません。
さらには後日、璋子は清盛の親友となる佐藤義清(=西行)を翻弄し、彼を出家にまで追い込むわけですから、まさに「魔性の毒婦」というべきでしょう。
2回目の失速感と違和感を拭い去る3回目だったと思います
>宗子(和久井映見)の「清盛は私の子でございます! 私の子なのです!」というせりふが(グッと来るんでしょうね。
同感です
時代劇の和久井映見さんは好きなのですが
昨夜は特に良かったです
>少し前の作品だが、宮本武蔵を描いた『武蔵』などを思わせる
そう言えば 傾向が似てますね
「前例の無い逞しいお通さん」に戸惑いながらも 全話見ましたよ
視聴率は悪かったらしいですね
私は 結構面白かったですけれど・・・
コメントが遅くなったのは
「開拓者」たちの最終話の録画を見ていたからです
日曜日の夜は 見るべきドラマが4本もあって
大変です ^^;
いつもありがとうございます。
おっしゃるとおり、忠盛も義朝も璋子といった脇役もしっかり描き込まれていますね。
忠盛の清盛を信じて、自分で気づくのを待つという父親像にも「なるほど!」。
子供を信じていないと、親は目の前の出来事に動揺してブレますよね。
忠盛にはそれがない。
一度信じたら信じ切る。
私も教訓にしたい所です。
義朝が<ふり返らなかった>という作劇は見事ですよね。
芸が細かい。
作家が義朝という人物をきちんと把握しているから、こういう作劇が出来るのでしょうね。
今年はシナリオ面で安心が出来そうです。
璋子や西行、保元の乱などに関しては、私、歴史の授業をほとんど忘れてしまっていまして、興味津津です。
TEPOさんは、この時代の歴史にお詳しいのですね。
いつもありがとうございます。
>時代劇の和久井映見さんは好きなのですが
役者さんの趣味で、megumiさんと意見が一致しましたね。
私も好きです。
ただ、<時代劇の>と付けていらっしゃる所が、さすがmegumiさん。
私は、現代劇の和久井さんも好きです!
『武蔵』に関しては、主人公の荒々しさやビルディングス・ロマンという点で似ているなと思いました。
それに『武蔵』も視聴率がよくなかったんですよね。
成長物語って、説教くさくて受け入れられにくいのでしょうか。
「開拓者たち」は早く地上に降りてきてくれないかな、と思っています。
満島ひかりさんという点でも、意見が一致していますね。
和久井さんのクラシックな顔立ちが
時代劇の雰囲気と良く合うと思うんです
もちろん
「ピュア」にハマりましたし
現代劇の彼女も良いと思いますよ
映画「就職戦線異状なし」のキャリアウーマンも素敵でした
特に「不毛地帯」の壱岐の妻役は
とても好きでした
大島紬の羽織と着物姿で 夫が居るであろう窓を見上げる彼女の表情は秀逸でした
その和久井さんを裏切って不倫に走る壱岐が許せなくて
リタイアしたほどですよ
横にそれますが
朝ドラ「カーネーション」は ご覧になっていないでしょうが
「mother」で怜菜を虐待していた
コンビ(尾野真千子さん 綾野剛さん)が
不倫とは言え『良い感じ』になっています
しかも 応援したくなる好感度です
役者は本当に化けますね
「開拓者たち」は
良く出来たドキュメンタリードラマでしたよ
特に目新しいことは何も描かれていませんが
胸を打つ作品でした
私 泣きましたもん
少しだけ補足します。(史実ネタバレとなるのでしたら御容赦ください)。
「保元の乱」は鳥羽と崇徳との不仲が根本原因で、摂関家、源氏、平家がそれぞれ分裂して鳥羽(正確には鳥羽が擁立した後白河天皇)派と崇徳派とに対立して戦い、後白河天皇側が勝利する事件です。
本作は明確に崇徳を白河と璋子との不義の子とすることにより、鳥羽がなぜ崇徳を憎んだのかが分かりやすく描かれています。
ただし歴史学的には、これは『古事談』なる文献のみが伝える一つの説に過ぎず、真偽は不明とのことです。
この説を採用した本作の枠組みからすれば白河と璋子との不義こそが「保元の乱」の原因だったことになるので、璋子を「魔性の毒婦」-少し言い過ぎだったのでは、と気になって今このコメントを書いています-と書きましたが、これは必ずしも史実の藤原璋子(=待賢門院)について述べたことではありません。
璋子を「女妖怪」と評したのは、不義を後ろめたく思うどころか、夫鳥羽を侮ってその神経を逆撫でした驕慢のためです。
また、彼女に「愚かさ」も感じられると評したのは、やがて鳥羽は愛憎入り交じる璋子よりも別の女性、すなわち藤原得子(=美福門院)を寵愛するようになるからです。
おそらくその時、璋子は自分の愚かさを知ることになるのだろうと思います。
そして「保元の乱」は待賢門院と美福門院との「女の闘い」でもあるのです。
西行については、数年前朝日新聞に連載されていた夢枕獏氏による小説『宿神』によっています。
この作品は佐藤義清(=西行)が主人公で、そこでも平清盛の親友として描かれていましたが、璋子への恋が原因となって妻子も捨てて出家することになります。
西行出家の動機を璋子への恋とするのも一つの説に過ぎませんが、『宿神』以前にも白洲正子、辻邦生、三田誠広ら文学者たちが採用しており、本作でも公式HPの「人物相関図」では璋子への恋が示唆されています。
すでに今回、その伏線がありましたね。
和久井映見さんと言えば、最初に見たのが、フジテレビの『いもうと』←タイトルがうろ覚えです。岸谷五朗さんの妹役をやっていていい感じでした。
落ちついた真面目な役が多い和久井さんですが、思い出してみると「必殺仕事人」の女元締め役もやっているんですよね。
画面に出て、華がある感じではありませんが、画面を安定させる女優さんですよね。
満島ひかりさんは、ともかく目がいってしまう女優さん。
彼女のせりふまわし、仕草、目の動き、何気ない表情、すべてが全部気になってしまう。
ともかくすごい! すごすぎる!
教えていただきありがとうございます。
ネタバレというより、今後の展開が楽しくなりました。
西行出家の動機の原因が、璋子であるというのは創作意欲をかき立てられるモチーフですね。
夢枕さん、辻邦生さん、三田誠広さんらが作品として書いたのもわかる気がします。
ともかく作品には、いかがわしい人物がたくさん出てきてほしいですね。
それがドラマのコクになる。
白河院が退場して残念に思っていたのですが、璋子がその跡を引き継ぐんですね。