NHKの『歴史秘話ヒストリア』で<悪左府>藤原頼長のことを紹介していた。
そこで描かれていたのは
★発言力が失われた藤原摂関家の再興のために戦った頼長。
★父・忠実の期待に応えようとした頼長。
★千巻を越える漢籍を読んで、政治家としての知識を習得していった頼長。(彼の勉強はすさまじく石風呂に入っている時も、家人に漢籍を朗読させ、その内容を記憶しようとしたらしい)
★腐敗しきった貴族政治を立て直すべく、周囲に嫌われながらも左大臣として厳しい政治を行っていった頼長。
ここには、<悪左府>とは程遠い、理想に燃えたひたむきな政治家の姿がある。
しかし、ひたむきさというのは、時に暴走し、極端に走る。
★自分に厳しい頼長は他人にも厳しさを要求する。
★学問を積んだ自分が一番に思えるから、周囲がバカに見える。
結果、他人を蔑視し、敵を作り、自分に歯向かう者を排除しようとする。
やがて過度なひたむきさは、目的のためには手段を問わない方向へ向かう。
★頼長が浮き名を流した数々の男色関係。
頼長の日記『台記』に書かれた<讃>や<美>の文字は<讃岐守><美濃守>のことで、頼長が落とした貴族たちを意味するらしい。
つまり頼長は政治に関わる若い貴族たちを恋人にしていき、政治の実権を確固たるものにしようとした。
中には真剣な恋愛があったらしいが、この情事に裏には多分に政治的な意図があった。
★また随身・秦公春(はた・きみはる)らを使って、恩赦で釈放された悪党などを、<必殺仕事人>のように暗殺していったらしい。
このあたりが、頼長が<悪左府>と言われる所以であろう。
しかし、過度な行為には反動が来る。
敵となった反動勢力が足を引っ張り、追い落としにかかる。
★目の病で17歳で死んだ近衛天皇。愛宕山の天狗像の目に差された釘。この呪いの首謀者として頼長が疑われる。
★後白河天皇を呪詛しようとしたという疑いをかけられ、蟄居させられる。
すべて敵対勢力の陰謀である。
この陰謀には、兄・忠通も荷担していたらしい。
そして復権をかけた保元の乱。
頼長は負けて、矢を背中に受けて、父・忠実が避難している奈良の屋敷へ行く。
しかし、忠実は頼長を屋敷の中に入れようとしない。
頼長を助ければ、自らの身も危なくなるからだ。
この父親の裏切りに頼長は舌を噛みきって悔しがったという。
頼長の遺体は近臣に拠って埋葬されたが、すぐに暴かれて、そのまま曝されたらしい。
現在は京都の相国寺に、<悪左府>と書かれた首塚がある。
というわけで、藤原頼長の生涯は完全な悲劇。
ひとつのひたむきな魂が、過度に走り、次第にまわりが見えなくなり、結果、多くの敵を作り、敵から自分を守るために策を弄し、陰謀は陰謀を生み、裏切りの果てに失われていく。
こうして見ていくと、西行のように世を捨てて生きていくのが一番のように思えますね。
貧しくても、諸国を旅して、美しいものにふれて、心穏やかに生きる。
次回の大河ドラマ『平清盛』は<保元の乱>ですが、どのような頼長が見られるのでしょうか。
そこで描かれていたのは
★発言力が失われた藤原摂関家の再興のために戦った頼長。
★父・忠実の期待に応えようとした頼長。
★千巻を越える漢籍を読んで、政治家としての知識を習得していった頼長。(彼の勉強はすさまじく石風呂に入っている時も、家人に漢籍を朗読させ、その内容を記憶しようとしたらしい)
★腐敗しきった貴族政治を立て直すべく、周囲に嫌われながらも左大臣として厳しい政治を行っていった頼長。
ここには、<悪左府>とは程遠い、理想に燃えたひたむきな政治家の姿がある。
しかし、ひたむきさというのは、時に暴走し、極端に走る。
★自分に厳しい頼長は他人にも厳しさを要求する。
★学問を積んだ自分が一番に思えるから、周囲がバカに見える。
結果、他人を蔑視し、敵を作り、自分に歯向かう者を排除しようとする。
やがて過度なひたむきさは、目的のためには手段を問わない方向へ向かう。
★頼長が浮き名を流した数々の男色関係。
頼長の日記『台記』に書かれた<讃>や<美>の文字は<讃岐守><美濃守>のことで、頼長が落とした貴族たちを意味するらしい。
つまり頼長は政治に関わる若い貴族たちを恋人にしていき、政治の実権を確固たるものにしようとした。
中には真剣な恋愛があったらしいが、この情事に裏には多分に政治的な意図があった。
★また随身・秦公春(はた・きみはる)らを使って、恩赦で釈放された悪党などを、<必殺仕事人>のように暗殺していったらしい。
このあたりが、頼長が<悪左府>と言われる所以であろう。
しかし、過度な行為には反動が来る。
敵となった反動勢力が足を引っ張り、追い落としにかかる。
★目の病で17歳で死んだ近衛天皇。愛宕山の天狗像の目に差された釘。この呪いの首謀者として頼長が疑われる。
★後白河天皇を呪詛しようとしたという疑いをかけられ、蟄居させられる。
すべて敵対勢力の陰謀である。
この陰謀には、兄・忠通も荷担していたらしい。
そして復権をかけた保元の乱。
頼長は負けて、矢を背中に受けて、父・忠実が避難している奈良の屋敷へ行く。
しかし、忠実は頼長を屋敷の中に入れようとしない。
頼長を助ければ、自らの身も危なくなるからだ。
この父親の裏切りに頼長は舌を噛みきって悔しがったという。
頼長の遺体は近臣に拠って埋葬されたが、すぐに暴かれて、そのまま曝されたらしい。
現在は京都の相国寺に、<悪左府>と書かれた首塚がある。
というわけで、藤原頼長の生涯は完全な悲劇。
ひとつのひたむきな魂が、過度に走り、次第にまわりが見えなくなり、結果、多くの敵を作り、敵から自分を守るために策を弄し、陰謀は陰謀を生み、裏切りの果てに失われていく。
こうして見ていくと、西行のように世を捨てて生きていくのが一番のように思えますね。
貧しくても、諸国を旅して、美しいものにふれて、心穏やかに生きる。
次回の大河ドラマ『平清盛』は<保元の乱>ですが、どのような頼長が見られるのでしょうか。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます