平成エンタメ研究所

最近は政治ブログのようになって来ました。世を憂う日々。悪くなっていく社会にひと言。

麒麟がくる 第35回「義昭、まよいの中で」~揺れる義昭、本音を漏らす。信長とわしは性が合わぬ

2020年12月07日 | 大河ドラマ・時代劇
 光秀(長谷川博己)は「病んでいる幕府をただす」ことを考えている。
 これに対して藤吉郎(佐々木蔵之介)。
「ただせますか?」
 藤吉郎は、この100年間足利幕府がゴタゴタ続きで、自分も公方様や幕府から何の恩恵も受けなかったことを語る。
 そして──
「幕府はそろそろ見切り時では?」

 一方、幕府・政所の摂津晴門(片岡鶴太郎)。
 信長寄りの光秀を斬ることを画策し、仮に織田といくさになる場合、武田・浅井・朝倉の連合軍が幕府に味方すると考えている。

 いいですね、このふたつのシーン。
 信長と幕府の亀裂を的確に描いている。
 両者は完全に平行線。もはや交わることがないのだ。
 ………………

 将軍・義昭(滝藤賢一)は両者の間で迷っている。
 駒(門脇麦)に光秀殺害を黙認していることを責められると、
「駒、憐れなわしを絞め殺してくれ。わしには味方がいないのじゃ」
 お飾りの権力者はつらいなあ。
 自分の軸をもたない権力者はまわりに翻弄されるんだなあ。
 そして、駒にだけは泣き言を言って自分の弱さを見せる。
 駒だけが孤独な義昭の拠り所になっている。

 そんな義昭に光秀は暗殺者の槍と刀をかいくぐり、命がけの直訴。
「三年前の穴蔵は楽しいものでした」
「美しい都をつくるという理想を共に抱いておりました」
「旧きものを捨て去るには良い機会かと」
 結果、義昭は摂津晴門を排除するが、こんな本音を光秀に漏らす。
「信長とわしは性が合わぬ」

 ドキッとするせりふですね。
 フラフラしている義昭だが、「信長とわしは性が合わぬ」だけは揺るがぬ信念の様子。
 これで光秀の思い描く理想はガラガラと崩れ去った。

 孤独、不安、無力、哀しみ、自己嫌悪、そして信長に対する憎しみ。
 さまざまな感情の義昭を滝藤賢一さんが見事に演じ切った。
 以前も書いたが、義昭は半径50メートルの世界で、僧として貧しい人々に施しを与えることに喜びを感じる人物。
 壮絶な権力闘争がおこなわれる政治の世界に足を踏み入れてはいけなかった。
 この点で義昭を政治の場に踏み入れた光秀は罪なんですよね。
 それは、この後ますます狂っていく信長(染谷将太)も同じで、光秀には信長を権力の場に引っ張り込んだ責任がある。
 光秀はこれらを清算するために本能寺の変に及ぶのだろう。

 そして正親町天皇(坂東玉三郎)。
 次回は光秀が会うようだが、こちらも突っ込んで描くのか。
 普通なら現状くらいの存在感で描かれて、やがてはフェイドアウトしていくのだが、今後のドラマにどう絡んでいくのか?
 駒ちゃんもどんどん存在感を増してるな。
 ドラマを動かす便利キャラでもある。
 伊呂波太夫を動かすために、帰蝶様のようにいきなり銭を突きつけた。
 将軍義昭を叱りつけることも。


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4 コメント

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Unknown (ロギー)
2020-12-07 19:08:40
麒麟が来るは結局「国盗り物語」の劣化版なんですよね。
光秀が優柔不断で無能に見えてきます。
足利幕府は既に終わってるのに立て直すなんて、無理なんですよ。
秀吉が幕府は潰すべきだと論じた際は真理だと思いました(最下層から世の中を見てきた現実主義の秀吉は流石です)

返信する
秀逸な義昭像 (TEPO)
2020-12-07 21:52:02
>さまざまな感情の義昭を滝藤賢一さんが見事に演じ切った。

従来型の義昭像は、「バカ殿」のくせして公家まがいの策謀を弄する「クズ」、というのが定番のステレオタイプでした。
ここまで深みのある、悲劇性を帯びた義昭の人物造形は本作の「胆」の一つですね。

本作のサブ・ヒーローは一応信長でしょうし、タイトルバックでも信長が二番目なのですが、現状ではむしろ義昭のように思えます。
ヒロイン・駒を「義昭付き」に投入していることでもありますし。

池端氏は足利幕府最初の将軍(「太平記」)と最後の将軍(本作)を描いたわけですね。
大河の中で足利幕府(「戦国時代」としてではなしに)を取り上げた作品は、池端作品以外には応仁の乱を描いた「花の乱」くらいのもので、ほとんど無いんですよね。
このことには、初代将軍尊氏の「逆賊」イメージが影響しているのかもしれません。
「皇国史観」では、後醍醐天皇、楠木正成、新田義貞が「正義」で、足利尊氏は「逆臣」というのが公式的な位置づけでした。
古典としての「太平記」も概ねそうした視点だったと思いますが、池端さんの「太平記」は何と足利尊氏を主人公とするもので、本作同様、従来の視点に挑戦する内容でした。

>駒ちゃんもどんどん存在感を増してるな。

いやはや何とも駒ちゃん、「偉く」なったものです。
義昭との関係が気になりますが、無論「正妻」の筈もなく、おそらく「側室」でもないでしょう。
つまり、義昭に依存した存在ではなく、今日風の「自立した女性」―堺にも人脈(今井宗久)を持つ製薬会社の女社長―です。
それゆえ、今後義昭が没落しても、駒は駒として立って行ける筈であり、まさに「無敵キャラ」。

>光秀はこれらを清算するために本能寺の変に及ぶのだろう。

義昭と信長に道を誤らせた責任をとっての「本能寺」、というコウジさんの予想には説得力を感じます。
ただその場合、本作全体の「救い」はどこに置かれることになるのでしょうね。

やはり、「天海展開」?
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迷うのが主人公 (コウジ)
2020-12-08 08:51:06
ロギーさん

お久しぶりです。
コメントありがとうございます。

『さまざまな困難にぶつかって迷いながら苦しみながら生きていく』
これがドラマなんですよね。
まあ、迷ってばかりいると、物語から痛快さやダイナミズムが失われてしまうんですけど。

本作は、旧きもの(義昭)と新しきもの(信長)の対立&それの目撃者としての光秀、という図式で描かれていて、作劇として上手いと思います。
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足利家を描きたい池端さん (コウジ)
2020-12-08 09:12:44
TEPOさん

いつもありがとうございます。

>池端氏は足利幕府最初の将軍(「太平記」)と最後の将軍(本作)を描いたわけですね。
このあたり池端さんのこだわりなんでしょうね。
・足利家をもっと描きたかった。
・マイナスのイメージの多い足利将軍を復権させたかった。
足利義昭と言えば、おっしゃるとおり、今までは類型的な描写で済ませていましたが、今作はしっかり掘り下げている。
僕の中で、心に残る人物になりました。

駒ちゃんはまっすぐで揺るぎませんね。
・義昭の覚えめでたい存在でありながら、その威を利用して権力を濫用しない。
・薬で財力を持ちながら、贅沢をせず、有効なことに使う。
・義昭にも言うべきことはしっかり言う。

義昭も信長も権力闘争の中でフラフラしているのに、駒ちゃんだけは、権力闘争に関わっていないせいもありますが、変わらないんですよね。
駒ちゃんは今後どこまでいくのでしょう。

光秀に関しては、本能寺の動機をどこまで掘り下げて描くかですよね。
「救い」はやはり駒になるのでしょうか。
ラストは、徳川の世になって、駒が「十兵衛様、麒麟がやって来ましたよ」と空を見上げる。
こちらの予想を上まわるラストを期待したい所です。
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