『みやこには恋しき人のあまたあれば
なほこのたびはいかむとぞ思ふ』
「恋しき人」には恋愛以外の意味もあるのだろう。
つまり大好きな人たち。
姉上、父上、賢子(南紗良)、いと(信川清順)、乙丸(矢部太郎)……。
惟規(高杉真宙)にはたくさんの好きな人がいた。
まわりの人間も惟規のことが大好きだった。
この性格は、いとが愛情を注いだ結果だろう。
子供の頃の「愛情の貯金」は大切だ。
「きっとみんなうまくいくよ」
惟規は楽天家であった。
その基本姿勢は「なるようになる」
がんばったり、抗おうとしたりしない。
出世も姉と道長(柄本佑)のおかげで何となく出世してしまった。
唯一、固執したのは斎院の中将(小坂菜緒)だろうか?
多くを語らなかったが、斎院の中将の心変わりは痛手を負った様子。
やわらかで軽快な生き方だったと思う。
大好きな人がいっぱいで幸せだったと思う。
そんな惟規と対照的なのが、同じく亡くなった伊周(三浦翔平)。
「俺は奪われ尽くして死ぬのか……!」
最期まで権力と栄華と過去に固執し、憎しみの中で死んでいった。
「あの世で栄華を極めなさいませ」
弟の隆家(竜星涼)のこの言葉が救いであったかもしれない。
惟規の死は、まひろ・藤式部(吉高由里子)と娘・賢子の絆を結んだ。
激しく泣くまひろに肩を添える賢子。
賢子は母の人間らしさ、弱さを知った。
哀しさがふたりを繋いだ。
……………………………
敦康親王(片岡千之助)は完全に彰子(見上愛)のことが好きなようだ。
彰子を見つめる姿はまさに『源氏物語』の桐壺に想いを寄せる光源氏。
これを見た道長はまひろに
「敦康親王様はおまえの物語にかぶれすぎておられる」
まひろはそんなことないといなすが、
物語の主人公と自分を重ね合わせるのはしばしばあること。
道長も『源氏物語』のエピソードに自分を見ているに違いない。
まひろの物語はそれだけ力を持っている。
敦康の気持ちに彰子がまったく気づいていない所が面白い。
敦康にかけた言葉が、
「立派な帝におなりあそばすために精進なさいませ」
一方、道長は敦康排除の動きに。
「俺の目の黒いうちに敦成が帝になる所を見たいものだ」
さて、次回はそれで波瀾の様子。
予告では彰子が激怒していた。
※追記
為時(岸谷五朗)は賢子の父が道長であることを知らなかった!
宣孝(佐々木蔵之介)はそれを受け入れていたことも知らなかった!
何とも鈍い父上。
このことを儀式の場で道長に伝えようとして目で合図を送ったり、
謁見の場で惟規が道長に言い出すのではないかと心配したり、
表情だけで笑いをつくってしまう岸谷五朗さんの芝居が素晴しい。
なほこのたびはいかむとぞ思ふ』
「恋しき人」には恋愛以外の意味もあるのだろう。
つまり大好きな人たち。
姉上、父上、賢子(南紗良)、いと(信川清順)、乙丸(矢部太郎)……。
惟規(高杉真宙)にはたくさんの好きな人がいた。
まわりの人間も惟規のことが大好きだった。
この性格は、いとが愛情を注いだ結果だろう。
子供の頃の「愛情の貯金」は大切だ。
「きっとみんなうまくいくよ」
惟規は楽天家であった。
その基本姿勢は「なるようになる」
がんばったり、抗おうとしたりしない。
出世も姉と道長(柄本佑)のおかげで何となく出世してしまった。
唯一、固執したのは斎院の中将(小坂菜緒)だろうか?
多くを語らなかったが、斎院の中将の心変わりは痛手を負った様子。
やわらかで軽快な生き方だったと思う。
大好きな人がいっぱいで幸せだったと思う。
そんな惟規と対照的なのが、同じく亡くなった伊周(三浦翔平)。
「俺は奪われ尽くして死ぬのか……!」
最期まで権力と栄華と過去に固執し、憎しみの中で死んでいった。
「あの世で栄華を極めなさいませ」
弟の隆家(竜星涼)のこの言葉が救いであったかもしれない。
惟規の死は、まひろ・藤式部(吉高由里子)と娘・賢子の絆を結んだ。
激しく泣くまひろに肩を添える賢子。
賢子は母の人間らしさ、弱さを知った。
哀しさがふたりを繋いだ。
……………………………
敦康親王(片岡千之助)は完全に彰子(見上愛)のことが好きなようだ。
彰子を見つめる姿はまさに『源氏物語』の桐壺に想いを寄せる光源氏。
これを見た道長はまひろに
「敦康親王様はおまえの物語にかぶれすぎておられる」
まひろはそんなことないといなすが、
物語の主人公と自分を重ね合わせるのはしばしばあること。
道長も『源氏物語』のエピソードに自分を見ているに違いない。
まひろの物語はそれだけ力を持っている。
敦康の気持ちに彰子がまったく気づいていない所が面白い。
敦康にかけた言葉が、
「立派な帝におなりあそばすために精進なさいませ」
一方、道長は敦康排除の動きに。
「俺の目の黒いうちに敦成が帝になる所を見たいものだ」
さて、次回はそれで波瀾の様子。
予告では彰子が激怒していた。
※追記
為時(岸谷五朗)は賢子の父が道長であることを知らなかった!
宣孝(佐々木蔵之介)はそれを受け入れていたことも知らなかった!
何とも鈍い父上。
このことを儀式の場で道長に伝えようとして目で合図を送ったり、
謁見の場で惟規が道長に言い出すのではないかと心配したり、
表情だけで笑いをつくってしまう岸谷五朗さんの芝居が素晴しい。
ネット上に、これまでの惟規とまひろとの場面を枚挙した記事がありました。
そこで改めて「惟規単体」の人物像を通観してみると、彼は一貫して「姉思い」の優しい弟であり、時として真面目すぎて不器用なまひろには欠落している面を補ってくれる存在として描かれてきたことがわかります。
その極めつけが縁側での最後の語らい-こう言う場面は大抵「フラグ」-の場面。
「きっとみんなうまくいくよ」という言葉は賢子との関係に悩むまひろに向けられたもの。そして、
>惟規の死は、まひろ・藤式部と娘・賢子の絆を結んだ。激しく泣くまひろに肩を添える賢子。
つまり、惟規は自分の死によって結果として姉の悩みを解決してあげたことになる。
これは「訃報」そのものに加えて泣かせる設定です。
かつてまひろが一時は反目した父・為時の理解者、支えとなったように、おそらく今後の賢子は母を理解し、支えてゆくようになるのでしょう。
ところで、おそらくは資料の無いまひろと賢子との母子関係、ずっと良好にしておいても良さそうなものを、何故今まで反目させたのか。
そもそも賢子が反抗したきっかけは、酔っ払ったまひろが少し調子に乗って宮中の話をしたことを「自慢」と取ったことでした。
賢子は「おじじ様」と並んで「叔父上」をも全面的に慕っていた様子が描かれていました。
為時、惟規、いと、乙丸ら、「質素だが暖かい」一家への家族愛が賢子の中核にあります。
賢子は先のまひろの中に、そうした「質素だが暖かい」一家から浮き上がってしまいかねない「上昇志向」(と見えたもの)に反発したのでしょうが、今回惟規を失って号泣するまひろの中に溢れる家族愛を感じ取って「和解」に及んだものと考えられます。
ところで、『源氏物語』の作者として、また、彰子の信頼篤い「師」として、現在まひろは相変わらず「絶頂」にあるのですが、今後賢子は官職という点では母以上に出世してゆくことになります。
その際彼女が道長の御落胤である事実が効いてくるでしょうし、おそらく賢子自身、自分の実父が道長であることを知るようにもなることでしょう。
となると、賢子自身に「奢り」「上昇志向」のイメージがつきまといかねません。
それゆえ、現時点での賢子に「質素だが暖かい」一家への家族愛と「反上昇志向」とを描き込んでおきたかったのでしょう。
「藤壺女御:光源氏=彰子:敦康親王」の比例式、まひろは本気で取り合っていませんでした。
単なる道長の杞憂なのか、それとも「何か」が起こるのか。
いずれにしても、来週あたり勃発が予想される道長・彰子の父子対立に際しては、まひろは完全に彰子側に立つことになるのでしょう。
伊周は予想どおりの最期を遂げましたが、その後のききょう・清少納言の表情には伊周の怨念が半ば乗り移ったかのような雰囲気がありました。
彼女の生活史と立場からすれば理解はできますが、本作の視聴者からは「歪んだ見方」と映ることでしょう。
伊周が退場したとしても、また仮に敦康親王自身に落ち度が無かったとしても、ききょうに代表されるような「怨念の成分」が周囲につきまとう限りにおいて、道長にとって敦康はやはり忌避感の対象となることでしょう。
いつもありがとうございます。
惟規、今回クロースアップされましたね。
今までワンポイント・ギャグ担当みたいな立ち位置だったので僕も惟規について書きませんでした。
同じような立ち位置として道綱、実資がいますが、彼らにも様々な思いがあり、掘り下げると面白そうですね。
賢子の「家族愛」。
そんな賢子にとって、まひろは自分や家族を捨てた存在に思えたんでしょうね。
「質素な暖かさ」も賢子のアイデンティティで、「華美で得体の知れない」宮廷世界には嫌悪があるのでしょう。
実際、今回賢子は道長からの贈り物を拒絶しました。
今後、賢子は宮廷にあがり、母の苦労を知り、自分も宮廷で家族を養わなければと思い、自分の出自を知り、戸惑いながら昇華していくのでしょう。
賢子の変化は後半のドラマになりそうですね。
道長と彰子の対立。
おそらくまひろは道長を諫めながら、両者の間に入って取りなそうとするのでしょう。
道長を諫め、道長に言葉を届けることができるのは、ソウルメイト・まひろですから。
権力の大切さを理解した彰子は、敦康のような悲劇を繰り返さないために、自らが権力を持とうとするのかもしれません。
オーソドックスな展開ですが。
清少納言の道長憎し、ひいてはまひろへの怒りは加速するんでしょうね。
清少納言はこれをどう昇華していくのか?
清少納言のドラマも続きそうです。
惟規は、高杉真宙さんが演じたので注目はしていましたが
今回は、自分では意識せずに活躍しましたね。
滅私奉公(妻帯はしている)の乙丸とやともに、まひろ一家の温かさを醸し出す存在でした。
乳母のいとの嘆きや如何に?
姉のまひろ以上だったかもしれませんね。
敦康親王の今後を知っているだけに
まひろが自分とどう折り合いをつけていくのか楽しみです。
いつもありがとうございます。
高杉真宙さんはどちらかというと頼りない男の役(惟規もそう)が多かったですが、最近、「となりのナースエイド」など幅を広げて来ていますよね。
豪華な食事ばかりだと飽きてお茶漬けを食べたくなってしまうように、ドラマには「お茶の間」的な要素も必要なので、為時一家はそれなのでしょうね。
いとさんが出世した惟規を抱きしめたシーンよかったですね。
まひろ弟くん、はやりの新自由主義的な価値観では、あまり評価されないでしょうね。
誰もが分かりやすい「スゴい技術」があるわけでもないし、リーダーシップがあるわけでもないです。しかし能力はあるんです。
ああいう人物が組織にいると、誰もが働きやすくなり、雰囲気がよくなり、能率も生産性も上がります。会社のあるあるですが、営業の課が複数あるのに、第2課だけ妙に雰囲気がよくて、成績もいいことってありますよね。気をつけてみていると、まひろ弟くんのような人間がいることが多いわけです。組織の空気を改善する能力なんですよね。
ただ、そういう「改善能力」は論理的には説明しづらく、ロジカルな分析では「働きが悪い」と思われがちです。リストラして追い出してみると「ああ、あいつのおかげだったんだな」と初めて気づくわけです。
昔は人徳とかムードメーカーとか言ったものですが、こういった触媒的な能力を評価せず、ものスゴい能力を持つ個人を組み合わせていくだけで優秀な組織になると「論理的に」考える新自由主義は、実はかなり稚拙です。
ニッポンを取り戻すには、新自由主義や能力主義ではなくて、人徳重視と思うんですが、そういうことを主張すると、負け犬と言われてしまうわけで、やはり今の時代はちょっとマトモじゃないなと思いますね。
ということで、脱線しました。
いつもありがとうございます。
「釣りバカ日誌」の主人公ハマちゃんみたいな存在ですよね。
釣りのことしか興味がないけど、人気者で空気を明るくさせる存在。
少し話は飛びますが、蟻の世界では、働かない蟻が2割いるそうですが、そんな存在。
そして、おっしゃるとおり効率や成果重視の新自由主義的な価値観の会社では、ハマちゃんのような存在は排除されます。
流れに逆らわない水のような存在の惟規に、僕は2020さんが好きな「老子的なもの」を見ました。