「いかなる時も我々を信頼して下さる帝であってほしい。それは敦成様だ。
家の繁栄のために言っているのではないぞ。
なすべきは揺るぎなき力を持って民のため良き政をおこなうことだ」
道長(柄本佑)は敦康親王(渡邉櫂)が帝だと自分の地位を揺るがす者が現れて、
世が乱れると考えている。
新たな懸念もあった。
仲睦まじい彰子(見上愛)と敦康。
この関係は、まさに『源氏物語』の藤壺と光源氏ではないか。
今のままだと藤壺と光源氏のように彰子と敦康は密通してしまうかもしれない。
だから敦康をすぐに元服させ、藤壺から追い出す必要があった。
悩みながらも非情な決断を下さなければならない道長。
そんな道長に伊周(三浦翔平)は──
「何もかもおまえのせいだー!」
直接、呪詛されてしまう。
伊周は呪詛を重ねて消耗し、頭がおかしくなっている。
・誰かを排除すること。
・誰かの恨みを買うこと。
権力を持つとはそういうことなのだ。
私欲ではなく、すべては民のため帝のためと考えていても、それは免れない。
不満な者は必ず出て来る。
いい人ではたちまち政敵からしてやられてしまう。
伊周に憎しみを向けられて呆然とする道長。
これに涙するまひろ・藤式部(吉高由里子)。
憎しみを向けられるような存在に道長をしてしまったのは、他ならぬまひろなのだ。
ふたりは、民のため世のためにそれぞれの役割を果たそうと誓い合った。
………………………………………………
まひろも作家として上りつめた結果、周囲の人を失うことになった。
・娘の賢子(梨里花)。
・ききょう・清少納言(ファーストサマーウィカ)。
あくまで現状の話で、関係は今後変わるかもしれないが、
何かを得れば何かを失う。
それが世の常だ。
そんな中、彰子の女房・宮の宣旨(小林きな子)の言葉が胸にしみる。
「(働くのは)生きるためであろう?」
「今日もよく働いた。はやく休もう」
世のため、民のため、帝のため、中宮様のため。
これらを取っ払った所にある働く真実。
すべては生きるため。
人生はこれくらいシンプルであった方がいいのかもしれない。
逃げた雀の話をした子供の頃のまひろと三郎のような姿がシンプルで幸せなのかもしれない。
※追記
書くことの意味については、和泉式部(泉里香)が思い出させてくれた。
「書くことでおのれの悲しみを救うことができる」
「書くことで命を生き継ぐことができる」
※追記
和泉式部はたくましい。
藤壺に入ると、たちまち頼通(大野遥斗)に色目を使い始めた。
迷うまひろとは対照的に、彼女は現実を楽しんでいる。
※追記
清少納言は過去に生きているが、辛辣さは失っていない。
まひろに会って、
「光る君の物語に引き込まれました」
「まひろさまは根がお暗い」笑
「光る君のしつこいいやらしさにあきれ果てました」笑
「男のうつけぶりを笑い飛ばしています」
ここまでは毒舌も混じった作品論・作家論だが、この後がストレートパンチ!
中宮・定子を否定する存在として、
「わたしは腹を立てておりますのよ、まひろ様に」
「源氏の物語を恨んでおりますの」
怒りと恨みをぶつけた。
家の繁栄のために言っているのではないぞ。
なすべきは揺るぎなき力を持って民のため良き政をおこなうことだ」
道長(柄本佑)は敦康親王(渡邉櫂)が帝だと自分の地位を揺るがす者が現れて、
世が乱れると考えている。
新たな懸念もあった。
仲睦まじい彰子(見上愛)と敦康。
この関係は、まさに『源氏物語』の藤壺と光源氏ではないか。
今のままだと藤壺と光源氏のように彰子と敦康は密通してしまうかもしれない。
だから敦康をすぐに元服させ、藤壺から追い出す必要があった。
悩みながらも非情な決断を下さなければならない道長。
そんな道長に伊周(三浦翔平)は──
「何もかもおまえのせいだー!」
直接、呪詛されてしまう。
伊周は呪詛を重ねて消耗し、頭がおかしくなっている。
・誰かを排除すること。
・誰かの恨みを買うこと。
権力を持つとはそういうことなのだ。
私欲ではなく、すべては民のため帝のためと考えていても、それは免れない。
不満な者は必ず出て来る。
いい人ではたちまち政敵からしてやられてしまう。
伊周に憎しみを向けられて呆然とする道長。
これに涙するまひろ・藤式部(吉高由里子)。
憎しみを向けられるような存在に道長をしてしまったのは、他ならぬまひろなのだ。
ふたりは、民のため世のためにそれぞれの役割を果たそうと誓い合った。
………………………………………………
まひろも作家として上りつめた結果、周囲の人を失うことになった。
・娘の賢子(梨里花)。
・ききょう・清少納言(ファーストサマーウィカ)。
あくまで現状の話で、関係は今後変わるかもしれないが、
何かを得れば何かを失う。
それが世の常だ。
そんな中、彰子の女房・宮の宣旨(小林きな子)の言葉が胸にしみる。
「(働くのは)生きるためであろう?」
「今日もよく働いた。はやく休もう」
世のため、民のため、帝のため、中宮様のため。
これらを取っ払った所にある働く真実。
すべては生きるため。
人生はこれくらいシンプルであった方がいいのかもしれない。
逃げた雀の話をした子供の頃のまひろと三郎のような姿がシンプルで幸せなのかもしれない。
※追記
書くことの意味については、和泉式部(泉里香)が思い出させてくれた。
「書くことでおのれの悲しみを救うことができる」
「書くことで命を生き継ぐことができる」
※追記
和泉式部はたくましい。
藤壺に入ると、たちまち頼通(大野遥斗)に色目を使い始めた。
迷うまひろとは対照的に、彼女は現実を楽しんでいる。
※追記
清少納言は過去に生きているが、辛辣さは失っていない。
まひろに会って、
「光る君の物語に引き込まれました」
「まひろさまは根がお暗い」笑
「光る君のしつこいいやらしさにあきれ果てました」笑
「男のうつけぶりを笑い飛ばしています」
ここまでは毒舌も混じった作品論・作家論だが、この後がストレートパンチ!
中宮・定子を否定する存在として、
「わたしは腹を立てておりますのよ、まひろ様に」
「源氏の物語を恨んでおりますの」
怒りと恨みをぶつけた。
私だけではなく、ほとんどの人はそう予想したことでしょう。
いかにして道長を「闇落ち」させることなく「敦康親王の排斥」という課題に直面させるのか。
伊周を「悪役」として強調するところまでは予想の範囲内でした。
それにしても「呪詛を重ねて消耗し、頭がおかしく」なった伊周を「怪演」した三浦翔平さんは中々のもの。
三浦さんは、道長暗殺計画を隆家に阻止された時点で―その後の台本をまだ渡されていなかった―伊周は憑き物が落ちたように大人しくなるのだと思っていたそうです。
まあ、ここまで来るといよいよ伊周の先は長くはなく、おそらく来週で退場でしょう。
藤壺女御:光源氏=彰子:敦康親王
なるほど、こう来ましたか。
伊周の脅威が無くなれば敦康を排斥する理由も無くなりそうなところですが、道長としてはこれを放置することはできません。
敦康はまだあどけない少年ですが、彰子と身体的に接触する場面には既視感が。
まだ幼かった頃の一条天皇が定子の衣服の中に潜り込んで遊び戯れていました。
ここから成人した一条帝の定子溺愛までは一直線でした。
「次期東宮」問題に対してやはり彰子は敦康を推していました。
それは、一条天皇の意思に従うということであると同時に、彰子自身が敦康を「愛して」いたからでもある。
この「愛」は、無論現時点では「良き継母として」の愛情でしょうが、道長はこれが「男女の愛(恋)」に発展する危険性を見る。
この先、道長と彰子との間には父子対立が起こり、まひろは板挟みになりそうです。
おそらく、まひろは彰子の思いに寄り添うことになるのでしょう。ただし
公式ガイドブックを元にしたネタバレ予想情報―無論実際のドラマがその通りになるとは限らない―では、道長はまひろに『源氏物語』で「藤壺女御・光源氏の不倫(継母との恋)」を設定したことを責める場面があるとのことです。
道長にしてみれば、彰子が藤壺女御に感情移入するようなことがあれば一大事。
この予想情報どおりだとすれば、まひろは道長側の懸念も充分に理解することになるので、どう感じ、どう考え、どう行動することになるのでしょうか。