富岡製糸場を守るために群馬の女性たちが署名。
バックに流れるオープニングテーマ。
美和(井上真央)に渡される政府からの返事。
返事を見た美和は楫取(大沢たかお)のもとに走る。スローモーション。
楫取の顔を見て、うなずく美和。
楫取もうなずき、阿久沢(江守徹)たちは肩をたたいて喜び合う。
まあ、いいんですけどね……。
希望があったし、躍動があったし。
でも、笑ってしまう演出。古くさい。
文化祭で高校生が撮る映画でも、こんな手法使わないだろう。
これに大河ドラマの莫大な製作費が使われているのか……。
ただ、群馬の女性たちが、自分で考えるようになり、署名活動を始めたのはよかったと思います。
自分たちは全国の見本になる、という意識も。
これこそ、まさに草莽崛起(そうもうくっき)。
『志を持った在野の人々が一斉 に立ち上がり、大きな物事を成し遂げようとすることを意味する語。江戸時代末期に、 吉田松陰が民衆主体の改革を望んで唱えた思想として知られる』(日本語表現辞典)
「自分たちは全国の見本になる」という女性たち意識も、久坂たちが言っていた「長州は尊皇攘夷の見本になる」に通じるものがありますよね。
松陰や久坂たちの思想は、美和たちに受け継がれている。
そう言えば、楫取がつくった女児の学校には、『至誠』と『至誠にして動かざるものは未だこれあらざるなり』の松陰の言葉が書かれていました。
今回のエピソードは、松陰に言及する部分があった方が、作品に統一感が出て、よかったような気がします。
美和が政府からの電報を伝えたシーンの最後には、『至誠』の書がアップにされていましたが。
こういうディティルって、作品に厚みを持たせるために必要なんですよね。
バックに流れるオープニングテーマ。
美和(井上真央)に渡される政府からの返事。
返事を見た美和は楫取(大沢たかお)のもとに走る。スローモーション。
楫取の顔を見て、うなずく美和。
楫取もうなずき、阿久沢(江守徹)たちは肩をたたいて喜び合う。
まあ、いいんですけどね……。
希望があったし、躍動があったし。
でも、笑ってしまう演出。古くさい。
文化祭で高校生が撮る映画でも、こんな手法使わないだろう。
これに大河ドラマの莫大な製作費が使われているのか……。
ただ、群馬の女性たちが、自分で考えるようになり、署名活動を始めたのはよかったと思います。
自分たちは全国の見本になる、という意識も。
これこそ、まさに草莽崛起(そうもうくっき)。
『志を持った在野の人々が一斉 に立ち上がり、大きな物事を成し遂げようとすることを意味する語。江戸時代末期に、 吉田松陰が民衆主体の改革を望んで唱えた思想として知られる』(日本語表現辞典)
「自分たちは全国の見本になる」という女性たち意識も、久坂たちが言っていた「長州は尊皇攘夷の見本になる」に通じるものがありますよね。
松陰や久坂たちの思想は、美和たちに受け継がれている。
そう言えば、楫取がつくった女児の学校には、『至誠』と『至誠にして動かざるものは未だこれあらざるなり』の松陰の言葉が書かれていました。
今回のエピソードは、松陰に言及する部分があった方が、作品に統一感が出て、よかったような気がします。
美和が政府からの電報を伝えたシーンの最後には、『至誠』の書がアップにされていましたが。
こういうディティルって、作品に厚みを持たせるために必要なんですよね。
権蔵まで味方についた前回で「阿久沢夫妻=群馬県」の攻略は完了しており、今回はそのことの確認。
「富岡製糸場の危機」という手頃な外部由来の問題を使って「群馬の一致団結」を描いたということでしょう。
あとの課題は美和と楫取が結ばれるだけ。
公式HPによれば、前回で物分かりが良くなった久米次郎も「二人を応援する」ようになっているとのこと。
プロットだけだったら私でも書けます。
アニメの「トラップ一家物語」をテンプレートにして、子供たち(久米次郎)に背中を押されてトラップ大佐(楫取)が求婚し、一旦修道院(萩)に戻ったマリア(美和)が「自分の本当の気持ち」に向き合った上で帰ってきて無事二人は結ばれる。
他には書きようがないほどの一本道だと思います。
今や「心通った理解者」となった阿久沢夫妻は美和たちの背中押しにかかっていますが、ここに至って三田さん、江守さんは本当に楽しそうに演技されているように見受けました。
>ドラマ本編よりも、制作現場の舞台裏の方が気になってしまいます。
と先週コウジさんは書いておられました。
当初の脚本家たちが「降ろされた」のか、自分から「降りた」のかはわかりませんが、もはやストーリーには期待できなくなったがゆえに実力派のお二人を投入して、演技力だけでもたせようと考えたのではないか、と想像しています。
>松陰に言及する部分があった方が、作品に統一感が出て、よかったような気がします。
物語の構造としてはおっしゃる通りだと思うのですが、徹底した松陰嫌いである私としては「それはご勘弁」
というのが個人的な思いです。
ご指摘の「至誠」や「誠」の字が頻出する子供たちの習字だけで私には十分「鼻につき」ました。
いつもありがとうございます。
>アニメの「トラップ一家物語」をテンプレート
上手い例えですね。
僕は「トラップ一家物語」は見ていないのですが、「サウンドオブミュージック」は大好きな作品なので、なるほどと思いました。
>三田さん、江守さんは本当に楽しそうに演技されているように見受けました。
特に江守さん、芸風変わりましたよね。
老成されて、角が取れて、演技が自然で丸くなった感じです。
現在の江守さんにしか出来ない、味のある芝居ですよね。
>私には十分「鼻につき」ました。
TEPOさんなら、そう感じられるでしょうね(笑)
僕も、テーマではなく、作劇上の問題として考えています。
「至誠」=まごころだけで、物事が動くとは思っていませんし、「草莽崛起」も、ネトウヨ系の専用チャンネル「チャンネル桜」のHPで、<チャンネル桜は草莽崛起を行動指針にしている>と書かれていて、そういう言葉なのか……と思ってしまいます。
前半の脚本家ふたりの降板は、「降りた」って可能性が高いですよね。
おそらく、今後、どう描いたらいいかわからず、行き詰まってしまったのでしょう。
もともとが、安倍首相ヨイショの作品で、「吉田松陰の妹って面白そうじゃん」という軽いノリで始まった作品のようですから、行き詰まるのは当然。
どこかの週刊誌が舞台裏をスクープしてくれないかなと思っています。