「恨みとか憎しみとかじゃなくて、楽しいって動機じゃダメなんですか?」
ついに『相棒』にもこういう犯人が出るようになってしまったのか……。
犯罪や暴力を楽しむ犯人。
狂気の犯人。
これに対して、右京(水谷豊)は〝あなたが一生知り得ないこと〟として、犯人にこう語る。
「人間はいつもギリギリの縁に立っています。
誰だって人の体が簡単に壊れること、心が簡単に操れることを知っているんです。
それでも自らの意思でそうなしないことを選んでいる。
間違いを犯せば後悔し、自分を責め、縁の下から這い上がろうとする。
そういう人間そのものの姿をあなたは知らない。
あなたは永遠に理解できない。
あなたが人生の本当の楽しみを知ることはない、今までもこれからも。
哀れな人だ」
人は誰でも過ちを犯す。
そして、それを悔い改めることが人間であり、生きることだ、と右京さんは言っている。
今までの『相棒』の犯人って、反論することはあっても、犯した罪に対して何らかの後悔や反省があったんですよね。
動機にもそれぞれ一応の理があった。
ところが今回の犯人にはそれがない。
人として決定的なものが欠けている。
こうした犯人像という点で、今までの『相棒』とは異質なエピソードと言えるだろう。
松本清張は〝犯罪の動機こそが人間ドラマだ〟と主張していて、『相棒』もそれを踏襲していたが、今回はそれを放棄。
これから右京はサイコな快楽殺人者とも向き合うことになる。
ときどき『ON 異常犯罪捜査官 藤堂比奈子』のエピソードが出てくるようになるのだろうか?
………………
亘(反町隆史)は思いとどまった。
怒りや憎しみの中で犯人を銃で殺すこともできたのだが、逮捕の道を選んだ。
おそらく、これは甲斐亨(成宮寛貴)のダークナイト事件に対するアンサーだろう。
・思いとどまった亘。
・踏み込んで実行してしまった亨。
成宮寛貴さんが芸能界を引退して、亨の再登場が難しくなってしまったため、『相棒』としては〝思いとどまる亘〟を描いておく必要があった。
サイコな犯人の登場といい、亨の件の決着といい、『相棒』の転機となるエピソードだった。
ついに『相棒』にもこういう犯人が出るようになってしまったのか……。
犯罪や暴力を楽しむ犯人。
狂気の犯人。
これに対して、右京(水谷豊)は〝あなたが一生知り得ないこと〟として、犯人にこう語る。
「人間はいつもギリギリの縁に立っています。
誰だって人の体が簡単に壊れること、心が簡単に操れることを知っているんです。
それでも自らの意思でそうなしないことを選んでいる。
間違いを犯せば後悔し、自分を責め、縁の下から這い上がろうとする。
そういう人間そのものの姿をあなたは知らない。
あなたは永遠に理解できない。
あなたが人生の本当の楽しみを知ることはない、今までもこれからも。
哀れな人だ」
人は誰でも過ちを犯す。
そして、それを悔い改めることが人間であり、生きることだ、と右京さんは言っている。
今までの『相棒』の犯人って、反論することはあっても、犯した罪に対して何らかの後悔や反省があったんですよね。
動機にもそれぞれ一応の理があった。
ところが今回の犯人にはそれがない。
人として決定的なものが欠けている。
こうした犯人像という点で、今までの『相棒』とは異質なエピソードと言えるだろう。
松本清張は〝犯罪の動機こそが人間ドラマだ〟と主張していて、『相棒』もそれを踏襲していたが、今回はそれを放棄。
これから右京はサイコな快楽殺人者とも向き合うことになる。
ときどき『ON 異常犯罪捜査官 藤堂比奈子』のエピソードが出てくるようになるのだろうか?
………………
亘(反町隆史)は思いとどまった。
怒りや憎しみの中で犯人を銃で殺すこともできたのだが、逮捕の道を選んだ。
おそらく、これは甲斐亨(成宮寛貴)のダークナイト事件に対するアンサーだろう。
・思いとどまった亘。
・踏み込んで実行してしまった亨。
成宮寛貴さんが芸能界を引退して、亨の再登場が難しくなってしまったため、『相棒』としては〝思いとどまる亘〟を描いておく必要があった。
サイコな犯人の登場といい、亨の件の決着といい、『相棒』の転機となるエピソードだった。
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