あきのやま もみぢをぬさと たむくれば すむわれさへぞ たびごごちする
秋の山 紅葉をぬさと たむくれば 住むわれさへぞ 旅心地する
紀貫之
秋の山が、紅葉を幣(ぬさ)として手向けているから、そこに住んでいる私までもが旅に出ているような心地がする。
紅葉を神へのささげ物と見る見立ては一つ前の 0298 と共通。その手向けられた紅葉の美しさが、そこに暮らしている(=旅先ではない)自分にまで旅情を感じさせてくれるという歌。そんな心持にさせてくれる場所で暮らしてみたいものですね。^^
たつたひめ たむくるかみの あればこそ あきのこのはの ぬさとちるらめ
竜田姫 たむくる神の あればこそ 秋の木の葉の ぬさと散るらめ
兼覧王
竜田姫が手向けをする神があるからこそ、秋の木の葉が幣(ぬさ)となって散っているのだろう。
「ぬさ」は神に祈るときのささげ物。竜田姫自体が神ですが、その神様がさらに手向けをする道の神がいらっしゃるので、竜田姫がその神へのささげ物として秋の木の葉を散らしているのだろうという想像。
兼覧王(かねみのおほきみ)は第55代文徳天皇の皇孫。0237 に続いて二首目の登場ですね。
みるひとも なくてちりぬる おくやまの もみぢはよるの にしきなりけり
見る人も なくて散りぬる 奥山の 紅葉は夜の 錦なりけり
紀貫之
見る人もないまま散ってしまう奥山の紅葉は、夜に錦を着ているのと同じで、せっかくの美しさの甲斐もないことであるよ。
詞書には「北山にもみぢ折らむとてまかれりける時によめる」とあり、山に深く入り込んだ場所で実際に散っていく美しい紅葉を見ての歌ですね。「衣繡夜行(いしゅうやこう)」という四字熟語がありますが、これのもととなった中国の故事を踏まえての作歌でしょう。
『史記』
曰 富貴不歸故郷 如衣繍夜行
誰知之者
曰く 富貴にして故郷に帰らざるは 繍を衣て夜行くが如し
誰か之を知る者ぞ