漢検一級 かけだしリピーターの四方山話

漢検のリピート受検はお休みしていますが、日本語を愛し、奥深い言葉の世界をさまよっています。

古今和歌集 0296

2020-08-21 19:38:53 | 古今和歌集

かむなびの みむろのやまを あきゆけば にしきたちきる ここちこそすれ

神奈備の 三室の山を 秋行けば 錦たちきる 心地こそすれ

 

壬生忠岑

 

 神が宿る三室の山を秋に行けば、錦を裁断して仕立て直した着物を着るような心地がする。

 「たちきる」は「裁ち着る」。紅葉の葉が散るのを、錦が裁断されていると見て、それが身体に降りかかるのを、裁断された錦を仕立て直して自らが身に纏うかのようだと感じる心。


古今和歌集 0295

2020-08-20 19:16:05 | 古今和歌集

わがきつる かたもしられず くらぶやま きぎのこのはの ちるとまがふに

わが来つる 方もしられず くらぶやま 木々の木の葉の 散るとまがふに

 

藤原敏行

 

 自分が来た方向さえわからない。くらぶ山では木々の木の葉が散って視界を紛らせてしまうから。

 「秋歌」収録の歌ですから、舞い散って視界を遮り、来た道すらもわからなくしてしまうのは赤く色づいた紅葉でしょう。そのまま想像すると、暗い山の中で真っ赤な葉が舞い散る幽玄な情景が思い描かれますが、それは美しくライトアップされた現代の光景を無意識に思ってしまうためでしょうか。あるいは、月明かりだけが照らす中で紅葉の葉が舞い落ちる情景は、より一層幻想的であったのかもしれませんね。

 


古今和歌集 0294

2020-08-19 19:47:22 | 古今和歌集

ちはやぶる かみよもきかず たつたがは からくれなゐに みづくくるとは

ちはやぶる 神代もきかず 竜田川 韓紅に 水くくるとは

 

在原業平

 

 多くの不思議なことがあったという神代でも聞いたことがない。竜田川が韓紅色に水を括り染めにしているとは。

 0283 ですでにご紹介しましたが、百人一首(第17番)にも採られた名歌。「くくる」は括り染め(=絞り染め)にするという意味で、真っ赤な紅葉の葉が水面を覆うばかりに流れている様子を、竜田川が水を韓紅色の絞り染めにしていると描写し、またそんな光景は神代の時代まで遡っても聞いたことがないと、いささか大げさとも思える賛辞を贈っています。関東在住の私は竜田川に行ったことはありませんが、それほどまでに美しい紅葉を一度はこの目で見てみたいものですね。^^

 


古今和歌集 0293

2020-08-18 19:26:17 | 古今和歌集

もみぢばの ながれてとまる みなとには くれなゐふかき なみやたつらむ

もみぢ葉の 流れてとまる みなとには 紅深き 波や立つらむ

 

素性法師

 

 紅葉の葉が流れてたどり着く河口では、深い紅色の波が立っているだろうか。

 詞書には「・・・御屏風に竜田川に紅葉流れたるかたをかけりけるを題にてよめる」とあります。屏風に描かれた絵を題材として詠まれた、いわゆる「屏風歌」ですね。


古今和歌集 0292

2020-08-17 19:46:15 | 古今和歌集

わびびとの  わきてたちよる このもとは たのむかげなく もみぢちりけり

わび人の わきて立ちよる 木のもとは 頼むかげなく 紅葉散りけり

 

僧正遍昭

 

 

 世を嘆く人が選んで立ち寄る木のもとには、頼るよすがもなく紅葉が散っていることだ。

 「わぶ」は「侘ぶ」で、嘆く、困惑する、寂しく思うといった意。「わび人」は作者自身でしょう。世捨て人である作者にふさわしく、身を寄せる木にはそれを受け止める紅葉の葉ももはや枯れ落ちているという歌ですね。何とも物悲しい情景です。