1月20日、納骨しました。
富士山の麓の霊園のお天気や気温を心配していましたが、
お骨を納め、神主さんの祝詞が始まる頃から薄日が差し始め、
背中がぽかぽか暖かくなったのです。
灰色の雲に覆われていました富士山が少しずつ姿を見せ、
祝詞がまさに終わろうとする頃、頂上が顔を見せたそうです。
残念なことにわたしはその瞬間を見ませんでした。
祝詞が終わって、玉串が終わる頃、また冷たい風が吹き始め
太陽も雲に隠れてしまいました。
とても不思議な気がしました。
昨年あるじがボゴタのトレッキングに行くために上った富士山が、
あるじのために顔を見せてくれたような気がします。
自然が大好き、山が大好きなあるじは今日から富士山の麓で
鳥の声を聞き、木々を吹き抜ける風の音を聞きながら
眠るのでしょうね。
帰宅して、お骨の亡くなった祭壇に写真を置き、
改めてわたし一人だけが、とり残されたことを実感させられました。
わたし一人で何が出来るの、どうやって生きていくの、自問自答しています。
わたしに死が迎えに来るまで、ただただ生きるしかないと言う事は、
解っているのですが・・・。辛いですね。
富士山の麓の霊園のお天気や気温を心配していましたが、
お骨を納め、神主さんの祝詞が始まる頃から薄日が差し始め、
背中がぽかぽか暖かくなったのです。
灰色の雲に覆われていました富士山が少しずつ姿を見せ、
祝詞がまさに終わろうとする頃、頂上が顔を見せたそうです。
残念なことにわたしはその瞬間を見ませんでした。
祝詞が終わって、玉串が終わる頃、また冷たい風が吹き始め
太陽も雲に隠れてしまいました。
とても不思議な気がしました。
昨年あるじがボゴタのトレッキングに行くために上った富士山が、
あるじのために顔を見せてくれたような気がします。
自然が大好き、山が大好きなあるじは今日から富士山の麓で
鳥の声を聞き、木々を吹き抜ける風の音を聞きながら
眠るのでしょうね。
帰宅して、お骨の亡くなった祭壇に写真を置き、
改めてわたし一人だけが、とり残されたことを実感させられました。
わたし一人で何が出来るの、どうやって生きていくの、自問自答しています。
わたしに死が迎えに来るまで、ただただ生きるしかないと言う事は、
解っているのですが・・・。辛いですね。