フォンテーヌの家  わたしのつぶやき

横浜市南区で趣味の会[フォンテーヌの家」 

着物を着るようになったきっかけを…。

2015-01-10 20:05:55 | 想い出
1月10日 土曜日 晴れ

今日も朝から身体が勝手にストライキをして居た。
動こうと思っても動けない。右手の指を動かして、グー・パーをして見るが、思う様には動かない。
指がボテボテしているし、少し痛みもある。
それでも、朝の入浴と軽いスチレッチで動くようになるから不思議。指は太くても動いてくれる。

この歳まで、身体も手足も驚くほど酷使しているので、動いてくれれば上々。
どの様な機械でも70年以上、支障無く動く機械は無いはず。そう思うと気楽になる。
そんなことを考えながら、今日も寒かったので朝から和服を着ていた。

今日は、お洗濯をしたりお風呂を洗ったりカメさんの水槽を洗ったり、水仕事が多かった。
着物の裾が濡れないように、裾をまくり上げての作業。不自由無く、仕事を終えた…。
作業しながら、何となく何で着物を着始めたのかをぼんやり考えて居た。


着物姿で家事を始めたのは、母方の祖母の看病がきっかけだったことを思い出した。
祖母の姉妹のどなたか忘れたけれど、その方から「着物を着ての看病」が一番とご注意を受けたのだ。
座敷に硬くて厚さ20㎝近くあった布団を作り、その上に、祖母の布団を敷いて寝床を作っていた。
布団を2枚重ねているよりは、高さがあった…。

祖母の隣に普通の布団を敷いて寝ていた。癌の末期になっていた祖母を看る毎日だった。
大学病院で、家庭で看るのは大変なので、預かって下さると言って下さったが、お断りしていた。

病人の寝ている所で、立ったり座ったりする度、スカートではホコリが舞うと言う。納得。
和服ならば、座るとき右手で必ず着物の裾を整えてから座るので、ホコリが出ないとも。

それから、ウールの着物を着て、割烹着をして祖母を看たり家事をする様になった…。
着物を着るように助言して下さった方が、その後また祖母のお見舞いに来られ着物姿を喜んで、
後日、反物を送って下さった。その着物はまだ手元にある。50年前以上になるが…。
この頃ウールは着ていないが、ひょんな事から懐かしい事を思い出した…。

祖母が亡くなり、日常に着物を着ることは無くなったと思う。

40歳前後の頃、体調を崩し身体が冷えて起きていられず、衣類の重ね着して過ごしていたが、
そのままでは外に出られない。それから外出時は、着物を着るようになった…。

その後、体調は良くなり出かけられる様になっているし、更に今ではズボン姿で外出もしている。
着物の良い所は流行に関係ないこと、少しぐらい太っても痩せても問題なく着られること。
真偽は不明だが、結婚式などで、洋服より和服の方が正装と判断されると聞いたことがある。

この頃わたしは、着物の方が暖かいから着ているし、肩が凝らないから着ている。
若い頃に作って貰った着物が有るし、母の着物もわたしの所にあるのでそれを着るのは一番経済的。

母が着ていた着物をそのまま着ると、母の臭いがする様な気がする。
母の着物を着ていると、幼友達は「おばさんに似てきた」と口をそろえて言われる…。
母の着物を着ないで、タンスの肥やしにしては勿体ない…。それが一番の理由かも…。
コメント
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