フォンテーヌの家  わたしのつぶやき

横浜市南区で趣味の会[フォンテーヌの家」 

98歳の挿絵画家、中一弥さんが朝日新聞の小説の挿絵画を描いておられる、驚きです。

2009-02-22 22:23:35 | 日記
2月22日 日曜日 晴れ

告別式に行ってきました。
最後の最後の「さよなら」を彼女としてきました。
ピンクのスイトピーを彼女のお顔の側に入れ、悲しいお別れでした。

昨夜のお通夜には電車で行ったのですがとても交通の便が悪かったのです。
それで今日は車で行くことにしました。
ただ友人が車を出すことになっていましたがご主人様が車を使われるとか、
急遽わたしが車を出す事にしました。

心理的にはあまり運転をしたくなかったのですが、昼間ですし大丈夫と判断。
確かに楽でしたね。30分もかからずに葬祭場に到着出来ましたから。


継いで参りはいけないと言われますが友人がお墓参りをしていきたいと言われ、
霊園に行きお参りをしてきました。
友人のお宅のお墓にご一緒してから、あるじのお墓にもお参りしてきました。

亡くなられたわたしの友人をあるじはとても可愛がっていましたので、
「彼女をよろしくね」と頼みました。

今日は夕方4時開演のオイリュトミーの公演が有ったのです。
ほのぼの編集長の舞台ですから行きたいと思っていましたが身体が動きません。

昨夜も#&♭のギタリストのライブに行く予定だだったのです。
時間的にも無理でしたがそれ以上にジャズを聴く気分にはなれませんでした。
フランス料理を戴いてからの演奏ですから楽しみにしていたのですが・・・。

疲れて炬燵に座り込んで動けませんでした。
この数日新聞も読んでいませんでしたので新聞を読んだり切り抜きをしました。

今日は朝刊の小説も切り抜いてみました。
小説も良いのですが中一弥さんの挿絵が良いのです。

この方の自叙伝を以前読んで、挿絵画家になるまでのいきさつや、
挿絵画家になってからの様子などの知識が有りましたから、受ける感情が違うのでしょうか。

中一弥さんは98歳。
その方が新聞の連載小説挿絵を描くというのですから凄いです。
今日お別れしてきました友人は41歳でした。

中一弥さんの半分にもならないのです。
何時までもお元気で素敵な挿絵を描いて戴きたいものです。
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20 コメント

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ホントに凄いです (五色風)
2009-05-02 18:03:22
今日は。もう5月2日になりました。僕も小説は元より、挿絵も気に入っています。
中一弥さんを検索して驚きました。
98歳で益々円熟された、素晴らしい挿絵です。
挿絵だけで立派な芸術品だと恐れ入りました。
返信する
本当に素敵な絵ですよね。 (わたし)
2009-05-03 17:58:41
毎日小説を切り抜いてクリップで留めています。
時々好きなところから読み始めては楽しんでいます。

どのページにも絵があるのが嬉しいですね。
新聞の小説のまま本に出来ればもっと嬉しいです。

ささやかに切り抜きで、贅沢を堪能しています。
返信する
98歳に驚く (中村作雄)
2009-07-01 09:12:03
7月1日朝日新聞の挿絵を切り抜きました。
どんな人が描いているかと、調べてビックリ、
98歳の挿絵画家、調べてここに同じ事を感じている人に出会えました。
私も俳画を描きます。


中村作雄
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Unknown (わたし)
2009-07-01 15:17:47
コメントありがとうございます。
俳句と英語、面白いですね。
わたしも国文法は英文法と並べ、比較しながら書いていました。
その方が理解出来ていたようです。お気に入りに登録させて頂きました。

特に中一弥さんの若い女性の絵は、素晴らしいですね。年齢を感じさせられません。何時までもお元気でいて頂きたい・・・。時代小説には無くてはならない方ですから・・・。
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中一弥について (早崎日出太)
2010-05-20 10:29:54
池波正太郎の小説も胸踊らせるものが、随所に挿入される挿絵も読者にとっても興味の尽きないものだが、どちらかと云うと池波の絵は西欧風、この「剣客商売」の表紙の中一弥の絵は、日本画の手法を受け継いでいて池波正太郎の小説の内容を一枚で表現しているところなど心憎い。表紙を見るだけでその一冊に著されている江戸の昔を彷彿としてしまうのである。もちろん、この旧版文庫本のモノクロの繊細な絵も白黒写真を見るように着ている衣服や立木、川の流れ、雑沓の響きや物売りの声、鳥の鳴き声や犬の遠吠え、ひたひたと迫りくる野盗の密やかな足音、闇夜から遠く聞こえる剣劇の響き、そして、亀戸天神、富岡八幡宮、浅草寺、待乳山聖天、大鷲神社など下町の神社仏閣の賑わいまでもが、その時代の息吹を感じさせとともにこんな色なのだろうかあんな色なのだろかと想像してしまうのだ。 彩色されたものでは、カラー時代に育った我々にとって、もちろん、モノクロよりは歓迎だがその上、淡彩の色合いが何とも言えず懐かしく、現代のようにケバケバしいアメリカナイズされた若者たちの寝間着姿や半裸の姿を見るにつけ、日本が伝統的に受け継いだジャパン・ブルー(藍)の渋い色合いと共に草木染めの淡彩の重ねの色目が豪華に見えてくるのである。私の母親の世代の方がいまだに活躍されていることは感動ですが、自分が幾つまで世の中に何かを残せるかこのようなお話を伺うと鼓舞されます全文は、私のHP「團伊玖磨全仕事/池波正太郎全仕事」に書いたものです有難うございました。(早崎日出太)
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中一弥さんの事 (わたし)
2010-05-20 23:38:33
大分以前に書いたわたしの日記へのコメントありがとうございます。驚きました。

新聞小説ですから、毎日一弥さんの絵を見る事が出来た昨年が懐かしいです。

検索して、ホームページを見させて頂きました。ご活躍なのですね。
そのような方からのコメントとは、嬉しいです。ありがとうございます。

池上正太郎さんが書かれた文章を読みながら、浅草近辺を歩いた事が有ります。懐かしいです。

全く関係ない事ですが、ずっと以前團伊玖磨さんの奥様、和子さんの「鍋」とわたしの「鍋」が、産経新聞から取材を受け掲載された事が有りました。
つまらない事をふと思い出し、更につまらない事を書きました。
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團伊玖磨ご夫妻について (早崎日出太)
2010-05-30 04:13:04
團伊玖磨ご夫妻とは、ご夫妻の晩年約20年ばかり秋谷のお宅に伺い、先生の遺されたお仕事を整理する仕事をさせていただきましたので、「鍋」のお話で和子夫人の本格的中国料理を良く御馳走になりました。秋谷のお宅は、急坂を上った山の中腹にあって相模湾を見渡せ、その向こうに雄大な富士の全容が見える素晴らしい景観のお宅でした。早朝は赤富士、夕方は黒いシルエット、行き来する漁船の姿が大きなガラス窓から望めました。
團伊玖磨先生は、生き物がお好きで大蛇から小鳥まで各種の動物がいたそうです幸い大蛇には邂逅したことはありませんが先生がお仕事をされる机の上の灰皿に文鳥がちょこんと乗ってチチと先生と会話を楽しんでいました。
和子夫人の「早崎さん何が召し上がりたいですか」と問われ、本場中国で学ばれた種々のお料理がテーブル上に並ぶのが楽しみで、秋谷を訪問する楽しみでもあった状況を思い起こし、今も、耳のどこかで和子夫人の声が聞こえ、口中に中国料理が広がる美味を想起するのです。
その記事はいつごろでしょうか。もし、時期がおわかりでしたらご教示ください。團伊玖磨全仕事のHPを作成して世界中の多くの方々とお話しできることが増え日本全国の團先生とご縁のある方たちともお会いすることが増え、全く、どこにも書かれていない、あるいは團ご夫妻からお聞きしたことのない多くの人の絆に触れ、先生の偉大さに今更ながら日々感動の刻を送っています。と、長くなりますのでこの辺で、又一つ、和子夫人の頁にドラマをくわえさせていただきます。私は怠け者でブログが毎日書けません。毎日書いておられる方には感動です。
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Unknown (早崎日出太)
2010-05-30 04:37:53
中さんの絵は、小中学生時代に読んだ吉川英治や村上元三の「大久保彦左衛門」、山手樹一郎の「夢介千両みやげ」谷崎潤一郎「痴人の愛」野村胡堂「銭形平次捕物控」中里介山「大菩薩峠」子母澤寛「国定忠治」、横溝正史、小島政二郎、直木三十五、など、懐かしく思い出します。幸い読書好きの父の影響で家にあった多くの蔵書の挿絵が懐かしく、同時代の繊細な岩田専太郎さんの挿絵とともに今も脳裏に焼きついています。
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新聞掲載のこと (わたし)
2010-06-27 13:56:41
コメントを戴き、わたしも調べて新聞掲載の日にちを調べて書き、アップしていたのですが、今日間違えて削除してしまいました。
もう読んで下さっておられるかも知れませんがまだでしたら申し訳ありませんが、再度コメントで要請して下さい。他の削除コメントと間違え削除してしまいました。
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全く見ず知らずの方が (早崎日出太)
2010-07-30 08:30:32
会社や社会や人の事を60年近くやってきてついに後期高齢者、幾ばくもない命を何に使おうと、最後は自分自身のために圧倒的に働こうと思ったら家族にもう何もしなさんな、雲の流れでも見て暮したらと云います。
生れてこの方日々死に向かって歩きながら、色々な事をしました。一日、睡眠時間3時間は、5,6歳の頃からたまには5時間くらい寝ることもありますが、恐らく馬鹿ですから人の3倍は働かないとと、この年になっても絶え間なく仕事がありやることがたくさんありすぎる、さすがに人から頼まれることはのらりくらりと断り、日がな一日、数十冊の本を積み上げ余りに知識のないのに自分自身の無知に驚き、人の書いたものを見るだに感動の日々を送っているのです。世界を歩き、日本国中を飛び歩き、そんな時は水の流れのように通り過ぎて行きました。
でも、別れることは辛いことです、その人との間で交わした会話も味わった美味佳肴も、共感した想いも断ち切られそこでドラマは集結してしまいます、長い長い中さんの挿絵も私が感動したことを人に伝えたくてHPに書いたのです。
先日は、私が作った歌の事が北海道の美幌の方に知れ、私のHPが中国蘇州の副知事の目にとまったり凄い世の中になりました。
人を批判するのではなく人を褒めそやすHPにしたいと、二万頁になりました。アクセスも天文学的な数字になりこちらはますます多忙になりふっと見つけた見ず知らずのブログにコメントを書きました。團伊玖磨さん、ダークダックス、そして、私の関係してきた絆をローソクの蝋が燃え尽き燈心が融けた透明に沈むまでこんな鯛のないことを言うために御座敷に上がらせていただきます。それでは、お元気で
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