フォンテーヌの家  わたしのつぶやき

横浜市南区で趣味の会[フォンテーヌの家」 

元、手作りパンと焼き菓子の店 フォンテーヌ が、焼き鳥やさんになっています。

2020-04-03 23:25:23 | 日記

午後からほのぼの編集員のお宅に伺った時のことを記録したのですが、何故か消えてしまいました。どこか無意識に触ったのでしょうね。

リハビリーの送迎車で、リハビリーへ出かけるので時間が有ったら来て欲しい…という電話が昨日あり、急に今日伺う事になったのです。

彼女がそんな風に思うようになったのは、彼女が少し前に剥離骨折してしまったと言うパソコンメールが有りました。わたしも20年前に踝を剥離骨折して、5週間ギブスをしていた経験があるので連絡してきたのだと思います。

彼女は難病のご主人の介護を為さっていますから、かなり大変なのでは?と、想像していました。わたしはフォンテーヌの営業中でしたので、仕事を休むわけには行かず、連日早朝からお店に入っていました。辛かったです。

 

6時開店でしたから、早朝のパートさんの補充は難しいし、すぐにお店を任せるわけには行きません。6時の開店前に、一通りのサンドイッチを作るのがわたしの仕事でした。

住宅地の中に有るたった一軒の食べ物屋です。部活の朝練の中学生が多かったですし、仕事に行く方が駅まで歩く道すがら召し上って居られましたね。

母親が、何時何分ごろいきますから、このサンドイッチを「作って置いて下さい」と、5時台に電話が有ったり・・・。いろいろでした。

 

もう少し時間がすぎると、一人暮らしのお年寄りがご自分の朝食を買いに来られました。そして一寸お喋りをなさいます。息子家族と一緒に住んでいるけれど、嫁も孫も全然口を聞いてくれないと語る人が多かったです。

店に入って来られた時、「おはようございます」と言う一言を聞くだけで嬉しい、といわれる方が多かったで多かったです。その言葉には驚き、寂しくきいていました。

時々、そんなことを話しておられた方は如何なさって居られるかしら?と思う事が有りますし、その当時、お客様だった方とお目にかかる事があります。何時もワンチャンの散歩の途中で寄って下さっていました。

今、その方が散歩しているワンチャンは、当時のワンチャンではありません。「代替わりしたのよ」と淡々とお話しなさっていますが、愛犬の死の寂しさは大変だったようです。

あるじの急逝で娘婿殿たちから、安くても売れるものなら売った方が良いと言われ手放しましがその後、なかなか商売が続かないようでシャッター店舗でした。 昨年から、元わたしたちのお店が、焼き鳥屋さんになりました。

居酒屋ではなく、焼き鳥を販売するお店です。東戸塚にお店が有り、そこで売る焼き鳥を作る工場にし、その店先で一寸焼き鳥を売るようになってます。居酒屋風ならわたしには縁が有りませんが、焼き鳥だけでしたら食べたいときに買えます。

なんとかシャッター店舗にせず、いつまでも続けて下さることを願っています。わたしの友人たちに宣伝しているのですが、いつまで続けられるか気になります。こればかりは、成り行き任せるしにするしかないのでしょうね。

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