中国、韓国が反日思想を持ち続けるのはゆがんだ愛国教育のなせる技です。日本も戦後、お金が全てという経済一辺倒主義のために奢りと油断をうみました。後進国だと思い込んでいた中国に経済で追い越されると、日本は自信喪失に陥りました。安倍首相が主張しているようにかつての強い経済を取り戻すだけでは日本は根本的に良くなりません。反日を続けている国はいずれ破綻するでしょう。これらの国が今回苦境に陥っても単に緊急援助するだけでは関係改善出来ません。諸悪の根源、反日教育を辞めさせるべきです。経済はアベノミクスにより一時的に優位に立っても、すぐに圧倒的な人口を誇る中国や新興国にいずれ追い越され元の木阿弥です。小粒でも強い日本を取り戻すには、日本も戦後、戦勝国から押し付けられた教育、憲法改正が必要になります。筆者は自民党の経済優先(人は食べていかなければなりませんので程度の問題です。)や与党に居続けるための公明党との協力関係など政治的配慮には組みしません。今回の都知事選挙でも自民党の舛添要一氏支援に創価学会絡みで公明党からの強力な後押しがあったと聞いています。政治的配慮を優先し、与党で有り続けることや野党でも議席にしがみついている職業政治家には失望しています。筆者は今回の都知事候補は教育、制度改正の為にはしがらみのない田母神俊雄氏が適任だと考えて、応援しています。田母神氏に政治的手腕があるかは未知数です、現に誠実すぎて演説はあまり上手くありませんね。応援されている方の方が上手いくらいです。ただ、こういう人は一旦役に収まると誠実に務めるものです。人生、与えられた役を上手くこなした人が成功します。下記のコピーのエピソードが取り上げられている中国社会は韓国と違い奥が深いと思います。
(以下コピー)2014年1月8日、中国のゆがんだ愛国主義教育が、純粋な子供の心をねじ曲げてしまったことを如実に示すエピソードを、中国人ユーザーが軍事関連ネット掲示板・米尓社区に投稿した。
以下はその内容。
日本人男性と結婚した従姉が、夫と彼の親戚の男の子を連れて中国に里帰りした。男の子は俊夫という名の小学校1年生。見知らぬ国で言葉の通じない人々に囲まれて、とても緊張している様子だったが、一生懸命カタコトの中国語で私たちに挨拶し、深々とお辞儀をした。その姿がとても愛らしく、私たちはいっぺんで俊夫のことが大好きになった。
だが、その従姉の一番上の姉の子、小学3年生の鵬鵬(ポンポン)だけは違った。最初から敵意むき出しの顔で俊夫をにらみつけ、こぶしを振り上げると「打倒小日本(ちっぽけな日本をやっつけろ)!」と叫んだのだ。これには俊夫も周りの大人もビックリ。鵬鵬の父親が彼を叱ると、「だって、日本人は中国人の敵じゃないか!学校の先生もそう言ってたもん。パパたちは中国を愛してないんだ!」と言って泣き出した。そこで、「先生が言っているのは歴史だ。今は日本と仲良くしなきゃ。それに俊夫は私たちの大切なお客さんなんだから」と言い聞かせると、「じゃあ、パパやママはなぜ毎日、日本が中国の土地を奪ったから日本製品をボイコットするなんて言ってるんだよ?学校で見せられた教育アニメでも、日本帝国主義を打倒しろって言ってたよ!」と反論した。
幸いなことに、中国語の分からない俊夫に鵬鵬と父親の会話の中身を知られることはなかった。俊夫は本当にいい子で、自分でできることは自分で全部する。礼儀正しく、大人を敬い、食事の際は全員が箸をとり、従姉が日本語で「いただきます」と言ってから、自分の箸をとる。それに比べて、鵬鵬はどうだ。部屋は汚い。自分では何もしない。食事は当然のように自分が好きな料理を一人占めし、彼を溺愛する大人たちもわざわざ好物を取り分けてやる。
私たちは「鵬鵬が俊夫みたいだったらいいのに」と心から思ったものだ。そんな鵬鵬もだんだん俊夫に打ち解け、2人で遊ぶことも多くなった。お互いに日本語や中国を教え合っている姿を見て、「やっぱり、子供は子供同士だ」と安心した。
最後の晩、従姉とその夫は買い物に出かけていて、私たちはみんなでテレビを見ていた。そこへ鵬鵬が得意げな顔で俊夫を連れてきて「俊夫がみんなに言いたいことがあるって」と言った。俊夫は顔を赤くしながら恥ずかしそうにほほ笑んで、たどたどしい中国語でこう言った。
「僕は死んで当然の日本人です。僕は中国人に謝ります。」
俊夫のこの言葉にその場の大人たちは全員凍りついた。鵬鵬の父親はすぐさま彼をトイレに引きずって行き、中から「パン!」と引っぱたく大きな音が聞こえた。真相はこうだ。鵬鵬は俊夫に「みんなが喜ぶ言葉がある」とだまして、あの言葉を覚えさせたのだ。
こんな小さな子供がここまで日本を憎むとは、あまりにもおかしい。鵬鵬の愛国観はすでにゆがんでしまっている。善良で純粋で友好的な日本の子供を前にして、中国の子供がどれほど恐ろしい敵意と憎しみを日本に抱いているかを私たちは思い知らされた。中国の愛国教育はもっと客観的で冷静であるべきではないのか。(翻訳・編集/本郷)