昭和天皇実録がいよいよ4月に開示されます。宮内庁が24年がかりで編修作業し完成しました。昭和天皇は、靖国神社筑波藤麿靖国神社宮司がA級戦犯合祀に慎重であったのに対し、筑波が退任後、旧厚生省要請の合祀を受け入れた松平永芳靖国神社宮司に懸念を示していました。A級戦犯の中でも特に、昭和天皇は元外務大臣松岡洋右と元駐イタリア大使白鳥敏夫には不快感を示していたようです。いずれにしても合祀以降、靖国神社ご参拝をお取りやめになった経緯を知る貴重な資料になります。昭和天皇は歌を詠んで自分の思いを託すのがお好きで、昭和16年9月6日の御前会議で戦争反対の歌『よもの海みなはらからと思ふ世になど波風のたちさわぐらむ』を歌われましたが、周りの好戦的な出席者たちとの温度差が激しくほとんどスルーされてしまいました。現代的に言えば戦争が差し迫り、切迫している状況では歌など謳っている場合ではありませんでした。昭和天皇は靖国神社A級戦犯合祀問題でも謳われました。『この年の この日にもまた 靖国の みやしろのことに うれいはふかし』という歌です。しかしながら、はっきりと合祀反対を謳われなかったために混乱は現安倍政権でも引き継がれています。いずれにしても孤独だった昭和天皇のご意志を知る貴重な資料になり昭和の歴史を塗り替えるものになるかもしれません。
(以下コピーです。多分、専門書で筆者が直接購入できるレベルではないと思います。新聞・雑誌などで抜粋を解説付きで読むことになるでしょう。)昭和天皇の87年余りの生涯を記した「昭和天皇実録」の編纂(へんさん)作業を進めている宮内庁は9日、実録が3月末に完成し、4月にも天皇陛下に奉呈(献上)するとの見通しを明らかにした。情報公開請求があれば全文を開示する方針で、来年度中に業者を入札で募った上で公刊する。同庁の風岡典之長官が定例記者会見で明らかにした。戦前から戦中、戦後の時期を含めた公式記録で、一部の情報を消す「黒塗り」はしない。終戦の「聖断」に至る経緯や、連合国軍総司令部(GHQ)のマッカーサー元帥との会見内容など、新史料の有無が注目される。宮内庁は基となる資料として、非公開のものを含めて幅広く収集。側近の日誌や侍医の拝診録のほか、未公開の個人文書や元侍従からの聞き取りなども参考にした。長く在位した昭和天皇の記録は多岐にわたり、分量は明治天皇の1・5倍程度になる見込みという。