東京都知事候補として創価学会・公明党や自民党都連の推薦を受けている“舛添要一氏”ですが、どうやら人格的に問題があるようです。安倍首相も応援しているようですので、選挙が始まり万一、ネガティブキャンペーンなどで新展開が出て、支持率が失墜すれば辺野古移転に反対する稲葉進氏が再選した名護市長選挙に続き、安倍政権に打撃を与えます。出回っている下のコピーのような記事を利益供与を受ける支持組織に属していない無党派層が読めば、舛添要一氏では『猪瀬直樹氏』よりさらに悪くなると考え、投票する有権者は激減するでしょう。万一落選となれば11月に行われる沖縄県知事選挙にも影響を与え兼ねません。自民党内でも安倍降ろしが始まるかもしれません。都知事選挙も利益供与を受けない最大勢力無党派層の動向が鍵を握りそうです。
(以下コピー)その中で、週刊新潮の『片山さつきインタビュー 総理期待度No.1「舛添要一」
という男の正体』という記事が印象深かった。
まずは、「片山さつき」と「舛添要一:ますぞえ よういち」が、かつては夫婦であったという事に驚いた。
舛添要一は女性関係がはでなようだ。2度の離婚歴があるとの事。
最初の妻はフランス人、2度目の妻は官僚時代の片山さつき。
しかし、フランス人女性の前にパリで知り合った日本人女性と結婚していたと週刊誌に報じられた。
「結婚は3回ではなく、フランス人と結婚する前に、ヨーロッパで日本人の女性
と結婚式をあげるというので(舛添は)案内を出していた、他の妹たちにも手紙
がいっている」という長姉の証言が出たことがある。舛添自身は「入籍していない」と否定した。
(『週刊文春 2007年9月13日号』「舛添要一 消せない過去」
『フラッシュ 2007年9月18日号』「舛添要一 種馬人生を大発掘 妻3人、愛人2人、認知子3人」)
1996年6月に現在の妻である元秘書の女性と3度目の結婚をし、2児をもうけ
ている。しかし、二人の女性に出産(婚外子が計3人)させたものの入籍はせ
ず、婚約不履行で訴訟を起こされてもいる。
このような女性関係のはでさを知った上で、「首相にふさわしい人」の名前に舛添要一を挙げているのか?
片山さつきと言えば、東大卒でミス東大に選ばれたという記事を読んだことが
ある。確かに、若い頃の片山さつきは今のふてぶてしさが感じられず、スマートで可愛らしい。
東京大学在学中、集英社の雑誌『non-no』のキャンパス特集企画で「ミス東大」
として取り上げられたことから、「ミス東大に選ばれた」と言われる事がある。し
かし、東大のミスコンテストで選ばれた等の具体的な実績はないとのこと。
片山さつきは東大法学部卒業後、大蔵省に入省。大蔵官僚時代の1986年、
東大助教授だった11歳年上の舛添氏と27歳のときに結婚。後に離婚している。
両者の夫婦関係はわずか2年強で終焉を迎えた。
片山さつきの告白によると、結婚しても仕事を続けたかった彼女は、舛添との
お見合いの席で、帰りが遅くなることもあると伝えた。
「自分の同期や教え子には官僚がたくさんいて、生活パターンは熟知している。
いくら遅く帰ってきても構わない」と、言ってくれた。
しかし、彼は2ヶ月で「約束」を反故にした。
「遅く帰ってきやがって!」
いきなりキーッとなって、理由もなく怒鳴る。一方的にまくし立てて、彼女の言う
ことは一切聞かない。手当たり次第に投げつける。炊飯器の上蓋が割れていたこともあるという。
またあるときは、サバイバルナイフなどいくつものナイフを彼女の目の前に
ズラーッと並べた。舛添要一は、ナイフの収集が趣味だった。そのうちの一つを彼女に向けたことまであった。
結局、片山さつきは結婚から3ヶ月ほどで、弁護士に離婚を相談した。
すると、弁護士の調査で舛添要一には愛人がいて、その彼女が妊娠中であることも分かった。
「愛人ができたから、早く私を追い出してしまいたかったんでしょうね。完全に
向こうの都合です」と、片山さつきは語る。
正式に離婚が成立したのは、結婚の2年3ヶ月後だった。実際はのべ半年も同居していなかったという。
片山さつきによると、舛添要一は、『公私ともに人は利用するだけのもの』と
思っている。例として、このようなことを挙げている。
「最初は小泉さん(純一郎・元総理)を評価していた。ところが、小泉人気が一時
カゲりを見せた02年頃に一転して批判するようになる。安倍さん(晋三・同)の
時も、参院選(07年)中から支持率が落ちると徹底的に非難した。
つまり、弱き状況にある人に強く出た。かと思えば、その安倍さんに厚労相を
打診されると喜んで引き受けたりもしている」