66番雲辺寺は大師16歳の御時霊気を感じお堂をお建てになったのち大同2(807)年嵯峨天皇の勅により本尊千手観世音菩薩を刻し、仏舎利をおさめ霊場に定められたということです。 8年前には本堂は改築中でしたが今回は立派な本堂が出来上がっていました(2009年落成といいます)。本堂・大師堂を拝んで7時過ぎとなりました。納経は8時までは本坊です、と書いてあります。本坊では若い副住職と思しき方が納経して . . . 本文を読む
話が逆になりますが 逆うちの時の話も記録しておきます。
逆うちの時は三角寺から三島の方に降りる道も迷います。逆打は標識がないので聞きながら降りるほかありませんが、人家はありません。勘を頼りに降りていくと目的から4キロも外れたところに出てしまいました。それでもなんとか予約した遍路宿大成荘につきました。あさから何も食べずに、水だけだったのでコンビニでおにぎりやパン、牛乳を買い、一挙に食べました。やはり . . . 本文を読む
17年には途中の伊予三島までは電車にすることにして石槌山駅にでるとベンチに雑誌がおいてありました。そこには信仰心の厚い自衛隊幹部の話がのっておりこの人の口癖は「万事好都合」と「絶対大丈夫」の二つだと書いてありました。すばらしいことばです。
この後これに通ずる現象に次々と遭うことになりました。石槌山駅の土手のホームに座っていると一面の麦畑の上を春風が若草の香りを運んできました。陽光の中、雲雀が . . . 本文を読む
64番前神寺の次は65番三角寺です。
2000年の逆打のときは雲辺寺からここへ来ています。途中の遍路道であまりに有難いことがあったので三角寺の書院の縁側でうれし涙にくれていたら、高野山真別所でご指導いただいた僧正様が団体遍路をつれてきておられ、不思議な出会いに双方びっくりしたことがあります。ここの先先代の御住職は父と同級生だったと聞いていましたがとっくになくなっておられるのでしょう。ご本尊も生家と . . . 本文を読む
石鎚神社の次は国道11号線や予讃線にそってすこしあるいて63番吉祥寺にお参りします。63番吉祥寺は国道のほとりにこじんまりとあります。澄禅「四国遍路日記」にすでに「吉祥寺、寺は退転したり」とあります。江戸初期にすでに寂れていたことがわかります。いまも退転したままで往時の大伽藍をしのぶよすがさえありません。四国霊場会のホームページには「四国霊場の中で、本尊を毘沙聞天とする札所は吉祥寺だけで、その縁 . . . 本文を読む
2回目の平成19年のお参りにつつ゛き、三度目の平成20年には親子三人で前神寺をお参りできました。
このときは今まで十分お参りできなかった、本堂、石槌権現社、五大堂、薬師堂、大師堂すべてをお参りできました。説明板にこうあります。
「天武天皇5年、神変大菩薩の開山。石鉄大権現を感得され石鉄山中に鎮護国家、仏道修行の地を開山された。延暦年間桓武天皇の叡信あつく、国司に命じ現石槌神社に七堂伽藍を建立し、 . . . 本文を読む
いつも60番横峯寺から下ると64番前神寺に詣でます。
ここも山頂の石槌権現の別当寺です。毎年夏には白装束に身を固めた数万人の人々がここから石槌山へ登っていくとのことです。30年現在石槌山にまだ登れていません。指導頂いているA師は「石槌は遍路の途中で登るような山ではない、石槌のみをめざして出直すべきだ」といつも注意をいただいているのです。
本堂、大師堂ともに霊気が満ちています。
石碑があり、「 . . . 本文を読む
2回目は61番から横峰に登ろうとしました。19年1月2日朝5時半ごろでました。
前日に寺の人に聞いていた路をいきましたがみかん畑の中に迷い込んだりしてどうしても道が分からなくなりました。
冷たい雨のなか懐中電灯で地図を照らしますが自分がどこにいるのかさえ全くわかりません。ひきかえして何度も挑戦しましたが寺の周りを何回か回っただけでした。あきらめて63番まで出て1回目と同じ道をいくことにしました。 . . . 本文を読む
63番吉祥寺も62番宝寿寺から1.4kmくらいのところにあります。61番62番63番とも11号線や予讃線にそっています。63番吉祥寺は昔は坂元山にあり、寺域も広く塔中二十一坊を有する大伽藍であったが、天正の兵火で全山焼失し、万治二年(一六五九)末寺の檜木寺と合伴して現在地に建立されたといいます。澄禅「四国遍路日記」にすでに「吉祥寺、寺は退転したり」とあります。江戸初期にすでに寂れていたことがわかり . . . 本文を読む
密教の観法には多くの方法がありますが誰でも出来てしかも観法のエッセンスともいうべきものが阿字観です。在家の方も阿字観を続ければすばらしい境地に達します。 我々は阿字からでて阿字に帰るのですから。
阿字観の簡単な次第を書いておきます
1.着座
手を洗い口を漱ぎ心身を清め合掌して座に着く。 半跏座(胡坐をかき右足を左足に乗せる)でよい。法界定印(右手をうえに重ね膝の上に置く、親指同士は合い支える . . . 本文を読む
・・・仏が人を救うなどとそんなことがあるものか、こんな苦しいときにも仏様は私を救うてくれないではないか、この世に神も仏もあるものか、 お経は人を誑かす架空の妄談ではないか・・・ . . . 本文を読む