ある若い僧侶が阪神淡路ボランテアと四国遍路のあとで死んだとき、先輩の僧が言った言葉です
「彼は肉体を持っていてはできないような、もっともっと人の役に立つ、広くて深い仕事をしたかったのだろうなあ」
最近も不条理な死が多く報道されています。コロナ治療で感染して命を落とした医者、虐待死の幼児、殉職した警官、暴漢から他人を守るために犠牲になった若者・・・こういう方々はやはり「肉体を持っていてはできないよう . . . 本文を読む
「煩悩の他に人間の生活はない。したが つて煩悩を絶滅しようとすることは、畢寛これ人間生活を無視す ることになるであろう。といつても煩悩を是認すれば、 その極まるところ人間生活を破滅せしめるものと
なるのである。 ここに要求せられることは、正しき智慧を以て、凡夫の迷情を覚ますことである。その智慧を求むるものが仏道である。 それが即ち煩悩を転 じて菩提を成すという般若波羅蜜である。」「縁起の道理と転成 . . . 本文を読む
山 岡 瑞 円 上 人 の 略 伝(三 井 英 光)・・4
三、 修 道 と 事 業
その間に在りて、先づ服部鍵海老師 を、 三角寺(四国65番)奥之院 の仙龍寺に訪 ねて密法興隆 の道を求めた。 老師懇ろに教えて日く
『一切の人を仏として礼拝せよ、 すべての施設は密教の儀軌に依れ』と。 上人は闇夜に 一灯を得たる念いとなり、 それ以来、 発菩提心論、 大日経疏等を反復精読翫味 し、通ぜざる所あ . . . 本文を読む
観佛による修養(密教の生活・栂尾祥雲)
「・・観佛による修養
本当の我を生きたままの姿にて把握する方法として密教には瑜伽三摩地の直観法がある。・・倶舎論についてみても、念力が心統一の定力を生じ定力が事物を如実に照見し直観する正慧を生ずるのであるからこの定慧を体とする瑜伽三昧地法には必ず正念の修練といふことがなくてはならぬ。(阿毘達磨倶舍論巻第二十五に「念根念力念覺支正念以念爲體」。)さればこそ阿 . . . 本文を読む