「日本書紀』天武四年(675)二月癸巳(19日)」「詔曰、群臣百寮及天下人民、莫作諸悪。若有犯者、随事罪之」(朝廷及び國民は「諸悪を作さざれ」、もし犯すものは随時これを罰す。「諸悪莫作」の語は『法句経』の「七仏通誡偈」による)。 . . . 本文を読む
唯一神道の吉田兼倶は永正8年(1511).2月19日に没しています。77歳。神儒仏三教を取り入れ唯一神道 (吉田神道) を大成。京都神楽岡に宮を創設し,神祇斎場所として天神地祇のすべてを祀る。土御門天皇,将軍家に取り入り神祇管領長上となり各地の神社への神位授与制度を創出,吉田神道の基礎を確立。徒然草の兼好や僧慈遍も兼倶の出ている吉田神社の神主・吉田流の一員とされてきました。吉田兼倶は唯一神道を打ち . . . 本文を読む
山家正統宗門尊祖議 「阿覚尊者安然、今謂、師後に羽州時沢に遷り、謝遣化縁、延喜十五年二月十九日跏跌入、今尚有窟、緇素常供養。」
延暦寺のホームページには「五大院先徳 阿覚大師。近江の人。円仁・遍照に学び、比叡山に五大院を構え盛んに天台密教を講述した。『教時問答』、『菩提心義 . . . 本文を読む