今日2月2日は祈親上人定誉ご入滅の日です。以下ウキぺデア・密教辞典等によります。上人は 天徳2年(958年)生まれで永承2年2月2日(1047年)高野山釈迦文院でご入滅、90歳でした。平安時代後期の真言宗の僧。高野山再興者。俗姓河井氏。大和国葛城郡楠本の出身。7歳で父を失い13歳で興福寺で唯識を学び、子島寺眞興 子島流祖真興に灌頂を受ける。法華経への信仰が厚く、両親の菩提を祈り(祈親)、法華経を読 . . . 本文を読む
行基菩薩は続日本紀等によると、天智天皇7年(668年)に生まれ 天平21年2月2日(749年2月23日)に遷化されたとされます。
1,「続日本紀・天平勝宝元年」には「二月丁酉(二日)、大僧正行基和尚遷化す。和尚は薬師寺の僧なり。俗性は高志氏、和泉の國の人也。和尚は真粋天挺、徳風夙に彰れたり。初め出家せし時瑜伽唯識を読みて即ち其の意を了しぬ。既にして都鄙に周遊して衆生を教化す。道俗化を慕ひて追従せ . . . 本文を読む
妙法蓮華経秘略要妙・観世音菩薩普門品第二十五(浄厳)・・33
二には総答
「無盡意。是觀世音菩薩。成就如是功徳。以種種形遊諸國土度脱衆生。」
「成就如是功徳」とは上の別答を指す。
「以種種形」とは示現の身の無量を云。
「遊諸國土」とは総じて所化の處の廣きを説く。諸とは一に非ざる義なり。横には十方に周く、竪には同居方便實報(凡聖同居土、方便有余土、実報無障礙土、)の三土に通貫す。三土の機縁 . . . 本文を読む
高野山再興者。一に持経上人または祈親と號す。俗姓河合氏、和州葛城郡楠本邑の人なり。七歳にして父を喪ひ、能く母に事へ、十三歳興福寺に入り法相宗を学び、子島真興に師事し入寺仙救に随ひて密灌を受く。母歿するや常に法華経を讀誦して二親に追薦す。故に祈親または持経の名を得たり。年六十、両親再生の地を知らんと欲し大和長谷寺観音の宝前に参籠して好相を得、その霊告を蒙りて高野山に登る。時に長和五年1016三月なり . . . 本文を読む
願い事があり何年も祈願を続けていますが今一つすっきりしません。最近ではついつい「お経にはあれだけ『苦を救ってやる』と繰り返し書かれていても古今東西人々の不幸は無くならないではないか・・」「人々があれだけ神仏に祈願していても不幸から逃れられないではないか」などと、神仏に愚痴を言うこともありました。しかし今朝も愚痴をつぶやきつつも修法を始めるとなんといつもより有難く修法に集中できるので . . . 本文を読む