正応三年1290,2月11日後深草上皇は出家し素実と名乗る。増鏡に「又の年〈正応三年〉二月の比、一院〈後深草〉御髪おろし給ふ、年月の御本意なれど、たゆたひ過し給けるに、禅林寺殿〈亀山〉こぞの秋おぼし立にしに、いとヾおどろかされ給ぬるにやありけむ、二月十一日、亀山殿にて御いむ事受させ給ふ、四十八にぞならせ給ふ、御法名素実と申也」 . . . 本文を読む
今日承和元年二月十一日は大師が鑑真和上の高弟如宝の為に達嚫をかかれて供養された日です。「招提寺の達嚫の文それ念風(無明煩悩)一度吹けば識海波濤し、覚月たちまちに飛んで智山崛不吻(くつふつ)たり(師の教えにより覚りの山が聳える)。心暗きときはすなわち遇うところことごとく禍なり。眼明らかなれば途に触れて皆宝なり。如来はこれを覚って万徳の殿に優遊し、衆生はこれに迷って三途の獄に沈淪す。沈迷の端、驚かずん . . . 本文を読む
史料綜覧 卷五 / 元徳二年(1330)二月十一日条
「十一日・・・真光院前大僧正禅助寂ス」
禅助(以下密教大辞典等に依ります。)1247-1330 仁和寺真光院大僧正。東寺長者。入道内大臣源通成の息。
性偉麗豁量、早く真光院の経瑜により薙髪、文永二年十一月二十四秘密荘厳院にて開田准后法助を拝して伝法灌頂を受く。又高雄御室性仁一品親王の法灯を嗣ぐ。永仁二年東寺一長者法務。護持 . . . 本文を読む
承和元年2月11日は大師が唐招提寺噠噺を撰せられた日です。高野大師御広傳・続性霊集に「夫れ念風一扇すれば識海波濤し、覚月乍ち飛べば智山崛吻たり、心暗きときは即ち遇うところ悉く禍なり、眼明らかなれば則ち途に触れて皆宝なり、如来はこれを覚りたまひ万徳の殿に悠遊し、衆生は之に迷ひ三途の獄に沈淪す。沈迷の、驚かずんばあるべからず、昇悟の機仰がざるべからず、この故に我が大師薄伽梵よくこの趣を説いて一子を提制 . . . 本文を読む
今日は建国記念日(紀元節)です。皇紀二千六百八十年にあたります。紀元節は、日本書紀に「辛酉年春正月 庚辰朔 天皇即帝位於橿原宮 是歲為天皇元年(辛酉(かのととり)の年の春正月(はるむつき)、庚辰(かのえたつ)の朔(ついたち)。天皇(すめらみこと)、橿原宮(かしはらのみや)に於いて即帝位(あまつひつぎしろしめ)す。是歳を天皇元年(すめらみことのはじめとし)と為す。)」とあることから定められています。 . . . 本文を読む
弘仁十三年822、2月11日、大師が嵯峨天皇の勅命により、東大寺に灌頂道場(真言院)を建立。真言院に21名の僧をおき、4月16日から7月15日の安居中と正月・5月・9月の三長斎月に、大師が衆僧を率いて鎮護国家・息災増益を祈ることになりました。類聚三代格に「太政官符/応東大寺真言院置廿一僧令修行事/右検案内、太政官去弘仁十三年二月十一日下治部省符偁、右大臣宣、奉勅、去年冬雷、恐有疫水、宜令空海法師於 . . . 本文を読む