『扶桑略記』(敏達天皇)
七年戊戌春(578)二月。耳聡王子。年纔七歳。燒香し數經論を披見して奏曰「黒月(月の後半)・白月(月の前半)、各八十四五日。是を六齋と為す。此日、梵王帝釋來りて國政を見る。殺生を絶つべし」と。陛下饗應し、勅を天下に降し六箇齋日は殺生を禁制す。 . . . 本文を読む
今日は延命院僧都元杲遷化の日
元杲(げんごう)は 長徳元年995二月二十七日81歳で遷化。藤原京家の出身で、父は雅楽助藤原晨省。房号は真言房。とも称される。淳祐・寛空に灌頂を受け、内供奉十禅師・東宮護持僧。小野・広沢両流を受け、祈雨法を修して霊験。 . . . 本文を読む
「高野春秋」に「長徳元年995二月二十七日、大僧都元杲、現身に西方世界に往詣す(寿八十二)。日課誦経専念の酬の故なり。長者牒に云、永延二年元杲、所職を辞退し永く以て醍醐延命院に籠居し西方極楽界を念ず。彼の遺誡に云、閑居本意他念無し。法花経を読み奉り之を以て日作と為す。弥陀佛を念じ奉り之を以て夜勤と為す。入滅の後、弟子等若し滴ま拝賀を致さんと欲せば當に西方にむかひて極楽を拝し奉るべし . . . 本文を読む
今日天長五年二月二十七日は大師が「伴按察平章事が陸府に赴くに贈る詩」をお作りになった日です。((日本後記・天長五年二月に)「甲寅,賜鎮東按察使-伴朝臣-國道餞.有御製.賜衣被及雜珍玩物」とあり。)「伴按察平章事が陸府に赴くに贈る詩」夫れ膚寸(雲)南北に心なけれども風に遭ふときは則ち飛ぶ。順の徳なり(命令にしたがう徳)。人臣東西に心なけれども命を銜ふくむときは則ち馳す。忠の至りなり。蕞爾たる毛夷(さ . . . 本文を読む
「いかにも人の為、世の為よからむとおもひ給ふべし。行く末の為と申す也。白き鳥の子はその色白し。黒きはその子も黒し。蓼といふ草、からくしてその末をつぐなり。あまき物の種は劣ふれども、その味甘し。されば人の為よからむとおもはば、末の世、かならずよかるべし。我が身をおもふばかりにあらず。(どんなことをしていても人の為、世の為と努力せよ。それは将来の為になる。蓼は生え変わっても辛い。甘いものの種はいくら衰 . . . 本文を読む