今日2月14日は祇王忌です。「新酒かけて見ばや祇王の墓の上(子規.)」「祇王忌の墓に寄りたる春日傘. (橋本榮治.)」「祇王祇女他無縁墓実千両(田中水桜)」等の句がありました。平家物語「祇王」には「・・その後、入道、祇王が心の内を知りたまはず。『いかに、その後何事かある。さては佛午前があまりにつれつ˝れげに見ゆるに今様一つ歌へかし』と宣へば、祇王参る程ではともこうも入道殿の仰せをば背くまじと思ひけ . . . 本文を読む
亡弟子智泉の為の達嚫の文「それ寥廓たる性虚は諸因を離れて凝然なり。飄蕩たる染海は衆縁に随ってもって起滅す。故によく一念の妄風は波濤を心壑に鼓ち、十二の因縁は生死を迷夢に化す。識幻三有の獄に構へ、色焔六趣の野に逸す。つひに無明の羅刹は亀鶴の命を斫り、異滅の旃陀は蜉蝣の体を殺す。たちまちになく、たちまちにあることすでに浮雲のごとし。たちまちに顕れたちまちに隠るること還って泡沫に似たり。天・獄の県に苦楽 . . . 本文を読む
今日応保二年1162、2月14日は覚性入道親王が土御門内裏で孔雀経法を修した日です。
(以下密教大辞典等に依ります)覚性入道親王(大治四年1129閏七月廿日から嘉応元年1169十二月十一日。日本総法務初代。仁和寺五世。紫金台寺御室、泉殿御室とも。鳥羽天皇第五皇子。母は藤原公実の娘待賢門院璋子。保延六年六月二十二日覚法法親王のもとで出家。同十月二日、東大寺戒壇にて於て受戒。久安元年八月法金剛院(仁 . . . 本文を読む
今日、2月14日は智泉大徳の誕生日であり同時に入滅された日です。智泉大徳は大師の甥で大師十大弟子のひとりです。延暦8年2月14日(789年3月15日)生まれで天長2年2月14日(825年3月25日)に入滅されています。同じ2月14日に生まれてなくなっているのです。入滅の時は、手を洗い、口を漱ぎ、塔印を結び、五字明を誦され、五彩の息をはきつつ寂せられた、といいます(真言宗大徳伝)。「智泉大 徳一千百 . . . 本文を読む
今日は阿蘓大神から兵疫起こるべしとの託宣を受け般若心経三萬巻を転読した日
三代実録(貞観八年866二月)
「十四日庚申、神祇官奏して言さく『肥後阿蘓大神 怒気を懐蔵す。是に由りて疫癘発し、隣境の兵を憂ふべし』と。勅す『國司は潔斎し至誠奉幣幷に金剛般若経千巻般若心経萬巻を転読せよ。城山四王院(注1)に於いて金剛般若経三千巻般若心経三萬巻を転読し、以て神心に奉謝し兵疫(注2)を消伏せよ。』」
天 . . . 本文を読む
お釈迦様のご一生は武装兵に守護されていたことが経典には書かれています。1、お釈迦様がお生まれになる時は武装兵に護られています。佛本行集経・樹下誕生品には摩耶夫人がお釈迦様を懐胎して父君の処へ里帰りされるとき、浄飯王は摩耶夫人の周辺を厳重に武装されます。「是時摩耶大夫人。身安然端坐大白象上・・復二萬の勁勇力士あり、一人當千・威猛捷健・端正絶殊にして能く強怨を破る。身の鎧甲を地著し、手に弓箭・刀杖・鬪 . . . 本文を読む
神様の怒りを鎮める為金剛般若經・般若心經を読誦させた日
(三代実録・貞観八年866二月十四日庚申)「十四日庚申、神祇官奏して言く、『肥後國阿蘓大神怒氣を懷藏す。是に依り、疫癘を発し隣境兵の憂あるべし』と。勅す『國司は潔齋し至誠に奉幣し并びに金剛般若經千卷・般若心經万卷を轉讀せよ。大宰府司・城山四王院に於いて金剛般若經三千卷・般若心經三万卷を轉讀せよ。以って神心に奉謝し兵疫を消伏す . . . 本文を読む