福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

秩父三十四所観音霊験圓通傳 秩父沙門圓宗編・・7/34

2023-10-07 | 先祖供養

 

秩父三十四観音霊験圓通傳巻第二

第七番牛伏 青苔山法長寺、御堂四間四面東向、

本尊十一面觀音 立像御長一尺二寸三分(46.5㎝) 行基菩薩御作

當寺本尊の原始は、人王六十一代朱雀院の承平二年(932)、當郡末野の郷、花薗山の城主何某の左衛門督とかや、威名ある武士の長臣、其君主の威をかりて驕奢佚遊至らずと云事なく、各其邪を悪と雖、彼が一時 の権柄に怖て、其君に訴る者もなければ、倍其惡を恣まゝにす。然るに相馬の将門が謀逆に與力して、 天慶三年(940)官軍の為に悉く亡さる。其里の男女彼が日頃の暴虐を恨み、其肉を喰程に思ひしかば、散々に 追討ける程に、上野の方へ志けれども、行先を遮りける間、漸として山林に隠れ忍び入ぬれど、元より 妻子郎従も付添事なければ、ありしにもあらぬ月日を送りける程に、重き疾を得て終に身まかりける。其 頃一僧此霊像を持して當處の山林に兵亂を辟て隠れ居たるが、愍で彼が死軀を一株の松樹の下に埋みぬ。 斯てやゝ程經し内に、世中穏になりて、此處彼處遯れさ迷たる土民等も己が住家に皈り來るに及で、彼男 が妻子も立皈り見るに、其家居も破却せられ、其夫の行衛だに定かならず、漸く尋來れば、山中に葬られたると聞ゆ。驚き來て悲嘆し、夜すがら本尊の前に來て念誦し、夫が生前の罪悪深重なりし事を懺悔 し、山居の僧に恩を謝して本尊の前を立去て、其邊の農家に身を寄て、時々此塚に香花を手向、偏に夫の追福を修する處に、此女が身をよせし農家の牛、一つの犢を生めり。此犢此女を慕事小兒の母をしたふが如し。見る人怪思はずと云事なし。此女其娘とともに件牛を愛し、彼夫が塚に詣でぬる時も必ず牽 て徃來しけるに、一日此牛彼塚の邊に至て忽伏て動かず、母子怪て牽起んとせし時、牛則ち頭を擡げ涙を流して忽然として人語をなして曰く、汝等驚く事なかれ、吾は是汝が夫何某がなれる果なり、生前の 悪逆を以て三悪趣をめぐりめぐりて今亦此の如き身を受ると雖も、幸に此處に生れ、再汝等と偶ふ事せめての悦なり、母子ともに發心して、此地に坐す觀世音に吾滅除業障のために朝夕供羪せよ、亦念佛三昧の比丘尼となり、自他平等に功徳を得べし、必ず吾命に背事なかれと。血の涙をこぼして語れば、母子驚き泣て頭をもあげず悲歎胸にせまり、一言の應対にも及ばずひれ伏たり。牛亦聲をはげまし、汝等が歎き彌吾苦を増のみ、更に我を済ふ事あたはじ、無量苦逼身、觀音玅智力、能救世間苦(観音經)と聞ものを一聲稱念罪皆除(顯淨土眞實教行證文類 「果業因利劍即是彌陀號一聲稱念罪皆除」)とは知れども、吾生涯に信ぜずして、一遍の稱名だに冷笑して唱ざりし身の行末かくのごとし、 はやく吾ために發心して此觀音に冥福を祈、此地末代觀音の霊地とならば、吾必悪趣を脱し徃生極樂の験なりと知るべしと。言下に喘苦て牛は忽死にけり。母子は此言をたがへじと涙を押へて牛を葬り、舎りへも帰らず、髪押剪て親子同く此地に住て、觀音の慈救を祈り、単信無二の念佛者となりて、終に此地に徃生の素懐をとげける。然るに當時此處昌に佛法流布の地となり、觀音霊場第七の梵宮となりぬれ ば、明らかに知ぬ彼牛畜生道を離れ、直に安養の聖衆となりぬる事を。末代此地を牛伏と云へるも此因縁なり。此邊の地名に横背苅込など云處あるも、彼牧牛の徃來せし縁によれりとぞ。詠歌に曰

「六道をかねてめぐりて 拝むべし 復後の世を聞も牛伏」たいりゃく

此歌の意は、七の社の木綿手繦(たすき・木綿手繦は神前に供えるときに袖がかからぬようにかけるもので、神に奉仕する資格の象徴)かけても六つの道にかへすなと詠ぜし如く、深く後の世を畏れよと示したるなり。萬般将さらず只業のみ従ならひ、今世にも心を付てよく思めぐらせば、六道は兼てある理、誰も知ることながら児女のために大略を演べし。凡心愚にして善悪を辨へず、或は邪気に覆れて、少し善悪を辨へ知れども、邪義を説き邪道を行ひ非為をなすは、己が本然の明徳をくらますが故に、日月の光なき黒闇の地獄己が胸中に現ず。此暗きよりなし来る事、何が地獄の種ならぬやはある。身に積、口に云處の悪業、則ち是刀剣樹なり。色に迷ひ酒に溺れて救ひがたきに至るは、則是血盆地獄三途川の沈淪ならずや。恩を忘れ義にそむき欲をたくましくして、恥を知る事無くば、現在の畜生道なり。憍慢の心を以て人をあなどり、闘諍を起は修羅にあらずして何ぞや。此三悪趣を兼ねてより離れざらずんば、平生取作の業、吾が魂に従ひ行、亦後の世の六つの道、其苦の名を聞だにも物うしと。彼畜身を得し昔語と、彼是の意を思ひあはせて此歌を解すべし。されば播州の盤珪禅師、里人に麦撞歌を作りて教へ給ひし其言に云、「罪を作らば心が鬼じゃ、外に地獄は無き物を」と。圭禅師意を用ひて、里人を諭し給へる慈心たふとし。凡地獄及び六道の説は起世経、正法念經、婆沙論の百七十二、諸經要集の十八、及往生要集等に委し(起世経は三界・六道を記述、巻二より巻四には地獄品。正法念經も三界六道の因果を詳しく説く、巻五より巻十五に地獄品。阿毘達磨大毘婆沙論卷第一百七十二定蘊第七中攝納息第三之七「五蘊五取蘊五趣五妙欲五學處。依何定滅」。諸經要集卷第十八「地獄部第二十八此有八部」。往生要集巻上「大文第一」は 厭離穢土 として地獄、餓鬼、畜生、阿修羅、人間、天人の六道を説く)。今此處に略す。亦現世の悪報に依て畜生に生まれし事、法苑珠林の六十五に其の例数條あり(法苑珠林卷第七地獄六道篇業因部第七「如是等十一種罪中。若人犯一一罪者。身壞命終皆墮阿鼻地獄」)。其外、琅瑯代酔(ろうやだいすい。明の張鼎思が編纂)。墨荘漫録(宋代 張邦基)。劉禹錫(りゆううせき・唐)の「嘉話」(編者は唐の韋絢)。武林記事等の書にも其ためし今悉記するに及ばず、往て見つべし。

 

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 救われるためには利他行を | トップ | 今日は嵯峨上皇が「海上人を... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

先祖供養」カテゴリの最新記事