福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

四国でお大師さまに叱られたこと

2009-10-19 | 講員の活動等ご紹介
高知市に出張する機会がありました。

業務自体は11時から14時すぎに終了する簡単なものだったので日帰り出張を命じられましたが、翌日が公休だったため、市内に1泊して「ミニ区切り打ち遍路」をしました。

初日は業務終了後、夕刻でしたが土讃線を使って30番の善楽寺を参拝、その後は、その近くにある前回泊めていただいた遍路宿が懐かしく、夕食だけをいただきました(今回は航空券とセットで市内中心部のホテルを手配していたので、この遍路宿には宿泊しませんでした)。

夕食後はふたたび土讃線の土佐一宮駅に徒歩で向かいます。ローカル線は本数が少ないので、携帯で時刻表を調べておくのは基本です。

ところが駅に着くと、自分が向かう方向のホーム(と思い込んでいた)に列車が止まっているではありませんか。アナウンスも「上り列車です」と告げています。そういえば時刻表では10分前にも1本あったから、それに間に合ったようです。「それ」っとばかりに飛び乗り、「しめしめ、10分早いのに乗れたわい」と大得意です。土曜日の19時というのにローカル線の車内は制服姿の高校生やサラリーマンでいっぱい、通路もまっすぐ歩けないほどの混雑ぶりです。「週末だからみんな高知まで遊びにいくのかな」と呑気に構えていました。高知はわずか2駅先です。

ところが、その2駅目に近づくと車内アナウンスは「高知」ではなく「次はー、土佐大津、土佐大津でーす」。ここで初めて逆方向に乗ってしまったことに気がつきました。土讃線の「上り」は高知とは逆なのでした。あわてて高校生をかきわけて車内を前まで移動、なんとか飛び降りると(降りられるのは前扉だけ)、逆方向のホームにはガラガラの列車の姿が!そう、単線だから駅ですれ違い待機をしているのです。「あれは本来乗るはずだった私の列車だ!」と跨線橋をダッシュしましたが、上り列車の到着を待ち構えていたのです、無情にも入れ違いですぐに出発してしまいました。

時刻表を見ると、さすがはローカル線、次の列車は45分後までありません。「10分早いゾ」どころではない。駅には誰ひとりいなくなりました。ここで思案です。駅の脇には国道が通っています。「流し」のタクシーなどは走っていませんが、携帯で調べればタクシー会社はすぐに見つかるでしょう。ホテルまでは3000円、と見積もりました。

迷いました。駅の構内をウロウロしていた時です。足元で「カラン」と乾いた小さな音がしました。無人駅だから聞こえたほどの小さな音。見ると携帯にストラップとしてつけていた木片が落ちていました。ただの木片ではありません。春の結縁潅頂の際に高野山・奥の院で付与していただいたお大師さまの字体で「南無大師遍照金剛」と書かれたご自慢のストラップの紐が切れたのです。ハッとしました。お大師さまに「四国に来てまで『時間をカネで買うようなマネ』をするでない」と叱られた気がしました。それともこれは偶然でしょうか?ほかならぬ四国で、横着を決め込もうとしたその瞬間にお大師さまのストラップによって足を止められた。どんなに冷静になっても、私はこれを「単なる偶然」とはとても片付けられないのです。覚悟を決めてホームで夜風に吹かれました。キンモクセイの甘い香りに包まれて、お大師さまを感じながら、幸せな40分あまりになりました。

これで私にとって四国での「不思議」は3つになりました。(前の2つは去年の遍路報告をご参照ください)

http://blog.goo.ne.jp/fukujukai/e/eee211ce904390685b6125916414625a

観音経にも「歴劫不思議」ということばがあります。不思議とは「不可思議」の略、「語源辞典」によりますと、「想像することも、ことばで言い表すこともできないこと。つまり、仏の悟りの境地や智慧・神通力などを表すことば。」だそうです。

つまりちっとも不思議でない「不思議」がまた起こったのです。

南無大師遍照金剛
ありがとうございました。

鈴木
コメント (2)    この記事についてブログを書く
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2 コメント

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ありがとうございました (鈴木)
2009-11-09 00:23:19
高原さま、コメントありがとうございました。
四国はやはりスゴいです。高原さんもおっしゃっているように、必ず「不思議」なことが起こります。でも、それも3回ともなると、それは不思議でもなんでもなく、「われわれの思議がおよばないだけだ」と納得した次第。その意味で今回の高知行きはとっても貴重なものになった気がしています。

東京に戻ってもなんだか幸せな気分です。
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修行には必ずいましめがあります (高原)
2009-10-20 07:08:47
投稿有難うございました。わたしも四国遍路のときに父の輪袈裟の房を落としたりしました。修行は真剣にやるときほど何かの見返りをもとめられることがおおいとおもっています。お大師様がそれだけちゃんと見てくださっているということです。
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