仏法の起こる前でも仏法はあった
明恵上人は「仏は無始以来出世されているので印度で仏法の起こる前でも仏法を修したる人が生まれて福聚に恵まれた人生を送った。」とおしゃっています。たしかに『三千仏名経』では、過去荘厳劫・現在賢劫・未来星宿劫の三世それぞれに一千の仏がおられるというのですからもっともでした。「三世諸仏」ともいうのは是でした。
「或人の云く、『仏法未だ渡らざる先は震旦・本朝に寿福共に豊かなる人何の力に依れるにや』と云々。『是の問、答んとするに足らず。・・無始より仏々出世し、無量の世界に佛菩薩満ち満ちて仏法を弘通せざるといふことなし。彼の国の衆生はこの国に生まれ、此の国の衆生は彼の国に生ず。されば仏法の渡らざりし所なればとて仏法を修したる人の生まれざるべき理あらんや。かりそめの事までも、仏法の恩にあらずといふことなし。かく厚く深く仏法の恩を蒙りて人界に生を受け福禄に飽ける者、一々に仏法の恩といふことを知らずして‥‥一生を空しくして過ごす事、大愚痴、墓無くも哀れにも浅猿くも覚えたり・・』(栂尾明恵上人伝記)」
明恵上人は「仏は無始以来出世されているので印度で仏法の起こる前でも仏法を修したる人が生まれて福聚に恵まれた人生を送った。」とおしゃっています。たしかに『三千仏名経』では、過去荘厳劫・現在賢劫・未来星宿劫の三世それぞれに一千の仏がおられるというのですからもっともでした。「三世諸仏」ともいうのは是でした。
「或人の云く、『仏法未だ渡らざる先は震旦・本朝に寿福共に豊かなる人何の力に依れるにや』と云々。『是の問、答んとするに足らず。・・無始より仏々出世し、無量の世界に佛菩薩満ち満ちて仏法を弘通せざるといふことなし。彼の国の衆生はこの国に生まれ、此の国の衆生は彼の国に生ず。されば仏法の渡らざりし所なればとて仏法を修したる人の生まれざるべき理あらんや。かりそめの事までも、仏法の恩にあらずといふことなし。かく厚く深く仏法の恩を蒙りて人界に生を受け福禄に飽ける者、一々に仏法の恩といふことを知らずして‥‥一生を空しくして過ごす事、大愚痴、墓無くも哀れにも浅猿くも覚えたり・・』(栂尾明恵上人伝記)」