童子教( 傳安然(平安前期の天台僧)作、「塵添壒嚢鈔」「大蔵経データベース」「童子教故事要覧(加藤咄堂)」等により解説)・・2
「神明は愚人を罰す 殺すにあらず懲らしめんが為なり。 師匠の弟子を打つは 悪むにあらず能からしめん為也。 (論語・憲問篇に、「原壌夷俟」条という名高い一条あり。「原壌、夷して俟つ。子曰く、幼にして孫弟ならず、長じて述ぶる無し。老いて死せず。これ賊と為す、と。杖を以てその脛を叩く」(原壌があぐらをかいて待っていた。(それを見て)孔子は、「こいつは幼いころは目上のひとを敬することなく、大人になってからは立派なことは何一つしなかった。今、老人になっても死のうともしない。こういうのを悪党というのだ」と言い、ついていた杖で原壌のすねを打った)、これも孔子は原壌の道に背くのを折檻したのである。仏も悪しきものをば打擲せよと、涅槃捃拾のみのりに説き賜う。)
生れながらにして貴き者無し、習ひ修して智徳とは成る。(礼記郊特牲篇「天子の元子(皇太子)も士なり、天下に生まれながらにして貴きもの無し。」)
貴(たつと)き者は必ずしも冨まず、 冨める者は未だ必ずしも貴からず(白氏文集「高き者は未だ必ずしも賢ならず、下き者は未だ必ずしも愚ならず。」往生要集に「富める者は未だ必ずしも寿ならず、寿なる者は未だ必ずしも富まず」)
冨めりと雖も心に欲多ければ、 是を名づけて貧人とす。 貧なりといえども心に足るを欲せば、 是を名づけて冨人となす(涅槃経に「汝等比丘、若し諸の苦悩を脱せんと欲せばまさに知足を観ずべし。・・足るを知らざるものどもは富めりといへども貧し、足るを知るの人は貧しといえども富めり」)
師の弟子を訓へざるは、 是を名づけて破戒とす。 師の弟子を呵責するは、 是を名づけて持戒とす。(涅槃経第三の巻に、弟子の破戒を見て呵責せざれば我が弟子にあらずと。菩薩善戒経には、師として弟子を教え怒らざれば仏法を破りて地獄に堕すべし、と。毘奈耶論に、弟子に五事あらばおしいかるべし、一には不信、二には懈怠、三には悪口、四にはこころに恥を知らず、五には悪知識に近ずく、とあり。)
悪しき弟子を畜へば 師弟地獄に堕ち、 善き弟子を養へば、 師弟仏果に到る。 教へに順はざる弟子は、 早く父母に返すべし。 不和なる者を冤(なだ)めんと擬すれば、 怨敵と成つて害を加ふ。悪人に順ひて避けざれば、緤(つな)げる犬の柱を廻るが如し。善人に馴れて離れざるは 大船の海に浮かべるが如し。(佛本行集経「愚痴の人はその繋縛を被むること、犬の枷に着いて自在を得ざるが如し」)
善き友に随順すれば 麻の中の蓬の直きが如し。悪しき友に親近すれば、藪の中の荊の曲るが如し。(論語学而「君子、重ざれば則ち威あらず。
学べば則ち固こならず。忠信を主とし、己に如ざる者を友とすること無れ」。荀子・勧学篇「蓬麻中に生ずれば扶めずとも直し」。文選巻二十六潘岳の河陽県の詩に「曲蓬なにをもってか直き、身を託して叢麻に依る(張銑の註に「蓬の性は曲がれり、直くなる所以は叢麻に依る、」李善の註「曾氏曰く、蓬麻中に生ずれば扶めずとも自ら直し」)
祖に離れ疎師に付く、 戒定恵の業を習ひ、根性は愚鈍と雖も、 好めば自ら覚位に致る。(たとえ根性は愚鈍なりとも戒定慧の業を積めば自ずから悟るなり、須利般特の如し)
一日に一字を学べば、 三百六十字。一字千金に当る、 一点他生を助く(「史記呂不韋伝」に秦の呂不韋(りよふい)がその著「呂氏春秋」を咸陽の都の城門に置いて,書中の一字でも添削できた者には千金を与えようと言ったの故事あり。一点他生とは、文字の点一つをおぼえても来世を助ける、の意味)。
一日の師たりとも疎んぜざれ、 况や数年の師をや。師は三世の契り、 祖は一世の眤び、 弟子七尺を去つて、 師の影を踏むべからず。
観音は師孝の為に、 宝冠に弥陀を戴き(如意輪瑜伽念誦法に「(如意輪観世音菩薩は)頂髻は宝をもって荘厳し、冠に自在王(阿弥陀)を座せしめ・・」とある。また十一面観音様の頂上一面が佛面で阿弥陀仏となっています。) 勢至は親孝の為に、 頭に父母の骨を戴き、 宝瓶に白骨を納む(秘鈔問答に「木幡口傳云。觀音戴本師。敬師徳義也。勢至戴瓶入父母骨。重親恩故也。孝養父母奉仕師長意也」とあり)。 朝早く起きて手を洗ひ、 意を摂して経巻を誦せよ、 夕には遅く寝て足を洒ひ、 性(せい)を静めて義理を案ぜよ。 習ひ読めども意に入れざるは、 酔ふて寐て閻を語るが如し。 千巻を読めども復さざれば、 財無くして町に臨むが如し(論語に、南容という人、白圭の詩を日に三度復するとあり。また同じく論語・為政第二に「学びて思わざれば則ち罔し」とあり。)
「神明は愚人を罰す 殺すにあらず懲らしめんが為なり。 師匠の弟子を打つは 悪むにあらず能からしめん為也。 (論語・憲問篇に、「原壌夷俟」条という名高い一条あり。「原壌、夷して俟つ。子曰く、幼にして孫弟ならず、長じて述ぶる無し。老いて死せず。これ賊と為す、と。杖を以てその脛を叩く」(原壌があぐらをかいて待っていた。(それを見て)孔子は、「こいつは幼いころは目上のひとを敬することなく、大人になってからは立派なことは何一つしなかった。今、老人になっても死のうともしない。こういうのを悪党というのだ」と言い、ついていた杖で原壌のすねを打った)、これも孔子は原壌の道に背くのを折檻したのである。仏も悪しきものをば打擲せよと、涅槃捃拾のみのりに説き賜う。)
生れながらにして貴き者無し、習ひ修して智徳とは成る。(礼記郊特牲篇「天子の元子(皇太子)も士なり、天下に生まれながらにして貴きもの無し。」)
貴(たつと)き者は必ずしも冨まず、 冨める者は未だ必ずしも貴からず(白氏文集「高き者は未だ必ずしも賢ならず、下き者は未だ必ずしも愚ならず。」往生要集に「富める者は未だ必ずしも寿ならず、寿なる者は未だ必ずしも富まず」)
冨めりと雖も心に欲多ければ、 是を名づけて貧人とす。 貧なりといえども心に足るを欲せば、 是を名づけて冨人となす(涅槃経に「汝等比丘、若し諸の苦悩を脱せんと欲せばまさに知足を観ずべし。・・足るを知らざるものどもは富めりといへども貧し、足るを知るの人は貧しといえども富めり」)
師の弟子を訓へざるは、 是を名づけて破戒とす。 師の弟子を呵責するは、 是を名づけて持戒とす。(涅槃経第三の巻に、弟子の破戒を見て呵責せざれば我が弟子にあらずと。菩薩善戒経には、師として弟子を教え怒らざれば仏法を破りて地獄に堕すべし、と。毘奈耶論に、弟子に五事あらばおしいかるべし、一には不信、二には懈怠、三には悪口、四にはこころに恥を知らず、五には悪知識に近ずく、とあり。)
悪しき弟子を畜へば 師弟地獄に堕ち、 善き弟子を養へば、 師弟仏果に到る。 教へに順はざる弟子は、 早く父母に返すべし。 不和なる者を冤(なだ)めんと擬すれば、 怨敵と成つて害を加ふ。悪人に順ひて避けざれば、緤(つな)げる犬の柱を廻るが如し。善人に馴れて離れざるは 大船の海に浮かべるが如し。(佛本行集経「愚痴の人はその繋縛を被むること、犬の枷に着いて自在を得ざるが如し」)
善き友に随順すれば 麻の中の蓬の直きが如し。悪しき友に親近すれば、藪の中の荊の曲るが如し。(論語学而「君子、重ざれば則ち威あらず。
学べば則ち固こならず。忠信を主とし、己に如ざる者を友とすること無れ」。荀子・勧学篇「蓬麻中に生ずれば扶めずとも直し」。文選巻二十六潘岳の河陽県の詩に「曲蓬なにをもってか直き、身を託して叢麻に依る(張銑の註に「蓬の性は曲がれり、直くなる所以は叢麻に依る、」李善の註「曾氏曰く、蓬麻中に生ずれば扶めずとも自ら直し」)
祖に離れ疎師に付く、 戒定恵の業を習ひ、根性は愚鈍と雖も、 好めば自ら覚位に致る。(たとえ根性は愚鈍なりとも戒定慧の業を積めば自ずから悟るなり、須利般特の如し)
一日に一字を学べば、 三百六十字。一字千金に当る、 一点他生を助く(「史記呂不韋伝」に秦の呂不韋(りよふい)がその著「呂氏春秋」を咸陽の都の城門に置いて,書中の一字でも添削できた者には千金を与えようと言ったの故事あり。一点他生とは、文字の点一つをおぼえても来世を助ける、の意味)。
一日の師たりとも疎んぜざれ、 况や数年の師をや。師は三世の契り、 祖は一世の眤び、 弟子七尺を去つて、 師の影を踏むべからず。
観音は師孝の為に、 宝冠に弥陀を戴き(如意輪瑜伽念誦法に「(如意輪観世音菩薩は)頂髻は宝をもって荘厳し、冠に自在王(阿弥陀)を座せしめ・・」とある。また十一面観音様の頂上一面が佛面で阿弥陀仏となっています。) 勢至は親孝の為に、 頭に父母の骨を戴き、 宝瓶に白骨を納む(秘鈔問答に「木幡口傳云。觀音戴本師。敬師徳義也。勢至戴瓶入父母骨。重親恩故也。孝養父母奉仕師長意也」とあり)。 朝早く起きて手を洗ひ、 意を摂して経巻を誦せよ、 夕には遅く寝て足を洒ひ、 性(せい)を静めて義理を案ぜよ。 習ひ読めども意に入れざるは、 酔ふて寐て閻を語るが如し。 千巻を読めども復さざれば、 財無くして町に臨むが如し(論語に、南容という人、白圭の詩を日に三度復するとあり。また同じく論語・為政第二に「学びて思わざれば則ち罔し」とあり。)