福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

Q、死者への供養は意味があるのですか?

2013-07-16 | Q&A
Q、今日は送り盆の日です。各家でも盆行でお坊様が読経されましたが、死者・先祖への供養は本当に意味があるのですか?

A,映画『遺体――明日への十日間』では釜石市の遺体安置所で駆けつけた住職が、嗚咽しながら『法華経』の自我偈を読誦すると、居合わせた人々が皆自然に合掌するところがあります。
『法華経』法師品によると 「また若し復 人有って、妙法華経の、乃至一偈を受持、読、誦、解、説、書写し、此の経巻 に 於て、 敬 い 視ること佛の如くにして、種種に華香、要珞、抹香、塗香、焼香、蓋、幢幡、衣服、 伎楽を供養し、乃至 合掌 恭敬せん。 薬王、當に知るべし。 是の諸人等は、已に曾て 十萬億 の 佛を供養し、諸佛の所に於て、 大願を成就して、衆生を愍れむが故に、此の人間に生ずるなり。」とあります。
 もともと仏教は自業自得が原則であり、また中有を過ぎれば次の生に移ってしまうから、理論的には先祖を供養しても意味がないことになります。しかし 大乗の立場では、成仏したら、再度この世界に働きかけ、還相廻向して生者を救いに来るのは当然のことです。死者と生者はこの意味で常に限りない交流をしていることになります。その交流のツールとして読経や真言や念仏、さらに密教では「修法」が用いられるわけです。

お大師様も性霊集に多くの先祖供養の達嚫を残されています。「故藤中納言の為に十七尊の像を造り奉る願文」には「この良縁(善行)によって尊霊をたすけたてまつらむ」とあり、「笠大夫、先妣の奉為に大曼荼羅を造り奉る願文」には「この妙業(曼荼羅造営供養)によって先慈(亡母)をたすけ奉らむ」とあります。いずれも先祖のための各種善行があの世での先祖の霊魂を助けることになるという趣旨のお言葉です。

更にいえば仏も亡者・故人も生者も菩提心(利他の心)に住すればその瞬間にすべて一体となっているので先祖供養(当然三界万霊供養も一緒に行っている)は瞬間に先祖に届いているのです。

中阿含経にも「祠祀諸天。祭餟先祖。及布施沙門梵志。爲後生天而得長壽得樂果報」とあります。初期仏教以来先祖供養は大切なこととされてきていることがわかります。。


また法苑珠林には「亡後作福。死者七分獲一。餘者屬現造者」とあります。亡者のために供養すれば7分の6は自分に返ってくるというのです。

いずれにせよ大蔵経には「先祖」という言葉が多く出てきます。当然先祖供養(先祖との交流)を前提に仏教は説かれています。
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